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2007年1月20日 (土)

日本国は免訴されない(横浜裁判)

 今日の新聞は、涙に曇って読み通すのに手間取りました。
 東京高等裁判所(阿部文洋裁判長)は、日本国の司法の死を宣告しました。オリエントの君主国には、法の支配は不要、君主の支配で十分、民草は、常に法の外、君主の支配下ということのようです。これまでにも、驚愕千万な判決は幾度もありましたが、阿部裁判長の児戯に類する判決は、日本国の溶解を示したのでしょう。裁判所業界の衰退は、無法とテロの世界を招きます。自らの身は自ら守れ、法をあてにすると痛い目に会うよ、と諭されたのでしょうか。法に関わる方、法で生計を立てていられる方、こんなことで良いのですか。
http://www.kanaloco.jp/localnews/entry/entryxiijan371/

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コメント

何のことか、何にも分からない。

投稿: | 2007年1月21日 (日) 00時02分

無名様
言葉足らずでした。kanalocoのURLを付けておきましたので、ご覧いただくことにしてしまいました。下記に記事再録します。
kanaloco 2007/01/20
横浜事件再審控訴審で元被告側の控訴棄却/東京高裁
 戦時下最大の言論弾圧とされる「横浜事件」の再審控訴審の判決で、東京高裁(阿部文洋裁判長)は十九日、「免訴判決に対して無罪を求める上訴は不適法」として元被告側の控訴を棄却した。元被告側は憲法三二条(裁判を受ける権利)などに違反するとして即日、上告した。
 控訴していたのは、治安維持法違反で県警特高課(当時)に逮捕され、敗戦直後に執行猶予付きの有罪判決が確定、後に大赦となった元被告五人(全員故人)の遺族。
 阿部裁判長は判決理由で「免訴判決で被告は処罰されなくなるのであり、無罪を求めた上訴は利益を欠き、不適法」と述べた。控訴審では証拠調べをせず「免訴判決に対し控訴できるか」という法律論に終始していた。
 弁護側は「無辜(むこ)の救済という再審制度の趣旨に照らし、法の形式的解釈より実質的な審理を優先すべき」と主張したが、旧刑訴法の規定を根拠に退けた。さらに、一審横浜地裁の判決が、県警特高課によって元被告五人が拷問されたと言及した点について、「控訴ができて初めて実質的審理、判断ができるのであり、そのような説示自体に問題がある」と批判した。
 横浜地裁は昨年二月、「治安維持法の廃止と大赦により、公訴権が消滅した」として免訴判決を言い渡していた。

投稿: 松本 茂 | 2007年1月21日 (日) 07時52分

どこをどう読み解くとそのような感想が出てくるのでしょう?
ちゃんと主文を読まれたのですか?

今回の再審判決の概要は、
・免訴は告訴事態を存在しないものとする事である
・告訴が存在しない以上、その判決(有罪か無罪か)も存在しない
・存在しない有罪判決を再審で取り扱う事は出来ない
ということです。

当然、当時の訴訟記録紛失や特高が元被告に行ったという非人道的扱いについてなど、別に責任を追究しなければいけない問題はありますが、
今回の「有罪判決に対する再審請求」に関する裁判所の判断は上の通りです。

裁判所が「個人の有罪無罪を問う再審」の場において、国の裁判システムについて判断を下してしまう事の方が”裁判所業界の衰退”を招くのではないかと思います。

今回の判決に疑義を呈するのであれば、上告ではなく、別に免訴(根拠法の廃止により事件は初めからなかったものとし、有罪・無罪の判断をしない)システムの定義についての議論を求めるべきかと思います。

ただ、こういったケースでの再審の利益を認めてしまうことになれば、
免訴を受けた人も「元有罪犯」という記録を抹消してもらえなくなる訳ですが。

投稿: | 2007年1月28日 (日) 12時31分

無名様
コメントありがとうございます。私の記事は、普通の市民として、暴虐の中で非命に倒れた方々に対する国家権力の責任応答として、「裁判」を読み解いたものです。ご理解いただけるものと思います。

投稿: 松本 茂 | 2007年1月28日 (日) 19時21分

松本様

>普通の市民として、暴虐の中で非命に倒れた方々に対する国家権力の責任応答として、「裁判」を読み解いたものです。

非命に倒れた活動家に対しては、大変な災難にあわれた事とご冥福をお祈りいたします。
ただし、それに対する国家権力の責任応答を問うのは、前にも書きました通り今回の再審の場ではないと考えます。

司法が法の定める範囲を超えて裁きを行う事は、三権分立の崩壊を意味し、大変危険な行為です。
今回の阿部裁判長の主文は、そういった意味で裁判所が自らの定められた裁量権を濫りに拡大しないという意思の表れとして大変評価出来るものと思います。

行政の行った事は、立法の定める法の元に、司法が裁定する。
これに尽きます。

投稿: | 2007年1月29日 (月) 11時59分

司法官僚(最高裁)の任命権が内閣にある以上、三権分立は幻想。
司法統制があるので、まともな判決がかけない。
国を負けさせるようなことがあればたちまち僻地に飛ばされる。
刑事裁判は刑を承服させるセレモニー
民事裁判は請求をあきらめさせるガス抜きの場
「真実の発見」や「疑わしくは罰せず」は全部大嘘
司法はただの虚礼いやマスターベーション
司法は死んでいる。もう期待できない。

投稿: | 2007年1月31日 (水) 13時40分

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