« 2007年1月 | トップページ | 2007年3月 »

2007年2月

2007年2月26日 (月)

小田原市情報公開審査会

 今日2月26日午後2時から「小田原市情報公開審査会」において意見陳述を行って参りました。審査会は委員長 鳥海壮六氏(元小田原市収入役)、委員 小原英輔氏(弁護士)、早坂禧子氏(大学院教授)、橋本基弘氏(大学学部教授)の4人の方で構成。この審査会は原則書面審査だそうですが、特に「口頭で意見を述べること」を希望しました。
 本事件の経緯
2006年12月22日、公文書公開請求(平成16年6月以降の次の者との協議の記録文書一切。1.佐藤総合計画、2.近江哲郎氏、3.藤森照信氏、4.山本理顕設計工場、5.神奈川県企業庁)
2007年1月12日、公文書不存在決定通知書(1.2.3.については、廃棄したので不存在)
2007年1月24日、異議申立(理由を付して、決定の取り消しを求める)
2007年2月5日、小田原市情報公開審査会諮問通知(諮問しました)
2007年2月9日、公文書不存在理由説明書の写しの送付及び当該理由説明書に対する意見書の提出要請(小田原市長の理由説明書を送るので、それに対する意見書を19日までに提出のこと、審査会は26日に開催する)
2007年2月19日、公文書不存在理由書に対する意見書提出(理由書は不実、捨てるはずはない)
2007年2月26日、小田原市情報公開審査会に於いて意見陳述(約30分)
 審査会での陳述など未経験のことでしたが、委員長の許可を得て委員の皆さんに、考える会の意見広告2種を配布。(仮称)城下町ホール整備事業が、藤森委員会の設計案選定によって、いかにこれまでの市民委員会報告や基本構想から乖離してしまったかを、特に強調して経緯を説明。この乖離発生を明らかにするべき者が公開請求した文書であり、不存在を認めるわけにはいかない。小田原市情報公開条例第1条にあるとおり、「情報の一層の公開を図り、もって市の諸活動を市民に説明する責務が全うされるようにするとともに、市民と情報を共有し、市政への市民参加を促進することで、市民の的確な理解と批判の下にある公正で民主的な市政を推進すること」を目指して、ほんいいんかいのしんさをお願いしますと、締めくくりました。
 委員3人からは、いくつか質問があり、誠実に回答しましたので、審査の材料にはなったと思われます。今回は異議申立人の陳述でしたので、次回は小田原市長側(文化交流課)の陳述があって、審査に入られるのでしょう。「廃棄したのだから公開できないのは当たり前」という開き直りを、審査会でじっくり審査していただくよう切望しています。
 小田原市長、幹部職員のみなさま、市民とともに行政を行っていきましょう。「市民と情報を共有し」と、条例で謳われているのです。開かれた小田原市にしましょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月16日 (金)

市民のための市民ホールを!

 去る2月13日の小田原市議会では総務民生常任委員会において、市民部文化交流課より、城下町ホールに係る「所管事項報告」がありました。実施設計の最終段階の概要が報告されました。その報告では極めて簡単な図面を資料と称しておりましたが、それを一見しただけでもかなりの無理な設計になっていることが分かります。エスキースコンペで打ち上げた思いつきに引っ張られたまま、60億円の大型建造物を設計者の「個人的記念碑」として、この町に据え付けようとしています。設計者が公言したとおり、このホールは一般的な舞台芸術を目的としたものではなく、あくまでも市民行事や祭典などのイベントのためのホールで、コンサートや簡単な演劇、舞踊なら使えない訳ではない、そんなホールを目的としているようです。これまでの市民委員会報告とはもちろん、基本構想からも大きく乖離しています。
 この委員会で、ある委員から「2万を超える見直し要求の署名が集まっていると報道(朝日)されたがどう思うか」との質問に対して、一寸木(ちょっき)市民部長は「それら一部の人たちは間違っている。惑わされず事業を進めるーーー」こんな意味の発言をされました。さすがに、委員の一人から「間違っていると、一刀両断にするのはひどすぎるのではーーー」との発言がありました。この一寸木部長は、この市民ホール整備事業が何を目的として、小田原市の施策にあがっているのか、理解なさっているのでしょうか。
 市民部長以下、市民との対話を拒否した市民部の事業執行は常軌を逸した暴挙です。このようなことを看過することは、私たちの現世代が、取り返しのつかない「負の遺産」を後代に残すという責めを負うことになります。どうして、この小田原だけが、まともな市民ホールを持てないのか、「市民不在の城下町ホールにならないように」するためにはどうすれば良いか。
 一寸木部長に間違っていると言われようと、小田原市を動かせるだけの署名を集めて、見直しを実現し、「市民のための市民ホール」にしなければなりません。これは、私たちの世代責任です。
 2月28日(水)午後6時からの「緊急市民集会」で署名を集約し、小田原市長、神奈川県に見直しを求めます。ぜひご参加ください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「市民が主人公」のまちづくり・講演会報告

 2月4日(日)午後2時から、小田原市中央公民館ホールに於いて、「『市民が主人公』のまちづくり・東京初の女性市長上原公子さんの挑戦」という講演会が開催されました。市民主権を真摯に実現しようとする市町村首長の真剣な勇気ある努力に、聴衆の皆さんは大きな感動とともに、市民の責務を自覚しました。
 少し報告が遅くなりましたが、丁寧にメモをとられた方からの「講演記録」全文を転載させていただきます。少し長文ですが、お時間のある時お読みいただければ幸いです。
--------------------------------------------------------------------------------
上原公子国立市長講演会のまとめ
・みなさんこんにちは。国立市長の上原です。
・初めは子どものアトピーをきっかけに食の安全について考えました。都の安全基準は私たち市民のそれとは大きく違っていたから、行動せざるを得なかったのです。生活クラブ生協の活動が原点です。
・次に、子どもの学校の所を通る市の道路計画がでて来ました。子どもたちの生活の場に危険な道路を通すのはおかしいと思い1万名の署名を集めて市長に持って行きました。そうしたら「すぐにそれ以上の推進の署名を集められる」と言い返され、悔しい思いをしました。
・そこで「自分たちが決める立場に立たなければならない」と思いました。「自分たちには被選挙権もある。自分たちが選ばれるようになればいい」と考えました。その流れで責任をとって現在市長にまでなってしまったわけです。
・「行政は、話を聞いてくれない。情報は公開しない。市民を子ども扱いする」などの不満がずっとありました。それを全部ひっくり返すのが私の仕事だと思ってきました。
・そして、駅前のマンション問題をきっかけに「自治の復権」を公約に選挙に出ました。
・国立市は、隣の立川市が米軍基地で繁栄したことで売春街ができるなど風紀が乱れたこともあり、「学園都市・環境都市」として行くことをメインにしてまちづくりが進められた歴史があります。(1952年に文教地区指定をうける)駅舎や駅前からのびる大学通りも含めて街の景観を重視してつくられてきた経緯があるのです。だからそれを覆すマンション計画を許すわけに行きませんでした。時代の流れで高層マンションがつくられるにしてもそれを許してしまうのは住民の自治力が眠り込まされてきた結果だと考え「自治の復権」を掲げました。
・そもそも憲法99条は、私のような公務員は憲法を守らなければならないと書いていますし、92条にある地方自治の項は、「地方自治の本旨=市民が決定し、行政が運営する」と読みとるべきと考えて来ました。
・行政マンは住民の命と財産を守ることが第一の仕事です。できないことははっきりとできないと言い、するとなったら責任を持ってやりきらなければなりません。もし国政が市民を守らないのなら地方自治の力で守らなければならないのです。地方自治体は『local government』と訳されます。地方政府ということです。独自の判断ができるのです。
・住基ネットについても、国はつなぐ事を義務としつつも総務省はその責任をとらないと言っています。住民の情報は自治体がきちんと管理すればよいのですが、ネットにつなぐことで自治体の管理の範囲を超えてしまいます。責任を持って運用できないので拒否をしました。住民に責任を持てないリスクは負えないと言うことです。
・なにも政府に楯突きたくて楯突いているのではありません。市民の暮らしや財産を守るためにやむなくしているだけのことです。
・自治能力とは、『どう市民に自分たちの力を自覚してもらうのか?』の仕掛け作りだと考えて来ました。
・今後日本の人口は1億2千万人から9千万人へと減っていくと言われています。高齢化も進んでいくし、税収入も減っていきます。それにあわせた準備を進めていかなければなりません。建物は減築し、行政が提供してきたサービスを市民が引き受けて提供しあう形に変えていく必要もあると考えています。そこを市民と一緒に考えていく事が大切なのです。
・国立には一橋をはじめとする3つの大学があります。アカデミックな街であり、様々な知恵を借りることができます。これを利用して仕掛けを作って来ました。
・「ボランティアで」と言うと嫌がられますので、「きちんと学んで専門家として参加してください」と言う形を取ってきました。
・「自治会に入るのはイヤだ」と言う人が多いですが、コミュニティは必要です。学校と子どもを核に親も巻き込んで達成感の見える活動を通して仲間づくりを進めて来ています。
・商店街も、昔は身近にあって生活の全般を支えてくれるものでありましたが、大型店舗がくることでどんどんつぶされて来ました。これを復活させてヨーロッパのバザールのようなコミュニティの場にしていくことが必要です。
<スライドを使っての説明>
・国立駅舎ー大正時代の建築。何度もあった取り壊しの危機を文化財とすることで存続(解体再築)させる事になりました。
・大学通りーヒューマンスケールのみどりの街づくりを目指し、緑地帯を広くとりました。桜の木と銀杏の木が交互に植えられていて、春は桜並木がそれは美しいと評判ですし、秋は黄金に輝く通りとなります。丁度私が次の生活点を探していて国立の駅に降り立ったのが秋でした。その駅から続く黄金の並木をみてその場で「この街に住もう」と思いました。街灯もパリのシャンゼリーゼ通りのものを直輸入して設置しました。ですから、緑地帯のどこを見ても絵になります。光がはいり込むことで緑は輝き美しく見えます。光の無い緑は美しくありません。ですから高層マンションなど光をさえぎる高い建物は必要ないのです。
・国立の街は若い人に人気があります。ゲームセンターなどはありませんが、時間がゆったりと流れていて安心できる心地よい街と評価されています。いつのランキングの10位以内に入っていると思います。
・歩道橋も「景観を台無しにする。車を優先し市民が道路の上を行くのはおかしい」とその是非を巡って論争になったのは、日本で国立が初めてです。「国立が初めて」というのは色々とありますよ。いろいろなものを発信してきた街でのあるのです。
・高層マンションについても、ずっと「歴史的に守ってきた景観を守り続けよう」と言うことで、色々とあった計画を市民がつぶして来たのです。しかし広範な運動があったにもかかわらず桜並木のすぐ脇に造られてしまいました。一度は「20メートル以上はカット」という画期的な判決がでましたが、現在も裁判闘争中です。
・市民にまちづくりプランナーになってもらおうと考えてきました。成功例として、桜守り(さくらもり)があります。樹医を養成し、市民参加の活動として育成して来ました。はじめは100人程でしたが今は250人います。今では全国に広がっています。自分のした仕事で美しい桜が咲き、人に誉められる。目に見える成果がありとても人気です。「桜を養生しています」と言う看板も、市民が入ることで行政では決してつくれない様なかわいらしい看板が作られ市外からも大勢の人が見に来ますし、桜の根本を踏み固めないように、桜と同時期に咲く花を桜の根本周りに植えることで違和感無く桜を守ることができています。これも市民の知恵です。
・私もずっと団地に住んでいますが、はじめに一斉に団地に入った人たちの高齢化が進み、団地街の一階にシャッター通りができてしまいました。空いたままにしておくのはもったいないし何とか活気を取り戻そうと言うことで、そこを安く借り上げて「人間関係キーステーション」という形で大学の授業や学生を街に引っぱり出してきて活性化をはかって来ています。知り合った長野の人から松材を無料でいただき学生達の手で内装として使い、木の温もりのある喫茶店やスタジオを作り授業の一環として運営して来ています。そこを大学のサテライト教室として使い、市民にも「街づくりの講師」として参加してもらっての授業を行っています。「あこがれの一橋大学の教壇に立てる」ととても人気です。今では様々な方面からの注目もあって国の予算も付き、そこでの活動が大学の単位として取得できるようにもなりました。
・国立は都心に近いこともあり、結構地価は高いです。そのこともあって緑地や農地は多くありません。そこで農業をするグループをつくり、駅前の銀行が土日は休みなのを利用して、銀行の前の空間を借りて地場産のものを売る活動も進めて来ました。作り手が見える作物は安心です。これも今では定着しています。
・子どもを中心とした仕掛けとしては、よみきかせを行うカンガルー広場という親子の交流の場をつくって来ました。親同士の関係ができないと子ども同士のそれもできません。予想を超えて160人も来ました。みんなそう言う場を欲していることが良く解りました。今は7カ所に展開して行っています。
・また、遊びを組織するプレイリーダーも位置づけて養成して来ています。参加した市民は子どもよりも大人が楽しみながら仲間づくりを進めています。
・地域保険福祉計画と言うのがあります。ほとんどの自治体ではコンサルタントが入って立派なものがつくられますが、すべてを施行するものでもなく、お金をかけてつくっても意味がありません。国立では市民を入れて「やれないことは書かない。しかし、やるべき事はきちんとやる」という形で、行政・市民・事業者と分けて市民のための計画づくりをして来ています。
・障がい者(身体・知的・精神)にも、どんなに障がい重くても当事者に参加してもらい、すべての書類にルビをふったり、安心できる人についてもらい通訳してもらうなどいろいろと工夫しながら計画づくりをして来ています。
◇有事法と国民保護計画の話をします。
・最近は右翼よりも過激な事をいう文化人が現れるぐらい、戦争に向けた危険な動きが進められています。「憲法が、自己犠牲の中に生きる充実感を失わせてきた」なんて言う人もいます。戦後60年以上も経つのに、新たな経済的効果も狙って「戦争が必要だ!自己犠牲が必要だ!」と考えている人がいまだにいるのが事実なのです。「普通の国」と言うのは「軍隊が当たり前の国」という事でしかありません。
・すでに有事立法関連10法がつくられてしまいました。有事法と言うから解りにくいのです。これは「戦争法」のことです。
・有事法が出てきた時「高度な公共の福祉=戦争」のためという名目で、憲法の「基本的人権=何ものの侵すことのできない永久の権利」を制限すると書かれていました。「これでは自治体の長として市民の命や財産を守れない」と考え、何度も国に対して質問状を送りましたが、誠意のない対応をされ、いまだに納得のいく回答は無いままです。
・中でも国民保護法が危険です。他の有事法は戦争事態になり国が認定してから動き出すのに対して、国民保護法だけが平時から訓練という形で国民を動かしていくものだからです。そう言う意味で、彼らにとっても非常に大切なものになっています。
・しかし、国民保護計画には大きな矛盾点があります。自衛隊を(災害時に)役に立つ集団として売り込もうとするあまりに、(知ってか知らずか)計画の中に「自衛隊との共同した訓練を行う」と書いてしまいました。しかしこれは政府が2004年に批准したジュネーブ条約第一追加議定書の58条「予防措置」の中の「軍と民の分離原則=民間人の被害を避けるためには軍事目標となる軍関係のもの(人)と民間のもの(人)は引き離さなければならない」に明らかに背くものです。この矛盾点を突いていく事はとても有効だと考えています。
・国は、本当は公然と国民保護(戦争準備)の住民組織を作りたかったのですが、憲法と国民の反対もあってできませんでした。そこで既存の組織(防災組織)を利用することになりました。ですから、防災と戦争の訓練は全く性格が違うものなのですが、それが一体となって行われようとして来ているのです。
・その一方で「治安維持・回復のため」と言うことでつくられる様々な新しい組織には予算をつける動きが出てきています。「市民の安全を守るため」と言う名目で自警団のようなものがどんどんつくられようとしています。(東京都では数年前3億円だった予算が現在は116億円!)
・安心・安全条例ということで、「安全な市民生活を送りたい」という善意の人たちを使いながら市民の中に監視する側とされる側を作り出していこうとしています。交番(今では世界的にも有名な言葉になっていますが)を開放して民間交番に変えていきつつ、本物の交番は121カ所が廃止されていこうとしています。
・かつての戦争前にいわれた「警察の民衆化、民衆の警察化」を進めていくのが政府の狙いなのです。かつて、そうして相互監視の体制・物言えぬ社会が作られて行き、その先に戦争があったのです。
・国立市でも「幼稚園の塀を高くしてくれ」「監視カメラをつけてくれ」「警備員をおいてくれ」などの要請が出てきています。それに対しては「塀を高くするよりも、塀を取り払い地域の人が声をかけやすくする形を考えませんか?」と返しています。すてきな身なりをした女性が誇らしげにパトロールの腕章をしているのって何か変だと思いませんか?
・ 国民保護計画については、島根県がいち早く作成し、敵国が日本海側から上陸してきたことを想定して避難のシミュレーションを行いました。そこで自衛隊が避難のための県道を使わせないと言う事態が起きました。戦争事態では軍事優先は当たり前なのです。住民の避難は優先されません。
・ 国立でも市民の手で避難のシミュレーションをしましたが、避難は不可能という結論がでました。あのあたりは立川の基地周辺が避難所になっています。そんなところに逃げたのでは敵の攻撃目標である基地があることで一層市民が危険にさらされます。そもそも国自身が敵国の上陸攻撃や空襲は想定していません。それは国の役人が言ってました。ですから武力攻撃事態として想定されるのはミサイル攻撃やテロ攻撃なのですが、それらが武力攻撃事態として認定され、国の指示に基づいて現地本部ができて避難が始まるのを誰が待てるでしょうか?しかも、そうした事態が起きた場合の指示は「風上に逃げろ」「堅牢な建物の中にとどまれ」という全く無責任なものでしかありません。
・ ですから国立では国民保護計画はまだつくっていません。作らないとは言ってません。作るのならまずきちんとした防災計画が先だと考えています。ミサイルが飛来したとか、テロがあったとかいう時の対応として参考になるのは、尼崎事故のような大規模な事故であり、地下鉄サリン事件のような事態です。そう言う事態は消防や警察が対応するものですし、そう言う事態が起きた際にどう市民を守るのかを考えれば良いのです。自衛隊と一緒に訓練する必要は無いし、危険なだけです。
・千葉では子どもを多数参加させての演習も行われています。市民の生命や財産を危険にさらしつつ、軍民一体となった訓練演習がこれからどんどん進められようとしてるのです。
・こうした動きに対抗する有効な取り組みが、今全国に広がっている無防備宣言運動です。国際人道法であるジュネーブ条約の第一追加議定書を利用して平時から市民の生活を守ろうという考え方です。ベトナム戦争の死者のほとんどが民間人であったことの反省に立ち、「民間人が戦争に巻き込まれず、たとえ巻き込まれても自治体が「戦争非協力」を宣言することで国際法によって守られるようにしよう。攻撃したものは戦争犯罪として裁こう。」と言うことで進められてきたのです。
・運動のもう一つの特徴が、住民の直接請求運動で非戦の街づくりを平時から行っていくことを条例化することにあります。直接請求は、無記名で行われる国民投票よりも住所・氏名・生年月日・押印の記載を求める点で重い意思表示です。この取り組みを全国で行うことで憲法改悪(新憲法制定)の国民投票で負けない実体をつくることができると思います。小田原をはじめ、是非全国に広げましょう。
<質疑応答>
◇市民自治について
・議会というものは利権を代表する人が議員となっており、国立では市長への抵抗勢力であり、市民のことよりも「どう市長をいじめて失点を増やすか」を頑張る人たちが多いのが実体です。
・必要に応じた懇談会をつくり、市民参加のプログラムを様々な段階で出していき、くり返し行っていくことで市の職員を教育して来ています。「できません」とは言わせません。「どうすれば出きるの考えなさい」返していくことで鍛えていきます。そうした中で市民も賢くなってきており、こうした市民参加のやり方は(たとえ市長が替わっても)後戻りできないところまで来ていると思います。
・現在市民がつくる財政白書を作成する所まで来ています。市の財政状況を全部明らかにすることで、市民の判断で財政の優先順位を決めてもらおうと言うことです。議員の発言や行動をチェックし評価を発表していく事も進めています。
・市民同士、誰もが「おたがいさま」と言い合える関係をつくっていきたいと考えています。
・夕張のような事態の背景には、「補助金が出るからどんどんやれ」とけしかけた人が必ずいます。借金をすれば必ず返さなければなりません。補助金で箱ものをつくれば見た目は大きな事をやったように見えます。そう言う意味では私が市長になってやった大きな事はありません。しかし、将来に渡って市民の抱える借金を考えれば、たとえ地味であっても借金をつくらず身の丈に合った行政をする事が大切だと考えてやってきています。
◇女性の政治参加について
・いまだに「女性」と言われるのは抵抗があります。世界では、女性が政治の場にいるのはもう当たり前になっていますが、日本ではまだまだ女性がいろいろな決定する場にいないので(内容ではなく)「女性」と言う言われ方にとどまってしまう様に感じます。私は、女性であるかどうかではなく「生活者」として考え発言し、行動して来ました。
・私が市長になったことは「女性が市長になれる」「市民が女性の市長を選べるんだ」という自信を与えたと思います。
・以前、東京都に対して食の安全の問題で11万人の署名を集めて議会でやりあった時に、最古参の議員が「生まれて初めて食べ物のことについて知った。」と声をかけてきたことがありました。それもあってか翌年は関連予算も増えました。そうした一つ一つの変化が、女性が出ていくことの大切さと考えています。
◇無防備運動について
・(戦争体制づくりが急速に進められようとする中では)もはや単に「守ろう」では闘えない所まで来ています。闘う道具が欲しい。それが国際人道法だったのです。
・ 全国で19の自治体がすでに取り組んでいる。どこも法定数以上を集めています。氏名・住所・生年月日・押印を求める責任の重い署名がなぜ思ったよりも多く集まるのでしょうか?自分の意思を表明したいという人が多くいるという事です。国立の運動も、今まで見たことも無い、初めて運動をする人たちが多く参加していて驚かされました。そうした広がりを期待できる運動だと思います。
・ 「ジュネーブ条約などどうせ守られないじゃないか」と言う乱暴な意見もありますが、それなら「守る人がいないから刑法は要らない」と言うことになるでしょうか?実態がそうでないならそうさせていくのが運動です。
・もしどこかの自治体で条例ができたとすると、大変な励みになると思います。自衛隊に出ていってもらう運動もできます。
・自分の知るところでは、千葉県の長生(ちょうせい)村の村長と新潟県の加茂市の市長が国民保護計画を造らない立場で、連絡を取り合っています。加茂市の市長の小池さんは元防衛庁の国際法担当で、民間人と自衛隊が一緒にいては危険だと一番解っている人です。この人はおもしろい人で、「10万本の赤十字の旗を用意しておき、各家庭に4本ずつ配り、いざ戦争となったら一斉にそれを振ることで戦争を放棄する」と言ってました。
・今年は北海道や九州にも運動が広がる様です。小田原でもぜひ頑張ってください。期待しています。
◇講演会後の交流の中で
・ 有事法制定の時は、何とかしなければと夜も眠れなくなって7キロもやせてしまい、与党のおじさん議員にも心配された。
・ 自分が出す人事案は全部議会で否決される。だからほとんど直接自分が入ってやるしかない状況。ある意味独裁政治です。
・ 何でも責任を持ってやりきるためには腹をくくることが大切。しっかりやれば信頼されみんながついてきます。
・ 私はまちづくりお宅なので、色々な街にでかけると「ここはこうすればもっとよくなるのに・・・」なんて考えてしまう。
・ 新人の職員への研修として、一緒について街を巡ります。そこで私の宝物(景観であり、市民自治の取り組風景・状況)を示し「あなた達も自分の宝物を見つけなさい。そして、それをどうやったら市民と一緒に守っていけるのかを考えなさい」という宿題を出します。
・ なぜかあの石原東京都知事の支持票と、私の支持票が重なっているということで調べてもらったら「国に対してはっきりとものを言う」と言う点で共通すると言うことでした。全く方向は違うので複雑な気持ちですが・・・
(などなどまだまだ書ききれない(正確に思い出せない)おもしろいお話がありましたが、紹介できずに残念です。
*以上書いてきましたが、録音をしていたわけではないので、漏れているところ、細かい言葉遣いや表現などは正確では無いところが多々あると思います。発言の意味内容ははずしていないと思いますが、発言順序が正確でないところもあると思います。その辺を考慮に入れていただけるようお願いします。)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年2月 3日 (土)

小田原市国民保護協議会傍聴要領??

 1月31日(この日が上級機関で定められた最終日)、小田原市国民保護協議会の傍聴に出かけました。市議会全員協議会室で開かれましたが、傍聴席は5席だけです。これを定めているのが「小田原市国民保護協議会傍聴要領」というもの。「協議会の内容を公開することが適当でないと認められるときは、非公開とすることができる」「傍聴する者の定員は、原則として5人とする」「会議資料を持ち帰ること—禁止」凄い協議会です。メンバーは「陸上自衛隊第1高射特科大隊長」などという怖い方の中に「小田原女子短大学長」なんて方も混じって、総勢30人。小澤良明会長が、誠に不機嫌な仏頂面で議長役を務めていましたが、何一つ「協議」はなく、まさに、「仏事」のごとく進行。あっという間に閉会。これで、「小田原市国民保護計画案」が決定です。市民に閉ざした小田原市の総仕上げなんでしょうか。これで、この協議会の役割は終了。県との法定協議は、今月で終了。計画作成完了。市議会3月定例会に「報告」して、公表とか。協議会メンバー、その責務の大きさにお気づきしょうか。
 この協議会を傍聴された方の、傍聴記をご一読ください。
----------------------------------------------------------------------------------------
午後2時に開始された協議会には40人の協議会メンバーと担当部局の役人そして座長の市長が参加していました。
「本日はご苦労様です」の市長の簡単な挨拶のあと、回覧された資料に基づきまず、パブリックコメントの報告がされました。
コメントは6つに簡単にまとめられて報告され、すべて「(意見の主旨が国や県の指示に基づく計画の策定主旨に則していないので)計画原案には反映しておりません」と言うような簡単な報告で葬られました。自衛隊との訓練の不安については、「災害時の自衛隊の実績をふまえており問題なし」という全くかみ合っていない返答が印象的でした。
その後、追加の報告として「今回、国民保護計画の策定について市議会より協議会に対して働きかけを求める陳情がありました」と、12月議会に提出した陳情書の陳情項目が紹介されましたが、すぐに「総務民生常任委員会で不採択となりました」と報告が続き、協議会メンバーの反応は皆無でした。
ここまでの報告を受けて市長が「何かご質問などありますか?」と問うが返答無し。市長「次に進みます」ここまでで7分経過。
次に30以上の修正事項の説明が下澤防災係長より行われました。すべて県の保護計画との整合性を目的としたもので、具体化された点は「武力攻撃等による多くの死体を小田原アリーナに収容」「破壊による瓦礫等はフラワーパークに搬送」など妙に具体的で全く空疎なものばかり・・・その説明が10分ほど続く
市長の「何か質問等ありますか?」の声。返答無し。市長「次に進みます」市長「配られております国民保護計画案について何か質問等ありますか?」(全体には78ページに渡る「小田原市国民保護計画(案)」が配布されている)
返答無し。
市長「次に今後の作成手続きについて報告お願いします」
担当者「本日この計画(案)が確認されましたので、このまま(案)として県の方にあげていきます。(1月末時点での案文をあげるように言われている)県の方で確認後、3月23日の総務民生常任委員会で報告し小田原市の計画として確定します」との報告。
市長「これで終わります」ここまでで、全体20分。会議参加者(傍聴者はのぞく)にコーヒーを配るために入ってきた給仕さん達が配り終わる前に会議は終了してしまった。
市民の権利制限や、戦争を前提とした自衛隊との訓練という、全く憲法とも地方自治とも相容れない問題だらけの計画案を話し合うにはあまりにもあっけなく、熱意も誠意もないお葬式の様な静かな場でありました。こうして無責任で事なかれ主義の人たちの手で民主主義が、地方自治が葬られていくのだという感じがしました。
会議室を出たところで、傍聴者の知り合いの参加者がいたので聴いたところ、「計画案文は事前に配布されて目を通してきている」と言うことでしたが、「あの内容で誰も問題を感じなかったのでしょうか?」と言う問いかけに、「前回すでに話し合っていますし、今回質問がでなかったのでそう言うことでしょう。」という無責任な返答でした。(話し合ったと言うけれど、前回の協議会の議事録を見ても質問ゼロでした)
その後、階段を下りる途中に声をかけてきた比較的若い協議会の参加者がいました。彼は「早く終わりましたね。日本人のする会議は・・・(わすれてしまいました)」と親しげに話しかけてきました。「どういった役職の方ですか?」と聴くと「海上保安庁のものです」と答え、「自分たちは法律がどうであれやりますから・・」と言うような発言を残して去っていきました。
しばしの時間の後、「いざとなれば超法規的に行動するということなのか。つまり今日のような形式的な会議は関係ないと言いたいのか」と解り腹が立ちました。彼が自分から(積極的に)声をかけてきたのには、防衛庁が省となり、地方選に自衛隊員が出馬するなど、彼ら軍関係者が勢いづいていることが背景にあるのだと思います。とにかくあらゆる機会を利用して自衛隊を売り込んでいくことが、国民保護計画に基づく訓練も含めて、今の政府の戦争体制づくりの主要な目的として進められてきていることが感じられました。
改めて、生活全般の軍事化の動きに対する明確な対案としての平和・非戦の条例制定運動があることを感じた傍聴でした。

| | コメント (7) | トラックバック (0)

« 2007年1月 | トップページ | 2007年3月 »