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2008年3月 3日 (月)

ながい旅

 大岡昇平さんの「ながい旅」という1982年の作品が映画化されました。ピカソの「ゲルニカ」が冒頭に大写しとなって「明日への遺言」と名付けられたこの映画は始まります。戦争と人間を終生のテーマとされた大岡さんにとっても、73歳にもなられてからの、ノンフィクションに近いようなこの作品の執筆は、かなりご苦労が多かったのではないかと、自らも同じ年になったせいもあってか、ひどく感嘆いたします。この作品の執筆時のわが国の風情は、37年も前の戦争責任、戦争犯罪などはどこ吹く風で、バブル経済に入ろうとする中曽根時代を準備して浮かれていたのです。そして、「戦後レジームからの脱却」などと更なる傲慢さを振りまいた政権が消えてすぐのこのときの映画化については、様々な視点から評価されることでしょう。
 私が感じ取ったことは、「戦争責任」が自国民によって裁かれずに放置されていることです。「武藤調書」として、この映画の主人公、被告東海軍司令官岡田資中将に論難される場面が示されますが、この調書は、横浜戦犯裁判開始に当たって、昭和21年2月21日付けで作られた第1復員省(元陸軍省)山上宗治法務少将による東海軍法務少将に対する取り調べ調書です。この調書は、岡田中将の訴因であるB29搭乗兵の惨殺処刑が、東海軍が陸軍省の許可なく行われたものとする調書です。この調書を取られた東海軍法務少将は自殺しています。帝国陸軍の組織がなにを守ろうとしていたのか、犯罪責任をトップにかぶせまいとしていたのか、現場を殺しても組織を守るという伝統は続いているのかなと思わせる場面でした。
 東京裁判(極東国際軍事裁判)や49箇所で行われたBC級裁判は、すべて米軍など勝利国のもとに行われています。戦争敗北による臨時特別な裁判であたかも、戦争の継続もしくは報復のように納得されたままの様ですが、この映画では、搭乗兵の無差別爆撃という犯罪者の処罰としての死刑執行であった、手続は些か杜撰であったかもしれないが、あくまで軍律による決定であるとして、「決して報復ではない」としていました。このことで、直ちにこの米兵処刑が正当化されるとは思えませんが、米国の「犯罪」執行者を処罰したもので、捕虜ではないと被告の主張は、明確でした。
 戦闘員と非戦闘員を明確に区分して、非武装の非戦闘員の無差別殺戮を指弾した被告と弁護士(米国人)の論理は明確でした。いまだ、戦犯裁判が正当な、国際的な手続のもとになされた実績は見えませんが、国際的な戦争犯罪の司法所が必要であることを、この戦争でもイラク戦争でも、裁判が勝者の報復となっていることは、とてもつらいことです。
 まだまだ、いろんなことを考えさせてくれる映画「明日への遺言」です。

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コメント

>私が感じ取ったことは、「戦争責任」が自国民によって裁かれずに放置されていることです。

 戦渦を経験した方に、不遜ながら少し反論します。
 
 いわゆるサンフランシスコ講和条約締結によって日本国の独立が承認された後、日本国の国会においては議員発議による国会決議として、戦争犯罪人とされた方々を国内法による犯罪人とせざることを満場一致で決議しております。
 これにより、全ての戦没者(空襲などの無差別殺人の被害者などは別です)遺族に対する遺族年金の支給が開始されます。
 これを無視して、今更に自国民による裁きを持ち出すのでは、法理を無視した時代錯誤であります。
 
 結論として言えば、オバマが大統領になるとすれば、あの時代の「日本の暴挙」がなせる業であるということです。
 タイ、チベット、日本くらいしか独立国の無かったアジアにおいて、日本が生き残れる可能性はあったのでしょうか?

 
 

投稿: 加藤哲男 | 2008年3月 4日 (火) 18時01分

加藤さん
 「戦争責任」が自国民によって裁かれずに放置されている、という言い回しは言葉足らずだったようです。加藤さんのいわれる通り、国内「法」によって犯罪人を生み出すことはないでしょう。私は、国家の司法による判決を求めている訳ではありません。「戦争の責任」を自国民、日本の人々によって裁く努力がなされないまま、経済興隆とひきかえに忘却していることを指摘したのです。もし、体制による司法の判断をするのであれば、国際的な戦争犯罪の司法所によるべきでしょう。
 植民地時代のアジアで「日本が生き残れる可能性はあったのでしょうか?」もちろん国の独立は、現在より強く継続したと思います。現在の日本国の姿は、まさに「生き残った」というものではないでしょうか。
 お考えをお寄せいただきありがとうございました。

投稿: 松本 茂 | 2008年3月 5日 (水) 07時23分

 「明日への遺言」この映画に共感するのは、たぶん、過ちを革むるに憚る官吏の専横が顕著な時代であるからこそだと思います。
 間違いを間違いと認めると、組織の存在意義を失うがごとき錯覚の中に、彼らは埋没してしまっています。
 環境に順応できないと絶滅するのが自然界のあるべき姿ですが、人間界ではそのようなことにならず、自己防衛本能がさらに鋭敏になっていくようです。
 日々の教訓が生かされていないと思うことが、最近、随分と目立ってきているようです。

投稿: 加藤哲男 | 2008年3月 6日 (木) 07時43分

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