« 2008年3月 | トップページ | 2008年5月 »

2008年4月

2008年4月30日 (水)

伊達判決の破棄

 今日の神奈川新聞で、49年前の「伊達判決」に対しての米国指示による検察側跳躍上告と最高裁長官との「密談」などが米国公文書から明らかになったと報道されました。この時代、私も公務員組合の一員として立川基地の鉄条網の前に行ったことがあり、伊達判決を高ぶった気持ちで受け入れた記憶があります。この米国公文書を発見された新原昭治さんは、著名な国際問題研究者ですが、76歳と言うかなりのご高齢で「アメリカ国立公文書記録管理局(本館ワシントンD.C.)」という異空間で、文書やデータの記録の山の中から「発見」された努力に涙がでる思いがいたしました。研究者魂はもちろんですが、日米政府のひずんだ関係に対する許し難い思いを抱かれていたからこそ、この貴重で重大な発見をされたのでしょう。東京地裁判事の伊達秋雄さんの冷徹な決断、それを49年後に再生された新原さんの努力からは、大きな勇気をいただきました。
 ここには、毎日新聞の記事を転載します。
============================
砂川裁判:米大使、最高裁長官と密談 1959年、1審「日米安保違憲」破棄判決前に
 米軍立川基地(当時)の拡張に反対する住民らが基地内に侵入した砂川事件で、基地の存在を違憲とし無罪とした1審判決を破棄し、合憲判断を出した1959年の最高裁大法廷判決前に、当時の駐日米大使と最高裁長官が事件をめぐり密談していたことを示す文書が、米国立公文書館で見つかった。当時は基地存在の根拠となる日米安保条約の改定を目前に控え、米側と司法当局との接触が初めて明らかになった。
◇米で公文書発見
 国際問題研究者の新原昭治さん(76)が、別の事件に関する日本と米国の交渉記録などを公文書館で閲覧していて発見した。大使は、連合国軍総司令官のマッカーサー元帥のおいであるダグラス・マッカーサー2世。最高裁長官は、上告審担当裁判長の田中耕太郎氏だ。
 文書は、59年4月24日に大使から国務長官にあてた電報。「内密の話し合いで担当裁判長の田中は大使に、本件には優先権が与えられているが、日本の手続きでは審議が始まったあと、決定に到達するまでに少なくとも数カ月かかると語った」と記載している。
 電報は、米軍存在の根拠となる日米安保条約を違憲などとした59年3月30日の1審判決からほぼ1カ月後。跳躍上告による最高裁での審議の時期などについて、田中裁判長に非公式に問い合わせていたことが分かる内容。
 これとは別に、判決翌日の3月31日に大使から国務長官にあてた電報では、大使が同日の閣議の1時間前に、藤山愛一郎外相を訪ね、日本政府に最高裁への跳躍上告を勧めたところ、外相が全面的に同意し、閣議での承認を勧めることを了解する趣旨の発言があったことを詳細に報告していた。
 新原さんは「外国政府の公式代表者が、日本の司法のトップである、担当裁判長に接触したのは、内政干渉であり、三権分立を侵すものだ」と話している。【足立旬子】
◇批判されるべきだ--奥平康弘東大名誉教授(憲法学)の話
 田中長官が裁判について詳しくしゃべることはなかったと思うが、利害関係が密接で、当事者に近い立場の米国大使に接触したことは内容が何であれ批判されるべきことだ。当時の日米の力関係を改めて感じる。
◇安保改定へ日米連携--我部(がべ)政明・琉球大教授(国際政治学)の話
 安保条約改定の大枠は59年5月に固まっている。1審判決が出た3月は、日米交渉がヤマ場を迎えた時期だ。日米両政府が裁判の行方に敏感に反応し、連携して安保改定の障害を早めに処理しようとしていた様子がよく分かる。日本は、米国による内政干渉を利益と判断して積極的に受け入れていたことを文書は示している。
============================
砂川裁判:密談文書 「司法の独立、どこへ」 元被告、怒りあらわ
◇1審裁判官「面識あるの当然」
 60年安保闘争へと続く米軍基地を舞台とした砂川闘争での基地侵入事件(砂川事件)の判決をめぐり、駐日米大使と、最高裁長官、外相が接触を重ねていたことが米国の外交文書で明らかになった。文面からは、安保体制への影響を最小限に抑えようとの米国側の狙いが浮かぶ。当時の被告は「司法の独立はどうなるのか」と怒り、元裁判官は「司法行政のトップが大使と話すことはありえる」と長官を擁護した。【井崎憲、武本光政】
 7人いた事件の被告のうち当時学生としてデモに参加していた土屋源太郎さん(73)は「外国の大使に長官がなぜ審理見通しを語らなければならないのか。けしからん話だ」と批判した。
 裁判では、大使からの「アドバイス」もあり、政府は最高裁に跳躍上告。60年の日米安保条約改定に間に合わせるように、59年12月に最高裁が判決を出し、無罪や米軍駐留の違憲判断はくつがえった。「3審を受ける権利を踏みにじられたと思うと悔しい」と話した。
 上告審弁護団の一人で、元参院議員(共産)の内藤功弁護士(77)は「危惧(きぐ)はしていたが、実際にここまでやっているのかと驚いた」と述べ、「今後も安保条約や自衛隊の絡む訴訟は監視しないといけない」と話した。
 1審判決で陪席裁判官だった松本一郎独協大名誉教授(77)は「大使がかなりショックを受けて、慌てふためいていた感じがする。初めて聞く話で、興味深い」と述べた。一方で田中耕太郎・最高裁長官と大使との接触については「最高裁長官は司法行政の長というポスト。米国大使とは当然面識があっただろうし、仮に大使が電話をしてきたとして、『話をしません』とは言えないだろう」と冷静に受け止めた。
 米大使と密談したとされる田中長官は、内務官僚や文相を経て50年から10年間、第2代長官を務めた。55年にあった裁判所長らの会合では「ジャーナリズムその他一般社会の方面からくる各種の圧迫に毅然(きぜん)としなければならない」と訓示し、話題となった。74年に死去。
 1審東京地裁の判決を出した伊達秋雄裁判長は退官後、「外務省機密漏えい事件」の弁護団長などを務め94年に死去している。
============================
■大使が最高裁長官と密談したことを示す文書の全文■
 (日本語訳)最高裁は4月22日、最高検察庁による砂川事件の東京地裁判決上告趣意書の提出期限を6月15日に設定した。これに対し、弁護側はその立場を示す答弁書を提出することになる。
 外務省当局者が我々に知らせてきたところによると、上訴についての大法廷での審議は、恐らく7月半ばに開始されるだろう。とはいえ、現段階では決定のタイミングを推測するのは無理である。内密の話し合いで担当裁判長の田中は大使に、本件には優先権が与えられているが、日本の手続きでは審議が始まったあと、決定に到達するまでに少なくとも数カ月かかると語った。 マッカーサー
============================
■砂川事件を巡る動き(< >内部分は今回文書で明らかになった)
51年 9月 8日 日米安保条約締結
57年 7月 8日 米軍立川基地の拡張反対派が基地内に立ち入る
    9月22日 警視庁が反対派23人を刑事特別法違反容疑で逮捕(後に7人が起訴)
59年 3月30日 東京地裁が違憲判断し7人に無罪判決
31日 <マッカーサー大使が藤山外相に最高裁への跳躍上告を勧める>
4月 3日 検察側が跳躍上告
24日 <大使が、田中耕太郎・最高裁長官との密談を米国務長官に電報で報告>
12月16日 最高裁が合憲判断で差し戻し
60年 1月19日 新安保条約締結
7月 7日 東京地裁で差し戻し審開始
61年 3月27日 東京地裁が合憲判断で7人に有罪判決
63年12月25日 最高裁が上告棄却を決定。有罪確定
77年11月30日 米軍立川基地が横田に移転し、日本に全面返還
毎日新聞 2008年4月30日 東京朝刊
============================
 長文の転載記事で、恐縮です。この事実は近代法治国家を自認するわが国にとって、驚愕の事実のはずですが、どう処理されて行くのでしょうか。済んだことは水に流そうということでしょうか。過去を蒸し返すのは「自虐行為」だというのでしょうか。敗戦国だから仕方がないのでしょうか。もしこれが、米国での出来事だったら、政権は吹き飛ぶでしょうね。(判決文は松山大学田村譲/たむらゆずる教授のサイトから)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月25日 (金)

ねんきん特別便

 話題の「ねんきん特別便」が当方にも届きました。社会保険業務センターは、いったい何社のメール屋さんに発注されたのでしょうか。何通お出しになったのでしょうか。貧乏人のせいか、この特別便の経費が心配です。2000万通×150円とすると、30億円ですね。実際は事務費などでこの数倍も掛るのでしょうね。私もわずかながら年金をいただいている身ですから、先様の懐具合が心配になります。でも10兆、20兆という世界での100億、200億ですから、わずかなことなんですかね。
 中身のレターは、結構な分量があって読む気が起きません。放ったらかしていたところに、共済組合からも「年金加入記録のお知らせ(公務員共済ねんきん特別便)」が届きました。あれあれと、両者を比べてみると、加入月数があきらかに違うのです。「疑問な点があれば、まずはねんきん特別便専用ダイヤルへ!」と親切に大きく書かれた先に電話で済ませようなどと怠け心でお掛けしましたがーーー。そりゃあそうですね。そう簡単に掛るわけがない。受付開始の午前9時少し過ぎでしたが「ただ今混み合っております。しばらくお待ちいただくか、お掛け直し下さい」の自動音声。毎度のこととは言え、これはアクセスさせないバリアだぞ。
 ここでまず挫折。思い直した午後3時ころ再チャレンジ。今度は心構えが出来ているので、「しばらくお待ち」する覚悟ができていますぞ。でも5分も待たずに通話できました。
1)加入月数の違いのこと それは厚生年金の期間算定の手法と公務員共済組合の手法が違うので起きたこと。厚生年金では1ヶ月に満たないものは切り捨て、共済は切り上げだからです。共済年金の計算が違っていても年金支給額には違いが出ませんので「問題ありません」との回答。でも資格取得年月日と喪失年月日を勝手に自分の都合で変えてしまっていいのですかね。
2)「年金記録」記載では無年金期間があるように書いてあること それは国民年金の加入限度が60歳、共済年金の加入限度が70歳という違いがあるため。これも問題ありませんとの回答。
 なるほどと納得しましたが、いささか釈然とはしない気持ちになりました。複雑怪奇な仕組みにして、源泉徴収あるいは自動引き落としで納付させているからには、もう少しすっきりした仕組みに出来ないものでしょうかね。
 年金支給の申請をしたときに、国民年金と共済年金の二重納付があるので、支給できない。まず、二重納付の返還請求をしなさい。支給申請はそれからだ。そう言われたことを思い出しました。保険制度というのは公的制度であろうと、民間保険であろうと、なんだかんだと支給減額に知恵を絞るものなんでしょうね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月14日 (月)

朝ドレファ〜ミ♪

 『JAかながわ西湘の大型農産物直売所「朝ドレファ〜ミ♪」が14日、小田原市成田にオープンする。小田原など県西部2市8町の農家325人が、市場では扱われない「1個」「1袋」単位でも野菜や果物などを出荷、消費者は安全でおいしく、しかも安い農産物を手にできる。さらに参加農家が畑を広げるきっかけになり、地域農業の活性化につながることが期待されている。----「朝ドレ」は国道255号に隣接し、来年3月開通予定の県道国府津・穴部線に面しており、売り場面積は約370平方メートル。営業時間は午前9時半から午後6時(水曜定休)。【澤晴夫】毎日新聞2008.4.13.』
 というわけで、今朝はあいにくの雨模様でしたが、意を決して出かけました。国道255号成田交差点の2つ手前信号を左折するのですが、案内を見落としたのか、行き過ぎてしまい引き返して右折。未来の県道国府津・穴部線からは「朝ドレ」に右折侵入ですが、警備員に右折を阻止されて直進してUターン、引き返して左折侵入という難儀があります。ご注意ください。こう言うのは、出ばなをくじかれてしまいますね。
 92台分ある駐車場は、早くも満車状態。施設はピカピカです。ファーマーズマーケットの生産者直売のイメージで出かけると、違和感がありますので、JAスーパーマーケットとして納得して行って下さい。野菜果物は新鮮で「高くない」「安い」と妻は申しておりました。顔見知りの2紙の記者が取材中でしたので、私もこのブログのためにカメラを取り出したら、撮影は困りますと叱られてしまいましたが、「朝ドレ」の宣伝ブログのためですよと言って許していただきました。いつもの癖で、なぜダメなのと問いただしましたら「近隣の商店などが情報収集にくるので」とのこと。何かご事情があるのでしょうが。あまり爽やかな気分ではありませんでした。
 いろんな野菜を一抱え買い求めてきましたが、「こんなに蕗を買ってしまったけど、仕込みが大変だ」と妻はぼやいていました。ぜひお出かけになり、いろいろ支援や注文など投げかけて下さい。我が家も週に1回は出かけそうです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

市長選・立候補予定者のお話を聞く会

 今日2008年4月13日(日)、標題の集まりに参加しました。小田原市にとっては、今回の選挙は一寸奇妙な展開で始まりました。
◆前回2004年の選挙で惜敗したK氏(43歳)はこの4年間、再チャレンジのために運動を継続されて、昨年11月27日に「持続可能な、市民自治のまちづくりを進めて行きたい」として、正式に市長選立候補を表明しました。
◆現市長小澤良明氏は再選を目指すと考えられていましたが、突如12月5日に「自分の人生としても、このくらいがちょうどいいんじゃないかと考えた」として「不出馬」を表明しました。
◆これを受けてか12月18日、7月の県議選を断念していた前県議Y氏(無所属60歳)が「「主治医からのお墨付きをもらい、周囲の関係者からの後押しもあったので決意した」と出馬宣言。
◆続いて新年1月15日には、無投票当選した5期目の県議T氏(民主党64歳)が、「育ててもらった小田原のために恩返しするつもりで出馬を決意」と表明されました。
 こうして、現在3人の立候補予定者がそれぞれ熱心に動かれていますが、なんと3氏そろっての「立会演説会」やら3氏が時間差で政策を述べるという大小の「集い」が各地で行われるようになってきました。今日の「集い」はたいへん少人数でしたのでしっかりお話が聞けました。
 はじめに県議T氏が登場し、代議士秘書20年県議21年の経験を披露され、40項目の多岐にわたるマニフェストを説明されました。「オーシャンクルーズの充実」「花いっぱい城下町づくり」など楽しげなものもありましたが、数値目標を示されたのは、歳出の10億円削減、職員数100人以上の削減、市長交際費を30%カットなど、時期目標は2市8町合併はできるところと法定期限内に達成とされました。争点の「城下町ホール」については、議会承認などすべての手続が違法性なく済んでいるので現計画で実施するのは当然のこと、見直しを言うのであれば、市長のリコール、市議会の解散要求をするべきで、監査請求や住民訴訟などはおかしいと、やや語気を強めてお考えを語られました。
 つづいて、前回は39歳で挑戦したK氏も、この4年間の精力的な活動で大きくなられたのか、20分間と制限をされましたが自信を持ってマニフェストを語られました。彼のマニフェストはかなり具体的な施策を掲げたもので、市民参加では「地域運営協議会」「分野別市民会議」、医療福祉では「市立病院の役割特化」「地域抱括支援体制・ケアタウン」、行財政では「職員の地域担当制」「行政情報HPデータ公開」などが注目されました。「城下町ホール」は全面的に見直して駅前再開発用地に計画、三の丸地区は博物館、美術館、図書館、物産センターなどの来訪客施設に、閉鎖されている地下街は、市民や来訪者の交流拠点利用にすると明快でした。合併問題では、法定期限内での無理押しはしない、5-10年覚悟で民意の確認を得て進めるとしました。
 ここまでで4時間経過、さすがに疲労が極限に達し、前県議Y氏の登場時にはマニフェストをいただくのが精一杯で、失礼せざるを得ませんでした。他の機会にお話を伺います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月12日 (土)

閉ざされた議会

 先に3月28日の記事「市民と議会の姿」で、小田原市議会3月定例会の最終日の様子を書きました。平成20年度予算の採決に関して、個々の議員の賛否の姿が明らかにされないまま議事が終結することについて触れました。賛否を議会だよりなどで市民に広く公開すべきという意見が以前から出されていますが、議員のみなさんからは、賛否に至るプロセス抜きで、賛否のみが公表されるのには賛同できないという意見もあります。確かに公式の議事録を拝見すれば、議員のみなさんのご意見は、本会議でも委員会でも知ることができます。ただ、議事録の公開が3ヶ月後では、ものの役に立ちません。市民はリアルタイムで知りたいのです。
 本会議は、全日程がビデオ記録、オーディオ記録に残されています。ただ、この記録は議事録を作るためのものとしているので、作成作業終了とともに消去するというのです。
 小田原市情報公開条例第6条によって、このビデオ記録、オーディオ記録の公開を請求しましたが、議長より『公文書不存在決定通知』をいただきました。条例第2条第2項では『「公文書」とは、実施機関の職員が職務上作成し、又は取得した文書、図画及び電磁的記録であって、当該実施機関の職員が組織的に用いるものとして、当該実施機関が保有しているもの』とされておりますので、当然に公開されるべきものです。ところが、同項の第3号で『文書又は図画の作成の補助に用いるため一時的に作成した電磁的記録であって、市長(議会にあっては議長、小田原市土地開発公社にあっては理事長)が定めるもの』は除くとし、小田原市情報公開条例施行規程第2条第1号で『会議その他これに類するものの記録を作成するために録音又は録画をした録音テープその他の記録媒体に記録されている電磁的記録』は公文書から除くと「議長が定めた」から、不存在だというのです。
 行政府が作成あるいは保有している文書は、原則としてすべて公開すべきものです。特に議事録の公開までに3ヶ月もかかり、同時に議事録では洗わせない情報が記録されているに、これを公開、保存せず消去してしまうというのは、議会の非公開体質、市民軽視思想を示すと言えるのではないでしょうか。条例の精神が、一片の議会告示で否定されてしまうのは信じ難いことです。
 小田原市議会議員諸兄姉、「開かれた議会」を目指すためにも、議会告示の見直しを切望します。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月 7日 (月)

市政府と自治会

 年度末31日に「ひと・まち・ふれあい 第83号 平成19年度第3号 平成20年3月臨時発行 小田原市自治会総連合 会長 冨川正秀」という回覧物が送付されて来ました。
 この臨時号の内容は、表面のみ画像を添付しましたが、「城下町ホールの一日も早い完成を願って」という趣旨で、次のような主張をなさっています。
 「市議会では陳情を採択したのに、住民軽視、議会軽視だ」「県議会、市議会両方の意思を無視した行為」「市や市議会が県に対して早期着工を強く働きかけること」「県企業庁は工事に着手しない理由やスケジュールを明確にしていない」
 冨川会長の陳情が採択されたこと、市議会と県議会が予算承認したこと、協定書が締結されたこと、すべてその通りです。しかし、企業庁はこう回答しています(2月25日)「小田原市民の皆様に喜んでいただける施設として建設を進めたい」「計画の見直しを求める住民訴訟が提起されており、さらには近々行われる小田原市長選挙を前に様々なご意見がある」「これまで培ってまいりました県市の信頼関係を維持するためには、慎重な対応が必要と考えております」
 企業庁の配慮は、まったく妥当なことだと思います。議会が予算承認したという論理が、正当性の根拠とされますが、どのような取り返しのつかないような失政でも議会承認は得ています。施策の瑕疵が明らかになっても、あるいはその疑いが濃厚でも、「手続は終った、執行する」というのは真っ当な判断でしょうか。「道筋を付けた」だけの二つの大きなリスクを残して立ち去るのはいかがなもんでしょうか。この道筋をこれまで通り辿っていくと言う新市長を選ぶのか、リスクを解除すべしと言う市長を選ぶのか、市民の判断が5月には出ます。
 あきらかに争点となっているこの施策について、「自治会」の会長があえて「組織の判断」を示されること、信じ難い暴挙です。昨年の「推進陳情」事件では、その陳情趣旨で「20万市民が待ち望んでいる(仮称)城下町ホールの整備を、一部の人たちが意見広告などを用い、遅延させようとしています。ーーー1〜2年かけて考え直した方が良いという意見広告などに惑わされず、ーーー平成19年度着工に向けて、事業を推進していただくことを切望ーーー」などとしたことが思い出されます。(2007年1月24日のブログをご覧ください。http://peacecafe.tea-nifty.com/forum/2007/01/post_5cb6.html#comments
 自治会は住民にとって、極めて重要な自治組織です。この自治組織の会長が、選挙の争点に真っ正面から介入し、行政支援に回わることに自責の念はないのでしょうか。昨夕のNHKスペシャル「激流中国 北京 怒れるニュータウン わき上がる住民パワー」をご覧になったでしょうか。見逃した方、ぜひ再放送をご覧願います。「地域自治」「住民自治」と地方政府の関係を鋭くついています。私たちの市長選挙でも、地域自治の問題をしっかり考えて候補者を選択をしてもらいたいものです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月 2日 (水)

されどネーミング

 今朝の神奈川新聞県西面に「小田原に大型直売所]との見出しで5段記事がありました。以前から、さまざまな機会に「ファーマーズマーケットをぜひぜひ」と言い続けてきましたので、本当に嬉しいことです。14日の月曜日、開店早々に駆けつけようと思っています。パリやサンフランシスコ、ニューヨークなど、世界のどこでもこの朝市は町の暮らしに必須のものになっているのに、なんでわが国ではダメなのと思っておりました。記事によると100坪強の木造平屋建ての売り場があり、324の出荷者でスタートするとのことです。なにか、施設先行のような気もしますが92台の駐車場があるそうですので、ぜひ順調な運営で繁盛してもらいたいものです。
 でも、この話で以前から気になっていたこと、ネーミングです。「朝ドレファ〜ミ♪」って何なんでしょうか。このJAかながわ西湘農産物直売所のHPによると『「朝採れ」新鮮農産物、「ファーマーズ」農家、「ファミリー」家族、プラス「♪ドレミファ・・・」の音階をもじってリズミカルなイメージを出しています。農家の皆さんが丹精込めて育てた新鮮な農産物を家族みんなで揃って、楽しみに買いに来てくれる・・・そんなお店を目指したい。生産者と消費者をつなぐ懸け橋になりたいという願いを込めた名前です。』と説明されています。
 ご苦労して命名なさったのでしょうが、もう少し普通の名前に出来なかったのでしょうか。なにか政治的、地域的な配慮などがあったのでしょうか。何とも不思議な気がします。ネーミングが成功すればその事業の成功は半分以上保証される、と言われていますのでとても気になります。お店や会社などでも、うーんと首を傾げるネーミングに良くぶつかりますが、「世界にきらめく明日の1000年都市」などと言うのもナゾナゾのようで、不思議な気分にさせられます。
 ネーミングにもいろいろあります。まず、「日本国」。アメリカ合衆国とか朝鮮人民民主主義共和国とかフランス共和国とかリヒテンシュタイン公国とか、国名はなにか政体を示すのが普通のようで、わが国も新憲法以前は、大日本帝国と称していたはずです。帝国でも立憲君主国でもないしもちろん共和国でもないし、なんでもないから日本国なんでしょうか。カナダもカナダです。英連邦王国の一員ですが、カナダ王国では、実態と違うと言うことでしょうか。国名もネーミングは難しいですね。
 保守政治家の一部、「美しい国」派の方は、日中戦争とアジア太平洋戦争を「大東亜戦争」と言うのに拘られます。このネーミングは、12月8日の4日後に閣議決定して、「今次の対米英戦は、支那事変をも含め大東亜戦争と呼称す。大東亜戦争と呼称するは、大東亜新秩序建設を目的とする戦争なることを意味するものにして、戦争地域を主として大東亜のみに限定する意味にあらず」と発表された大日本帝国政府によるネーミングです。フィリピン、ベトナム、ラオス、ビルマ、カンボジア、満州国などと中華民国(汪兆銘政権)が、日本を盟主とした「大東亜共栄圏」を築くための戦争だったのです。雄図むなしく無惨な結果に終わりましたが、まだこの理想に燃える方々は、このネーミングを捨てきれないのでしょうか。
 もう一つ、時間のネーミングです。1979年(昭和54年)6月12日に公布・即日施行された元号法にはこうあります。「1 元号は、政令で定める。2 元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める。」政令「内閣は、元号法(昭和五十四年法律第四十三号)第一項の規定に基づき、この政令を制定する。元号を平成に改める。」ということ。法定のネーミングです。元号は、明治以降天皇一代一元号になりましたが、神武以来数百の元号があります。それぞれ国学者が精神活動を総動員してネーミングしたものでしょう。美しいものも、あれっというものもあるやに思います。
 美しい、品性のあるネーミングがほしいですね。これも大きなまちづくり文化です。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

« 2008年3月 | トップページ | 2008年5月 »