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2008年4月30日 (水)

伊達判決の破棄

 今日の神奈川新聞で、49年前の「伊達判決」に対しての米国指示による検察側跳躍上告と最高裁長官との「密談」などが米国公文書から明らかになったと報道されました。この時代、私も公務員組合の一員として立川基地の鉄条網の前に行ったことがあり、伊達判決を高ぶった気持ちで受け入れた記憶があります。この米国公文書を発見された新原昭治さんは、著名な国際問題研究者ですが、76歳と言うかなりのご高齢で「アメリカ国立公文書記録管理局(本館ワシントンD.C.)」という異空間で、文書やデータの記録の山の中から「発見」された努力に涙がでる思いがいたしました。研究者魂はもちろんですが、日米政府のひずんだ関係に対する許し難い思いを抱かれていたからこそ、この貴重で重大な発見をされたのでしょう。東京地裁判事の伊達秋雄さんの冷徹な決断、それを49年後に再生された新原さんの努力からは、大きな勇気をいただきました。
 ここには、毎日新聞の記事を転載します。
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砂川裁判:米大使、最高裁長官と密談 1959年、1審「日米安保違憲」破棄判決前に
 米軍立川基地(当時)の拡張に反対する住民らが基地内に侵入した砂川事件で、基地の存在を違憲とし無罪とした1審判決を破棄し、合憲判断を出した1959年の最高裁大法廷判決前に、当時の駐日米大使と最高裁長官が事件をめぐり密談していたことを示す文書が、米国立公文書館で見つかった。当時は基地存在の根拠となる日米安保条約の改定を目前に控え、米側と司法当局との接触が初めて明らかになった。
◇米で公文書発見
 国際問題研究者の新原昭治さん(76)が、別の事件に関する日本と米国の交渉記録などを公文書館で閲覧していて発見した。大使は、連合国軍総司令官のマッカーサー元帥のおいであるダグラス・マッカーサー2世。最高裁長官は、上告審担当裁判長の田中耕太郎氏だ。
 文書は、59年4月24日に大使から国務長官にあてた電報。「内密の話し合いで担当裁判長の田中は大使に、本件には優先権が与えられているが、日本の手続きでは審議が始まったあと、決定に到達するまでに少なくとも数カ月かかると語った」と記載している。
 電報は、米軍存在の根拠となる日米安保条約を違憲などとした59年3月30日の1審判決からほぼ1カ月後。跳躍上告による最高裁での審議の時期などについて、田中裁判長に非公式に問い合わせていたことが分かる内容。
 これとは別に、判決翌日の3月31日に大使から国務長官にあてた電報では、大使が同日の閣議の1時間前に、藤山愛一郎外相を訪ね、日本政府に最高裁への跳躍上告を勧めたところ、外相が全面的に同意し、閣議での承認を勧めることを了解する趣旨の発言があったことを詳細に報告していた。
 新原さんは「外国政府の公式代表者が、日本の司法のトップである、担当裁判長に接触したのは、内政干渉であり、三権分立を侵すものだ」と話している。【足立旬子】
◇批判されるべきだ--奥平康弘東大名誉教授(憲法学)の話
 田中長官が裁判について詳しくしゃべることはなかったと思うが、利害関係が密接で、当事者に近い立場の米国大使に接触したことは内容が何であれ批判されるべきことだ。当時の日米の力関係を改めて感じる。
◇安保改定へ日米連携--我部(がべ)政明・琉球大教授(国際政治学)の話
 安保条約改定の大枠は59年5月に固まっている。1審判決が出た3月は、日米交渉がヤマ場を迎えた時期だ。日米両政府が裁判の行方に敏感に反応し、連携して安保改定の障害を早めに処理しようとしていた様子がよく分かる。日本は、米国による内政干渉を利益と判断して積極的に受け入れていたことを文書は示している。
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砂川裁判:密談文書 「司法の独立、どこへ」 元被告、怒りあらわ
◇1審裁判官「面識あるの当然」
 60年安保闘争へと続く米軍基地を舞台とした砂川闘争での基地侵入事件(砂川事件)の判決をめぐり、駐日米大使と、最高裁長官、外相が接触を重ねていたことが米国の外交文書で明らかになった。文面からは、安保体制への影響を最小限に抑えようとの米国側の狙いが浮かぶ。当時の被告は「司法の独立はどうなるのか」と怒り、元裁判官は「司法行政のトップが大使と話すことはありえる」と長官を擁護した。【井崎憲、武本光政】
 7人いた事件の被告のうち当時学生としてデモに参加していた土屋源太郎さん(73)は「外国の大使に長官がなぜ審理見通しを語らなければならないのか。けしからん話だ」と批判した。
 裁判では、大使からの「アドバイス」もあり、政府は最高裁に跳躍上告。60年の日米安保条約改定に間に合わせるように、59年12月に最高裁が判決を出し、無罪や米軍駐留の違憲判断はくつがえった。「3審を受ける権利を踏みにじられたと思うと悔しい」と話した。
 上告審弁護団の一人で、元参院議員(共産)の内藤功弁護士(77)は「危惧(きぐ)はしていたが、実際にここまでやっているのかと驚いた」と述べ、「今後も安保条約や自衛隊の絡む訴訟は監視しないといけない」と話した。
 1審判決で陪席裁判官だった松本一郎独協大名誉教授(77)は「大使がかなりショックを受けて、慌てふためいていた感じがする。初めて聞く話で、興味深い」と述べた。一方で田中耕太郎・最高裁長官と大使との接触については「最高裁長官は司法行政の長というポスト。米国大使とは当然面識があっただろうし、仮に大使が電話をしてきたとして、『話をしません』とは言えないだろう」と冷静に受け止めた。
 米大使と密談したとされる田中長官は、内務官僚や文相を経て50年から10年間、第2代長官を務めた。55年にあった裁判所長らの会合では「ジャーナリズムその他一般社会の方面からくる各種の圧迫に毅然(きぜん)としなければならない」と訓示し、話題となった。74年に死去。
 1審東京地裁の判決を出した伊達秋雄裁判長は退官後、「外務省機密漏えい事件」の弁護団長などを務め94年に死去している。
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■大使が最高裁長官と密談したことを示す文書の全文■
 (日本語訳)最高裁は4月22日、最高検察庁による砂川事件の東京地裁判決上告趣意書の提出期限を6月15日に設定した。これに対し、弁護側はその立場を示す答弁書を提出することになる。
 外務省当局者が我々に知らせてきたところによると、上訴についての大法廷での審議は、恐らく7月半ばに開始されるだろう。とはいえ、現段階では決定のタイミングを推測するのは無理である。内密の話し合いで担当裁判長の田中は大使に、本件には優先権が与えられているが、日本の手続きでは審議が始まったあと、決定に到達するまでに少なくとも数カ月かかると語った。 マッカーサー
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■砂川事件を巡る動き(< >内部分は今回文書で明らかになった)
51年 9月 8日 日米安保条約締結
57年 7月 8日 米軍立川基地の拡張反対派が基地内に立ち入る
    9月22日 警視庁が反対派23人を刑事特別法違反容疑で逮捕(後に7人が起訴)
59年 3月30日 東京地裁が違憲判断し7人に無罪判決
31日 <マッカーサー大使が藤山外相に最高裁への跳躍上告を勧める>
4月 3日 検察側が跳躍上告
24日 <大使が、田中耕太郎・最高裁長官との密談を米国務長官に電報で報告>
12月16日 最高裁が合憲判断で差し戻し
60年 1月19日 新安保条約締結
7月 7日 東京地裁で差し戻し審開始
61年 3月27日 東京地裁が合憲判断で7人に有罪判決
63年12月25日 最高裁が上告棄却を決定。有罪確定
77年11月30日 米軍立川基地が横田に移転し、日本に全面返還
毎日新聞 2008年4月30日 東京朝刊
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 長文の転載記事で、恐縮です。この事実は近代法治国家を自認するわが国にとって、驚愕の事実のはずですが、どう処理されて行くのでしょうか。済んだことは水に流そうということでしょうか。過去を蒸し返すのは「自虐行為」だというのでしょうか。敗戦国だから仕方がないのでしょうか。もしこれが、米国での出来事だったら、政権は吹き飛ぶでしょうね。(判決文は松山大学田村譲/たむらゆずる教授のサイトから)

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