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2008年5月22日 (木)

ヒルトン小田原誕生秘話

 小澤市長は明日5月23日で、16年の市長職を退かれます。1992年からですからたいへん長い在職だったのですね。その間、アメリカの大統領は、ビル・クリントンが8年、ジョージ・ブッシュが8年、今ビルの配偶者がその座を目指して死闘を続けています。この16年間にはいろんなことがありました。ジョージ・ブッシュ大統領就任の年には、ニューヨークトレードセンタービルのテロ攻撃による崩壊という大惨事がありました。そしてアフガン、イラクと悲劇が拡大しつづけました。この悲劇の中、非戦の国日本国自衛隊も出兵しましたが戦死者もなく無事「撤収」されています。
 ここ小田原市公式サイトの「市長のほんね・謝辞」を拝見しますと、「数十年来の三大難事業」「市民の悲願」であった「小田原駅東西自由通路」「城下町ホール」「お城通り地区再開発事業」この三つをかかえて、ひとつは完成、残りも「道筋」をつけたこと、また「県西地域2市8町の合併にもレールを敷いた」ことが、この16年の総括のようです。
 投票日の前々日の16日には「市長のほんね・ヒルトン小田原誕生秘話」を書かれています。「新品同然の五百億円の施設を八億四千万円で買う」「市幹部の大方は反対」「市民の誤解による批判」「市への脅迫も連日」「一年近くの必至の模索の後」「ヒルトン小田原誕生」こんな「苦闘」秘話が書かれています。
 私が、小澤市長のことで一番強く記憶しているのは、城山三丁目マンション計画を阻止する住民運動の中で、初めて実現した市長による住民への「説明会(2005年2月25日)」でした。「このマンション業者(本社沼津市)は、仕込んだ用地を市が買い取ってくれれば、計画中止しても良いということだったが、その売却価格の交渉が不調に終った。業者提示の価格では、無理。残念だがあきらめてくれ」との説明でした。「市長自身が沼津まで出かけて行って先方の社長に直談判で頑張って欲しい」という住民の声に「私はそういう政治姿勢はとらない。それぞれの役職が、担当の業務をしっかりやるということだ」と応えられたのです。このときは、本当に愕然とし、行政の長というのはこういう考えなのかと悲しい思いを抱きました。(このマンション計画は、住民の粘り強い努力と、都市計画部の奮闘で高度地区指定が早まり、業者が遂にギブアップして市の提示価格で公有地化が実現、史跡指定されました。詳しくはこちらで
 20万市民の首長としては、個々の事案に過剰な深入りはしないというのは理解できますが、決定的な段階ではご自身による尽力は必要で避けられないことと思います。小澤市長自身、「ヒルトン小田原誕生」では、言い残しておきたいとの思いがあるほど奮闘されたことが良く分かります。「三大難事業」にもうひとつ付け加えられたいのでしょう。今週は、県西1市8町の長にご挨拶回りをされておりますが、小田原ヒルトン・高橋社長、山口支配人にもご挨拶に伺われたようです。このリゾートホテルが、小田原市に負担を掛けることなく、順調な発展を続けられることを願うばかりです。
 小澤良明市長、お疲れさまでした。

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