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2008年6月30日 (月)

三の丸地区をどうするのか

 小田原市議会2008年度6月定例会は、6月27日に終わりました。6月10日の開会初日には210人の傍聴者が早朝から詰めかけ、それ以後も連日100人を超す方たちが本会議の最初から最後まで傍聴席を離れず、委員会傍聴席も埋め尽くしたようです。これらの市民の吹き上げるような強い関心に、議会はきちんと応えることができたのでしょうか。傍聴者の評価はいかがだったのでしょうか。議会自身がこの機会に市民評価を積極的に受けていただきたい、この機会を逃すべきではない、議会が市民の心をつかむべきではないか、そんな思いを強くしました。「市民に開かれた議会」に向かっての歩みを始めていただきたいものです。
 この定例会での19人の議員の一般質問は、今後さまざまに話題になってくることと思いますが、ひとつだけ、腑に落ちない論点があったので、手短かに言及させていただきます。
 関野隆司議員の「『(仮称)城下町ホールをお城通り地区再開発事業の予定地に建設する』ということはまだ市民論議がされていない。市民の声を聞くべきではないのか」という問題指摘です。「新しい小田原」の議会として大いに聞いていただきたいと私も強く思います。
 しかし、このことに強く関連する陳情、要望は、2006年の2月と8月に、議会に対して再度に渉って提示してきました。しかし、このことについて、議会内で十分な論議がなされ、事業計画の妥当性が検証されたのでしょうか。(2006年2月20日の要望書2006年8月30日の陳情書)これからでも、ぜひ議会が主体的に市民に問いかけ問題を明らかにして行っていただきたいと切望します。議会の役割を高めて下さい。
 ここでは、とりあえずの検証材料を提示させていただきます。
 1.「このホール計画は、1992年3月の調査報告書以来、立地は三の丸地区が提案され、ほぼ市民合意になっている。」ということについて----三の丸地区は、小田原市のこれからのまちづくりにとって、最大に重要な景観地です。したがって、92年の報告書では、オープンスペースをしっかり取れる3ヘクタールに及ぶ敷地を提示しています。2005年6月の「(仮称)城下町ホール基本構想」が提示した現計画の敷地は、5900平米(変形敷地で実質4800平米)しかありません。ここに9000平米を超えるホールをつくるのは、山本氏でなくとも、公共が提供するホール計画など出来る訳がありません。用地整備が出来ないまま、無理矢理に事業地を決定してしまった無謀さがこのホール設計の悲劇となったのです。現在の敷地に「城下町ホール」は設置出来ないのです。このことは、指摘され続けて来ております。
 2.あらためて現計画地に3ヘクタールのの用意整備すべきなのでしょうか。小田原市の財政状況では、かなり困難ではないでしょうか。市民トラストのようなフレームに市民合意が出来ない限り、かなり長期の計画になるでしょう。
 3.2003年3月の「建設市民委員会」の報告は、立地等については言及せず、「長岡リリックホール」「長久手町文化の家」「可児市文化創造センター」などの先進事例を挙げて、「市民委員会」の成立に向けて務めるべきと言う報告です。
 4.「お城通り地区再開発事業の予定地に建設する」ということについて----ここは、民間所有地を含めても1ヘクタールほどで、決して十分な敷地規模とはいえません。しかし、永年に渉って「再開発事業」が推進されており、区画整理なども新たな手法で試みられています。関係権利者の開発期待も緊急のものとなっています。広域交流拠点として「ホール」は最適のものです。
 5.ホール立地としては、交通至便が最大の要件です。各所の鉄道路線、バス路線、タクシー集積など、駅前はこれ以上ない良好な条件です。商業公演などにはまたとない立地です。ホール事業の成功は、立地の利便性には欠かすことの出来ないものです。
 6.「鉄道や道路の騒音・振動で不適切ではないか」について----どのような立地であれ、都市部市街地に設置するのであれば、避けられない問題です。市街地ホールは公共交通の利便性を求めて、鉄道至近のものはどの都市にもあります。札幌で計画されている「芸術劇場」は、4路線の鉄道に囲まれています。技術的な問題はもちろん、特別に過大な費用が加算されることもありません。
 7.「お城の観望を妨げる」ということについて----フライタワーを、鉄道路線側に寄せることで、十分な観望を確保できます。商業地ですので、ホール以外の用途にも十分な床面積をとることができ、関係権利者の利益を守ることも出来ます。
 8.開発手法の選択については、現在の「優良建築物等整備事業制度」「地域振興施設等整備事業制度」の有機的で機動的な活用は、施策実現性の高いものと考えます。もちろんこの手法だけではないでしょう。議会でも大いに論議して下さい。
 9.いずれにしても、出来るだけ速やかにこの二つの事業を「正道」に戻し、市民参画のもとに実現させることが求められています。
 10.これらの事業成功の暁にこそ、新しい小田原の出発ともなる「三の丸地区」の整備が進められるのです。短期的、短絡的な利活用はさけ、しっかりした計画を進めたいものです。
 慌ただしく記述しましたが、この記事にはぜひ多くの方がご意見をお寄せくださることをお願いします。

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コメント

 関野議員の指摘は尤もな事だと思います。それは、「要望書」はあくまでも提出者の希望であって、こういう意見もありますという意思表示でしかありません。審議するもしないも、手続上の制約はありませんし、議会で「論議」されていないとされるのはいたし方の無いことであります。
「陳情書」は議会において陳情審査に付されるわけですから、それなりに議論されたわけです。その結果、不採択になったというのであれば、それが議会の判断ということだと思います。
敢えて申し上げれば、この「要望書」「陳情書」は同時並列に扱うべきものではないと思います。今回、加藤市長のマニフェストの一部として表明された、お城通り地区にホールを建設するという「要望書」の趣旨と、お堀端に予定されているホールの仕様についての「陳情」の趣旨とは立地条件からして違うのですから、同時並列に扱えるものではないと思います。

 1.「このホール計画は、1992年3月の調査報告書以来、立地は三の丸地区が提案され、ほぼ市民合意になっている。」ということについて----三の丸地区は、小田原市のこれからのまちづくりにとって、最大に重要な景観地です。したがって、92年の報告書では、オープンスペースをしっかり取れる3ヘクタールに及ぶ敷地を提示しています。2005年6月の「(仮称)城下町ホール基本構想」が提示した現計画の敷地は、5900平米(変形敷地で実質4800平米)しかありません。ここに9000平米を超えるホールをつくるのは、山本氏でなくとも、公共が提供するホール計画など出来る訳がありません。用地整備が出来ないまま、無理矢理に事業地を決定してしまった無謀さがこのホール設計の悲劇となったのです。現在の敷地に「城下町ホール」は設置出来ないのです。このことは、指摘され続けて来ております。

小田原駅を中心として、城山周辺には学校と共に競輪場があります。競輪開催時にホールでの行事が重なるとさらなる交通対策が必要になります。また同じく、緑町周辺には少年院があります。市民会館を建て替えるには、三の丸という「現地再建」という方向が示されたのは判断として必然のものがあったと思います。
その地域に3ha(30000㎡ですか?)の用地を確保できればよかったのでしょうが、移転補償とか買収交渉などが順調にいった形跡はありません。潤沢な資金があるわけでもなく、神奈川県の債務負担軽減に協力した警察署敷地の購入は苦渋の決断であったはずです。できれば、裁判所を立て替えるときに検察庁の施設も法務合同庁舎(相模原は裁判所、検察庁、法務局が同居しています)として組み込むように要請すべきでした。こういった紆余曲折があったればこそ、神奈川県企業庁が城下町ホールに資金提供を図ったと理解すべきです。あの用地を利用すればこその企業庁の事業協力であるということです。用地が広がらないのを今さら修正しようとすればさらなる資金負担が生じ、下記第2項で貴台が指摘されているように教育、福祉などに影響が及びかねません。保有資産の範囲で施設を計画するということは理屈が通らない話ではありません。

 2.あらためて現計画地に3ヘクタールの用意整備すべきなのでしょうか。小田原市の財政状況では、かなり困難ではないでしょうか。市民トラストのようなフレームに市民合意が出来ない限り、かなり長期の計画になるでしょう。

現計画地に原案で執行するか、あるいは設計変更を短期に済ませたうえで、県と市の議会承認をえるということができなければ、永遠に何もできません。少子高齢化で施設整備にまわせる資金など、年々削減されるのが目に見えてますから。

 3.2003年3月の「建設市民委員会」の報告は、立地等については言及せず、「長岡リリックホール」「長久手町文化の家」「可児市文化創造センター」などの先進事例を挙げて、「市民委員会」の成立に向けて務めるべきと言う報告です。

建設資金と用地に余裕が無い中では市民委員会に図りようもないのかなと思いつつ、市民説明会を随分と開催し努力していたようにも思えますが。

 4.「お城通り地区再開発事業の予定地に建設する」ということについて----ここは、民間所有地を含めても1ヘクタールほどで、決して十分な敷地規模とはいえません。しかし、永年に渉って「再開発事業」が推進されており、区画整理なども新たな手法で試みられています。関係権利者の開発期待も緊急のものとなっています。広域交流拠点として「ホール」は最適のものです。

ホールのような公共施設は採算性が悪く、小田原市が自主事業として執行せねばならないはずですが、資金手当が簡単にできるほど財政状態は良いとは思えないのですが。今ここで無理をすると、将来の人口構成の高齢化に耐えられなくなると思うのですが。駅前の再開発をPFIにしようとしたのは、財政を考慮すれば、それほど間違っていないと思います。アーバンのような2流が出てきたのは、高度制限が実施されて容積率が落ちれば、採算性が悪くなって期待した1流どころが敬遠したものと思われます。

 5.ホール立地としては、交通至便が最大の要件です。各所の鉄道路線、バス路線、タクシー集積など、駅前はこれ以上ない良好な条件です。商業公演などにはまたとない立地です。ホール事業の成功は、立地の利便性には欠かすことの出来ないものです。

最寄り駅までのバス路線も減便や廃止になりつつあります。コミュニティバスを運行している自治体もあります。駅前であるから立地条件が良いというのは、市民にとってはほとんど関係がありません。せいぜい、市外、県外の関係者・利用者が便利であるというだけのことです。駅前であるということは絶対条件ではないと思います。

 6.「鉄道や道路の騒音・振動で不適切ではないか」について----どのような立地であれ、都市部市街地に設置するのであれば、避けられない問題です。市街地ホールは公共交通の利便性を求めて、鉄道至近のものはどの都市にもあります。札幌で計画されている「芸術劇場」は、4路線の鉄道に囲まれています。技術的な問題はもちろん、特別に過大な費用が加算されることもありません。

小田原駅前の用地が取得できたのは、これまた国鉄の民営化に伴う債務整理によってです。望んで購入したわけではありません。適正に開発しようと思えば、隣接の民間地権者との協働作業になります。民間地権者にとっては、ホールなどのような採算性の低い施設など関心が無いと思います。あるいは、公費負担を民間地権者が納得できる水準まで引きあげるのですか。

 7.「お城の観望を妨げる」ということについて----フライタワーを、鉄道路線側に寄せることで、十分な観望を確保できます。商業地ですので、ホール以外の用途にも十分な床面積をとることができ、関係権利者の利益を守ることも出来ます。

120mのタワー計画では何か不都合なことでもあったのでしょうか。

 8.開発手法の選択については、現在の「優良建築物等整備事業制度」「地域振興施設等整備事業制度」の有機的で機動的な活用は、施策実現性の高いものと考えます。もちろんこの手法だけではないでしょう。議会でも大いに論議して下さい。

旧案というか、原案は既に議会という公開の場で議論したわけですから、まったく別の計画を提案する方が自ら資金計画とともに具体案を提示すべきです。貴台らがおやりになるか、マニフェストだと主張される市長が提示されるのか、議会には何も提示されておられませんが。

 9.いずれにしても、出来るだけ速やかにこの二つの事業を「正道」に戻し、市民参画のもとに実現させることが求められています。

公式の手続で新案が承認され、原案が廃止されるまでは、原案が正式な事業です。

 10.これらの事業成功の暁にこそ、新しい小田原の出発ともなる「三の丸地区」の整備が進められるのです。短期的、短絡的な利活用はさけ、しっかりした計画を進めたいものです。

時間的余裕はありません。銀行も再編され、10行以上あった都市銀行も4~5行になっています。地方自治体も平成22年3月末の合併期限を境に、財政力が低下し、計画しているものも実施できなくなる傾向にあります。貴台らにとっては、やっとスタート地点に立った気分でしょうが、行政は継続しているわけですので、流れに棹をさすことをされていると自覚してください。原案を承服せよと言っているのでありません。時間が経過することで、何も実現できなくなるリスクを十分計算してくださいということです。計画倒れというリスクです。小田原は既に事実上の起債制限措置を受けているんですが、ご承知ですよね。

投稿: 加藤哲男 | 2008年7月 4日 (金) 20時30分

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