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2008年7月23日 (水)

美しい町

 もうすぐ8月です。日本の夏はきびしい。昭和20年の夏も暑かった。大変な夏休みを経験しました。敗戦という恐怖,占領という屈辱、その後に襲った空腹という悲惨、遅れて届いた長兄の戦死公報、これらの記憶は63年を経た今もずっしりと心にかぶさっています。占領米軍にとっては理想的な敗戦国だったのでしょう。軍事独裁国と思われていた「ならず者国家」が、イラクのような惨状を招くことなく、きわめて穏やかで従順な被占領国になり、今では米国の優良同盟国として繁栄させてもらい、一時は米国に次ぐ経済大国の地位を謳歌するまでにもなりました。
 しかし、米国流の自由化,グローバル化は、この穏やかな日本社会さえ格差拡大のゆさぶりで締め上げられています。にもかかわらず、人口減少、縮小社会を迎えた今も、「高度経済成長」「右肩上がり」の気風は抜けていないように思えてなりません。
 占領政策の一つであった「地方自治」も、遅々として成長しないようにみえても、戦後日本の最大の果実であったと思います。ただ、都市計画、まちづくりの法制度は、戦後民主主義からすり抜けて、いまだに一割自治でさえありません。霞ヶ関から見れば,地方利権が食い荒らすことを,国家が防御しているとでも言うことかもしれませんが、都市計画法も建築基準法も地方分権からはほど遠い法制度です。都市経営者は、地区計画や高度地区指定、あるいは景観条例など限られた手法で町を守るしかない有様です。
 20万都市小田原は、優良な都市資源に恵まれています。乱暴なまち壊しが「適法」として出現した事例、出現しつつある事例もありますが、まだこの町は大きな可能性を潜在させています。これからのスローライフの時代に、大型ディスカウントショップを駅前に据えるような愚策は,絶対にだめです。前市長の賞味期限は切れたのでしょうが,この誇り高き町は期限切れではありません。
 新市長の「地域自治」「市民参画」という市政の大転換の基底を、「美しい町」に置いて欲しいものです。炎熱の町を逃れて伊勢原という新しい小都市を、14階の小部屋から俯瞰していて、美しい町こそ住民の福祉と言う地方政府の責務だと確信しました。今までやったことがない、法制度上困難、できないと思われるバリアは山ほどあるでしょう。ぜひ,できない壁を探すのではなく、それを乗り越える知恵と勇気が求められています。市力、市民力を尽くして「新しい小田原」に向かって行きましょう。

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コメント

敗戦によって被られた心の傷に、衷心よりお見舞い申し上げます。
しかしながら、日本は、軍事独裁国でも「ならず者国家」でもありませんし、そう思われてもいなかったでしょう。昭和天皇が処刑されなかったのがその証拠です。
大東亜戦争は、欧米列強がアジアで植民地化を進める中でABCD包囲網による経済封鎖等により、挑発されて始まったた戦争です。当時、日本は何とか日米の開戦を避けようと画策しましたが、地下資源のない悲しさ、自存自衛の戦いを選択せざるを得ませんでした。
当時のフランクリンルーズベルトは、アメリカの青年を戦地に行かせないことを公約し、大統領となりました。日本を植民地化するために、あらゆる手練手管を使って日本を挑発し、宣戦布告させたのです。これにより、ルーズベルトは堂々と戦争を開始できたのです。
そして、死に体の日本に2発もの原爆を投下しました。
戦後、中国が共産主義化すると、その防御のために独立させ、国力をつけさせたのです。すべて、アメリカの国益のためです。
日本は、悪くありませんでした。独立国家として当然の戦いをしただけです。この植民地化を防ぐ戦いを認めないで、地域自治を語るのは笑止千万です。
もう、日本悪玉論のGHQの情報操作・洗脳の呪縛から逃れるべきではありませんか。

投稿: 木曾中 | 2008年7月24日 (木) 21時37分

「木曾中」さん 私の記事に対するコメントとして、たいへん違和感がありましたので、応答を控えておりました。あらためて読ませていただきましたが、やはりこの場でお応えするようなものではないと考えます。

投稿: 松本 茂 | 2008年8月17日 (日) 17時24分

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