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2009年2月23日 (月)

伊達判決の破棄(2)

 昨年4月に伊達判決の破棄について記事にしました。日本の司法史上、誠に由々しき事例ですが、かなり以前のことで、忘却されていたものを、国際問題研究者新原昭治さんがアメリカ国立公文書記録管理局で、アメリカ側の外交文書記録から、マッカーサー大使が田中耕太郎最高裁長官に直談判して跳躍上告をさせた経過が明らかになったのです。(昨年のブログにやや長文の記事がありますが、事件の経過だけ再録します。)
・砂川事件を巡る動き
1957年9月22日 警視庁が米軍立川基地の拡張反対派23人を刑事特別法違反容疑で逮捕
1959年3月30日 東京地裁が違憲判断し7人に無罪判決(伊達判決)
1959年3月31日 マッカーサー大使が藤山外相に最高裁への跳躍上告を勧める
1959年4月 3日 検察側が跳躍上告(地裁から最高裁に)
1959年4月24日 マッカーサー大使が、田中耕太郎・最高裁長官との密談を米国務長官に電報で報告
1959年12月16日 最高裁が合憲判断で差し戻し
1960年 7月 7日 東京地裁で差し戻し審開始
1961年 3月27日 東京地裁が合憲判断で7人に有罪判決
1963年12月25日 最高裁が上告棄却を決定。有罪確定
 有罪となっている土屋源太郎氏をはじめとする元被告らが、情報公開請求する会として5日・静岡で集会を開き、アメリカ大使と外務大臣、最高裁長官との会見会合の全内容を公開することを外務省、最高裁に請求することにしたことが毎日新聞で報じられました。東京での集会を土屋源太郎さんが案内しています。今年の3月30日は伊達判決50周年です。砂川事件の情報公開を請求する会では3月5日に「伊達判決50周年記念院内集会」を参議院議員会館で開きます。伊達秋雄裁判長は1994年に亡くなっていますが、安保条約違憲判決がアメリカの圧力でひっくり返された事実記録は歴史的なアルシーブです。廃棄処分したので「不存在」などとは言わせません。歴史を消すこと、もういい加減に止めましょう。
Tachikawakichi(追記)米軍立川基地は1977年に返還され、その後国営昭和記念公園、立川広域防災基地、陸上自衛隊立川駐屯地東部方面航空隊などに転用されています。まだ未利用地もかなりあり、この写真のような洗濯用ボイラーの煙突が残っているそうです。この前のバス停は「ランドリーゲート前」と言われていたそうです。写真は滝沢さんのブログ「米軍立川基地の残骸」からです。

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