« 2009年9月 | トップページ | 2009年11月 »

2009年10月

2009年10月31日 (土)

杵屋響泉さん 芸歴90年

091030kyousenkai 私のような、無芸のものにとって、自らの国の「芸」を語ることには、言い知れぬ引け目を感じますが、このことだけはお伝えしたいのです。この神奈川県西、小田原の地で平静に、誇り高く、深い「芸」に努められているご一家のことです。画像(題字杵屋喜三郎さん)に、11月22日の小田原市民会館小ホールでの「響泉会」の番組案内をお借りしました。芸歴90年、まったく歳を感じさせない杵屋響泉さん、深い洞察と的確な対応で「芸」を継承されている杵屋六響さん、そしてこの日、杵屋和久の「名取り披露」するお孫さん。
 この小田原の地で、このような営みがなんらの公的な支援もなく継承されていることに、こころから敬意を覚えます。と同時に、この国の伝統の永続を少数の方々のご負担に委せている惨さに、何の助力もできない一市民として誠に恥ずかしい思いです。
 11月22日(日)午前11時、小田原市民会館3階小ホールでの開演です。杵屋喜三郎さん(長唄宗家 人間国宝)の「木賎刈」、千穐楽は午後6時頃予定。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年10月30日 (金)

東海旅客鉄道株式会社・傲慢な「企業」の車内誌

061030wedge_2 今夕も、心ならずも東海道新幹線に乗りました。WEDGE 11月号を見て空いた口が塞がらないほどの驚愕を覚えました。10月号も、高速道路無料化に悪たれをついていましたが、この11月号は許し難いものです。私は特に民主党の熱烈な支持者ではありませんが、JR東海の傲慢さ、身の程知らずには呆れ果てました。JR各社すべて、西日本も東日本も、今生き延びているのは日本国の、日本国民の負担で成り立っているのです。
 JRを使わずに高速道路を走ったら、ご褒美をあげるくらいにしたい。JRのやらずぶったくり、霞ヶ関の惰眠にまだ性懲りもなく漬かっている。JRがこれまで何をしてきたか、社員にも.外注先にもしっかり教育して欲しい。
 「鳩山演説の払った犠牲」の記述者は21世紀政策研究所所属(元通産省)、「これが足りない民主党---」はみずほ銀行所属、そして「日本だけ成長を放棄するのか」はついに編集部記述。一体日本の成長とは何だと思っているのか。鳩山政権が「目標達成が実現できるというのは詭弁である」とまでいっている。JRを生き延びさせるために、どんな詭弁を弄したのか思い出して欲しい。納税者に、地方政府に、ところ構わず負担をかけて、今のJR東海があることを、このWEDGEに記載すべきです。私企業の経営者はこんな生意気をいいません。JRは性根が腐っています。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2009年10月29日 (木)

123便の背景・企業のコンプライアンス

091029jal 滅多に映画を見る機会などありませんが、昨日小田原鴨宮のシネコンに出かけ「沈まぬ太陽」を拝見してきました。上映サービスの施設はずいぶん良くなっています。小ホールでゆったりできるのでたいへん助かりますが、まいど音響の迫力?には恐怖を感じます。耳栓を持参しなかったことを後悔。立ち上がりから違和感を抱いてしまいます。どこでもこうなんでしょうか。
 わざわざ出かけたのには、「123便事故」にはいささか因縁があって、この映画化を心待ちにしていたからです。ご承知のように1985年8月12日の大惨事です。その日、札幌の学校での仕事をすませ、私は昼過ぎの日航便で羽田に、同行の一人は大阪に戻る予定でした。私のチケットはすぐ入手できたのですが、同行者は札幌・大阪直行便が取れずウェイティング、羽田乗り継ぎになりそうとのこと。私は同行者に別れて先に帰京し、赤坂の行きつけのバーで一休み、その時「大惨事」を知ったのです。乗り継ぎ便だと丁度午後6時の123便です。安否も何も確認のしようがなく、一休みどころではなくなってしまいました。直行便が取れて無事帰宅を知るまで、辛い時間を過ごした記憶があります。しかも、この便で犠牲になった客室乗務員の若い女性の一人は、私の学校のエクステンションの生徒でした。それから24年、この123便事故は、こころに重くのしかかっています。
 当時は、国内7都市とサンフランシスコに仕事があり、日本航空便は呆れるほど利用していましたので、JAL GLOBAL CLUB(JGC) などというものにも入り、マイレージポイントで、サンフランシスコ往復ファーストクラスのチケットをいただいたこともあるような、無類の JAL 贔屓でした。123便事故以後も、こだわりを持ちつつ、相変わらず多用していました。さすがに、このところの「経営危機」のひどさには驚いて、JGC 退会、カード解約しなければと思っていましたが、昨日の映画拝見で、やっと今朝退会の連絡をいたしました。(ご承知のように、巨大企業への電話連絡は実に不愉快な手間ひまが掛ります。あげくの果てに、解約のための文書手続の書式を送付するから、記載の上申請せよとのことで、30年来のクラブからまだ脱退できていません。辛抱して手続します。)
 私的な前置きが長くなりましたが、日航の経営体質を考えると、解体しか道はないように思います。霞ヶ関立株式会社は、日航だけではないのでしょうが、公的支援で立ち直るとは思えません。自民党族議員の利権、国交省の航空行政の無責任さ、123便事故のような「大惨事」さえ受け止めることができなかった傲慢で放漫な経営。需要見通しの甘さ、使わないジャンボ機が8機もあるそうです。映画でも暴かれていた「36億5700万ドルを10年もの180円で購入」「無茶なホテル不動産事業」「役員間の不和」などなど目を覆うばかりです。
 愛していたJALのために、一つだけ紹介します。2006年4月19日に、123便事故を記録保存展示する施設が開館し、やっと2007年から「CSR( Corporate Social Responsibility)報告書」が出されるようになりました。この展示施設は、安全啓発センターと称して、羽田空港の空港施設第二綜合ビル2階にあります。事故原因とされ、その後さまざまに疑惑が発生している「後部圧力隔壁」も展示されています。
 日航で旅をされる方は、ぜひ映画「沈まぬ太陽」をご覧になり、羽田空港でJAL「安全啓発センター」を訪問されることのお薦めします。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2009年10月23日 (金)

日本の都市計画を市民の手に(2)

091023ishida 先月16日に誕生した「民主党政権」は、さまざまに商業マスメディアから脚を引っ張られながらも、かなり果敢に CHANGE に挑戦されています。この1ヶ月に発信されたメッセージは、施策実現までにはそれなりの変転はあるでしょうが、マニフェストで示した枠組みは守っていかれると信じたいものです。
 「民主党政策集 INDEX 2009」には、循環と共生のまちづくり として、『循環と共生を一人ひとりの市民が実践するため、地域の歴史的な景観や環境が保全され、その地域の特性に応じて環境と調和した循環型のまちづくりが なされなければなりません。環境負荷の少ない持続可能な社会を目指すための原則を明記するとともに、情報公開と市民参加を徹底した地域主権型のまちづくりのシステムを、都市計画法や建築基準法を抜本改正することによって構築します。』と記されております。
 日本国の法制度について評価する立場にはありませんが、これまでさまざまに「まち壊し開発」に直面してきた経験から、「都市計画法や建築基準法」の体系が、都市の自治をまったく奪ったものであるために、基礎自治体の政府は、単なる国の下部機関として身動きがつかない様相に、いたたまれない思いを重ねてきました。まさに、「抜本改正」が喫緊のものとして求められています。
 日本国の「法体系」は、敗戦とともに一変するほどの民主化がなされました。地方自治法も制定され、市町村も一定の自治権を得ました。1950年には、市街地建築物法(1919年制定)は廃止され建築基準法が制定されました。しかし、都市計画法(1919年制定)の体系は旧制度の改変がなされないため、建築物の用途や高さ規模などを定める建築基準法の「集団規定」は、国による一律的な定めがなされてしまったのです。しかも「建築する自由」は、確認制度という建築主にとって極めて「民主的な」仕組みが組み込まれたため、「地域の歴史的な景観や環境」を保全する判断は、「基準法の適合」だけに止められているのです。市政府も都市住民もなんらの関与ができません。
 戦後日本の経済拡大の中で、土建産業の巨大化のために、常に建築基準法の規制緩和とともに「自由化」され続けたのです。高さ、容積、道路斜線、面積計算基準など、留まるところのないほどの「自由化」がなされてきました。このブログでも、2006年4月21日の記事でも、これらのことに触れています。
 画像で紹介した「日本近現代都市計画の展開 1868〜2003」は石田頼房先生の貴重な労作です。巻末には「都市計画年表」も付されています。この書は、いわゆる専門家世界の研究書ではなく、石田先生の「志」がひしひしと伝わってくるような熱い本です。もちろん豊富な史料を知るためにもたいへんありがたいものです。ぜひご一読いただきたいと思います。
 いま、都市がまちづくりの権利を獲得するために「情報公開と市民参加を徹底した地域主権型のまちづくりのシステムを」実現する政権の成立を得たこと、私たち市民に大きな希望を与えました。政府と市民の恊働で「地域主権」を確立する時が来たようです。来月には「勉強会」が開催されます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年10月18日 (日)

お城の朝

091015akaganemon 一昨日,あまりの美しさにしばし見とれていましたが、明々とした光の中、渋く赤い一面の松葉を踏みしめて、ささやかに記録しました。6時32分でした。歴史は復元できませんが、遺物は復元できます。この銅門も僅かな史料に頼って私たちにその姿を現してくれました。職人の技術、資材などかなり違うのでしょうが、とても美しい。小田原城址公園は、このまちの住まい手たちの蓄積されたこころを映し出す貴重なヘリテージです。
091018kitchengarden 馬出し門前の三の丸広場、「市民花壇」が次第に育ってきました。このキッチンガーデンは見事に設えられ、サインボードが作り手たちの気持ちをよく現しています。毎朝この広場のチェックをしていますが、「暫定利用」が意図通りに行っているようには思えません。所管課の苦労が実らないのはデザインディレクションが適切ではないからでしょうか。この可愛い花壇に見学者が溢れ、広場では子どもたちが駆け回っている光景を見たいものです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年10月14日 (水)

西湘バイパス復旧工事の現地視察見学会

091014nagisa 今日10月14日の午前10時から「西湘バイパス復旧工事の現地視察見学会」が行なわれました。この見学会は、村田邦子神奈川県議(市民町民議員の会)の請求と住民への呼びかけにより、国(横浜国道事務所)、中日本高速道路株式会社(小田原保全サービスセンター)と神奈川県(平塚土木事務所)が工事現場の案内と説明をしたものです。ご承知のように、2年前、2007年9月7日の台風9号によって二宮町の西湘二宮インターチェンジ付近、250mほどが崩落しました。この災害に関する私の記事は2007年9月2008年6月2008年8月など3つほどあります。この画像は、これまでの災害の復旧工事のうち、西湘バイパス道路に関する経緯を示したものです。現在は6コマ目の「仮設消波ブロックの設置」が終った段階のようです。
 今日の説明会には、二宮町の住民など48人の方が参集されていました。みなさんの関心は、道路の復旧とその保全については説明を聞くまでもないのですが、消波ブロックによる波浪の騒音拡大、振動、波浪飛散などの当面の被害とともに、失われた「なぎさの回復」に関心が集中していました。道路については国道事務所と中日本高速の説明で分かったのですが、「なぎさの回復」については、海岸管理者の神奈川県(県土整備部砂防海岸課・平塚土木事務所)の説明は、みなさん納得するにはほど遠いもののようでした。
091014nagisa2 海岸の管理責任を負う神奈川県では、2008年の2月に「西湘海岸保全対策検討委員会(宇多高明委員長)」を設置して2月、6月、7月と都合3回の検討を行っています。失われた「なぎさの回復」は、たいへん厄介な問題のようで、今日の見学会に参加されていた民主党の勝又恒一郎衆議院議員も指摘された通り、河川上流のダム開発の問題も絡むような、国土開発の瑕疵が誘発したものでもあり、対処療法的な土木工事で回復を図るのはかなり難しいようです。県の説明では、この画像にあるように、大磯よりの葛川河口左岸部のなぎさが一部回復してきた、これは葛川河口の岩盤が良い結果を生んだようなので、「岩盤型施設」を設置して回復を図ることを考えている、5、6年は掛るかも知れないが試行を繰り返して努力したい、予算が厳しいのでいつまでとは言えない、国の直轄事業にしてもらいたい、こんな見通しのようでした。岩盤型施設は、貝殻を裏返したような形状が効果がありそうとも言われていました。
 今日の二宮町の見学会は、たいへん興味深いものでした。西湘バイパスは、海岸に近接する高架部分も多く、構造物のコンクリート経年変化,底版や梁部の鉄筋の爆裂などが目に付きました。現在柱脚部分の耐震補強工事も併せて行なわれているようです。自動車専用道路というのは、大変便利なものですが、なぎさを占拠してまで、このような巨大な人工物を設置すべきものでしょうか。先日の「鞆の浦」のバイパス道路のための埋め立て免許差し止め判決に見られるように、なぎさの景観価値を私たち世代で失わせてはならないと強く思った一日でした。次回は、ぜひ神奈川県としての「なぎさ問題住民説明会」を開いていただきたいものです。(若干の資料をいただいてきました。ご関心ある方にお貸しできます)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年10月11日 (日)

東アジア共同体

091011keifukukyu この夏の政権交代は、これまでの眠りを覚ますような展開から始まりました。その中でも「東アジア共同体構想」は、驚きと不安で受け止めました。東アジア諸国、特に朝鮮半島の二つの国がいかに考えるか。1941年の大東亜共栄圏の記憶を呼び覚まさないか。68年前のことは水に流してもらえるのか。過去の精算に堪えられるのか。中国はどう反応するのか。鳩山首相の訪問を歓迎し、冷静に対応していただいていますが、本音の対話ができたのだろうか。「共同体(UNION)」を私たちはイメージできるのだろうか。不安は消えません。
 1910年の日韓併合から、来年は100年になります。併合が解消されてから既に64年の年月を経ていますので、私たち日本人は朝鮮半島の人々の痛みはほぼ忘れ去っています。併合された朝鮮半島の方たちはどうなのでしょう。何よりも先に歴史認識の共有が求められるでしょうが、どのように応えるのでしょうか。
 画像は、景福宮(李氏朝鮮の王宮)の勤政殿です。併合後、この正殿の門、勤政門の軸線に「朝鮮総督府」の庁舎(1926)を建てました。戦後は「国立中央博物館」に転用されていましたが、「屈辱的な歴史の象徴」として、1996年に解体撤去され、2025年までに景福宮復元事業を完了させるとしています。(画像は「韓国の古宮建築— 悦話堂1971」から)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年10月10日 (土)

枝豆の収穫

091010soybeans MOGMOGという会のご指導で、6粒の大豆を小さなプランターに撒いたのは7月の初めでしたが、先週から成育した枝豆たちを収穫しています。まったく「農」に遠い暮らしをしつつも、一番気がかりな「課題」との自覚はあります。生ごみのコンポスト化は昨年の末頃から始めていましたので、堆肥は結構「出荷」できて、有用に活用していましたが、自らの「作物栽培」の施肥にできたのは感動でした。それから約3ヶ月、あたかも宗教行事のごとく植え替えなどしながら飼育に励み、9月のロスアンゼルス行きの期間には、水やり留守居の委託までして出かけました。
 この画像は、1粒の大豆が生み出した枝豆たちです。とても愛おしいものですが、先週初めていただいたときには、身びいきになりますが妻と二人で「こんなうまい枝豆食べたことがない」と感動しきりでした。「循環型社会形成推進」貢献者として、交付金は結構ですから、表彰でもしていただきたい気分。先月から節酒していましたのに、この枝豆たちのために盛大にビールを飲むことになりました。(我家のベランダ栽培、バジルはとても良く育っていますが、枝豆の後、何を育てようか思案しています。ご教示いただければ幸いです)

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2009年10月 9日 (金)

建築と行政(1)

091009bremen 先週の土曜日(10月3日)「建築ジャーナル」記者の取材を受けました。かつての小田原市における(仮称)城下町ホール建設計画について「このホール設計、また、行政による事業の進め方への問題点など、詳しく伺いたい」とのことでした。慌ただしい時間に追われてのインタビューでしたが、K氏とともに、計画用地や城跡など(えっさほい踊りの日でした)の案内、保存資料の説明などを含めて3時間ほど費やしました。
 たまたまその2日後の5日には、NHKTVで「世界遺産への招待状」でブレーメン市の紹介番組を拝見しました。この画像はブレーメン市庁舎です。世界遺産に登録されているマルクト広場に正対しているこの市庁舎のファサードは15世紀末から16世紀初頭にかけて完成された北方ルネッサンス様式とでも言うのでしょうか、精緻な装飾と端正な形態がとても輝かしいものです。
 今日のブレーメン市は人口50万を超える大都市ですが、この庁舎と広場はハンザ同盟の商業都市としての繁栄いらい、「市民のこころ」と言っても良いような、ブレーメン市民にとって求心力のあるエリアとなっています。都市住民にとって、建築という行為がその都市の歴史を作りだし、住民の「こころ」を育て上げていく上で、いかに大きな要素であるかを番組は語っていました。
 このことが、近世日本の諸都市において、都市経営者(行政)にしっかり認識されていれば、現在のような都市計画法体系は出現しなかったでしょうし、公共の建築行為が今日のような無様な姿を曝すことはなかったのではないでしょうか。(仮称)城下町ホールの立地,用地、設計などの選択が、住民利益に反する不幸な道筋をたどったのは、都市づくりが住民にも行政,議会にも,ブレーメン市のような「自治」の志が弱かったからでしょうか。
 「建築と行政」という問題は、私たち都市住民がしっかり腰を据えて考えなければならない問題だと思います。「建築ジャーナル」誌の記者は、小田原市長への取材を強く望まれていましたが、公務多忙を理由に面接取材はもとより、電話取材さえできなかったようです。「ホール問題」は小田原市長にとっても関心の大きな事案であると思われるだけに、やや不可解な思いがいたします。
 いま、政権交代による国政の CHANGE が進んでいます。地方主権の高まりの中で、都市をつくる権限を都市に戻すという、明治政府以来の大きな命題にチャレンジしようという全国的運動も始まっています。市町の主体的な都市づくり行政力の強化は喫緊の大きな課題です。このことに、市政府も市民も真剣に取り組んでいくことがなければ、再びの「城下町ホール問題」が出てきそうです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年10月 4日 (日)

小田原城址公園愛犬家の会一周年

081003warning 昨年2008年10月13日に初めて「愛犬家の集い」を持ちました。25人の方の懇談などを経て、「小田原城址公園愛犬家の会」が生まれました。この画像は2008年10月3日に「お茶壺橋入口」の駒止にある警告版を撮影したものです。この警告は、犬飼育者のマナーが悪いので、ルールが守られない場合は城址公園内への立入りを禁止するというものでした。既に、お茶壺広場の芝生は立入禁止になっていました。主たるマナー違反は「糞放置」との管理者のお話から、城址公園で犬の散策をされている方々が呼びかけあって、愛犬家懇談会に至ったのです。翌年2009年1月17日には、公園管理に関わる観光課と環境保護課の職員さんにも参加いただき、行政と犬飼育者の意見交換がなされました。
090510wanwan この懇談の中から2月11日の「ワンワンクリーン大作戦」が誕生し、それ以後毎月第2日曜日に欠かさず大勢の愛犬家が集まって、クリーン作戦を行なってきています。この画像は5月10日の第4回クリーン作戦に加藤市長が立ち寄られた際のものです。放置糞は毎回数個発見されますが、ほぼポイ捨てごみ回収作業です。みなさん,お揃いのバンダナとワッペンを付けて作業に参加されています。回収ごみは、分別して公園管理者に処理していただいています。糞は「燃せるごみ」に分別していますが、糞の堆肥化を実践している会員からは、城址公園にもコンポストでの堆肥化試行をやっていただきたいとの提言をしております。
091003warning この画像は、上の警告版画像からちょうど1年後、2009年10月3日のものです。先月17日に亡くなった「ウメ子」のお別れ会の大きな案内板が見えますが、かつての「糞放置注意」「立入禁止予告」の警告版は無くなりました。「ポイ捨て禁止の警告」と「お別れ会案内」の間に一周年記念行事の案内リーフを入れた小さな箱が見えます。集いは10月11日(日)午後1時30分から小田原市民会館第3会議室で行なわれます。会の報告や計画なども話し合われますが、小田原獣医師会のご協力で、清水敦志先生(ミユキ動物病院)の記念講演があります。大勢の愛犬家の方々にお集まりいただき、動物愛護,動物飼育、環境保全など、愛犬家の熱心な活動が一層拡大していくものと信じております。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年9月 | トップページ | 2009年11月 »