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2009年12月

2009年12月31日 (木)

1909年、1959年そして2009年

 2009年が去ろうとしています。ひょっとすると、自らの立ち位置の発見になるかもと、年越そばを済ませてからの、50年・100年スパンでのレビューです。
 1909年10月には、哈爾浜駅頭にて伊藤博文が安重根に狙撃されるという歴史的事件が起こっています。伊藤博文は,明治政府の初代総理大臣(1885年)もつとめるなど、わが国の進路を定めた大政治家で、1905年に韓国統監府が設置されると初代統監に就任しています。この暗殺事件は、朝鮮半島の南と北ではまったく違うようです。
 1959年の1月1日、フィデル・カストロが親米バチスタ政権を倒しました。
 日本では3月30日に、東京地裁で「米軍駐留は違憲」という伊達判決が出ています。1952年のサンフランシスコ講和条約と同時に締結された日米安保条約の地位協定に基づく刑事特別法第2条 (正当な理由がないのに、合衆国軍隊が使用する施設又は区域であつて入ることを禁じた場所に入り、又は要求を受けて その場所から退去しない者は、一年以下の懲役又は二千円以下の罰金若しくは科料に処する)の違反事件です。この判決(わが国が外部からの武力攻撃に対する自衛に使用する 目的で合衆国軍隊の駐留を許容していることは、指揮権の有無、合衆国軍隊の出動義務の有無 に拘らず、日本国憲法第9条第2項前段によって禁止されている陸海空軍その他の戦力の保持 に該当するものといわざるを得ず、結局わが国内に駐留する合衆国軍隊は憲法上その存在を許すべからざるものといわざるを得ないのである)は「跳躍上告」によって、同年12月最高裁は原判決を破棄、1963年12月に東京地裁で、有罪判決(罰金2000円)が確定しました。この「跳躍上告」には、「米軍違憲」判決に仰天した駐日大使ダグラス・マッカーサー2世が、田中耕太郎最高裁長官、藤山愛一郎外務大臣に外交圧力をかけた記録が米公文書の調査で明らかとなっています。敗戦後64年を超えた米軍駐留が、「交替」した政権をいま揺るがせています。
 4月には、明仁親王と正田美智子さんの結婚披露パレードがありました。投石事件を起こした19歳少年は69歳になったのでしょうか。
 9月26日には、5千人を超える被災死者をだした伊勢湾台風。記憶に残る年でした。
 100年前の事件は、学習で知った「知識」、50年前の事件は「臨場体験」です。
 2009年、12月26日の下曽我「雄山荘焼失事件」は、太宰生誕(1909年6月19日)100年という「持続感傷」を、更なる「臨場体験」に変えてくれました。
 2010年は???

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2009年12月28日 (月)

普天間米軍海兵隊基地(2)

091228futenma JR東海の新幹線には「WEDGE」という車内紙が常備されています。さほど手にすることもないのですが、先日たまたま拝見した12月号の「OPINION」には、ちょっと驚きました。『米国に公言,沖縄に甘言 鳩山政権が招く同盟の危機(飯塚恵子)」の見出しです。『米国に要求を突きつけるだけでは、「対等な日米関係」は生まれない。』とのお考えです。この飯塚さんという記者は、日本国の政権が変わったことを認知されていないのでしょうか。「米軍再編や日米軍基地のあり方についても見直しの方向で望む」という政策を国民は選択したのです。
 「辺野古の新基地建設も米軍再編のパッケージの一つ」という米国の主張を丸呑みすべしという記者の考えは、選挙で否定されたのです。しかも『県民のマグマは久々に吹き出し始めている。』と冷ややかな視線で、このマグマが「沖縄に甘言」で引き起こされたかのごとく書き捨てています。先の大戦で最も悲惨な戦渦を受け、いまだに米基地、米海兵隊が我が物顔に存在している沖縄、このような理不尽について『現実に国を守る、という、成熟した為政者』同盟国の首相として、沖縄県民のマグマなど無視して、辺野古の新基地建設もさっさと飲み込んで、米軍再編を支援すべきと主張されています。彼女が守るべきという「国」は何なのでしょうか。沖縄県民は、「国防」のために犠牲になるのを甘受すべし、「民」を守るより「国」を守ることが上位にあるという危険な論理です。
 このような偏狭な危険論理を、OPINIONとする社内誌が,かつては国有鉄道であった公共交通機関に常備されていることには、強い違和感を覚えます。所用によっては、今後も利用しなければならない交通機関です。JR東海は政治的な偏向を止めるべきです。(画像は、11月26日に国会議員らに宜野湾市長が説明された際の資料の一部です。12月12日に再度宜野湾市長が議員懇談会で説明された記録をご覧ください)

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2009年12月27日 (日)

大雄山荘の無惨

091226yuzanso1 昨日の午前4時過ぎころ出火、「大雄山荘」が焼失しました。この山荘はご承知のように太田静子氏の「斜陽日記」が書かれた疎開時借宅で、太宰治氏が数日滞在して、それを素材に「斜陽」を構想したというのがほぼ定説のようです。日本の敗色が隠せなくなった中、母とともに下曽我に疎開して満開の梅林を見た静子氏は『滅び行く、日本の、「桜の園」。いいドラマが書けそうね。』と「日記」に書かれています。
091226yuzanso2 この「斜陽」山荘は長年にわたって、公有化保存の声が蓄積されつづけてきましたが、空き家として放置され荒廃にまかされていました。「太宰」「斜陽」の評価云々ではなく、この空き家が「不動産」として立ち往生して居たからのようです。このようなことが発生し、まち壊しが「放置」されるのは、資産税制度の問題にあるように思えます。「大雄山荘」のようなヘリテージの問題だけでなく、すべての空き地・空き家放置は、地域社会にとっては犯罪行為です。未利用不動産への経年累進課税は,かなりの国で行なわれてるようです。数十年放置された「不動産」が、まち壊しであることは明々白々です。
 土地・建物の「所有権」は単なる「私権」ではないはずです。地域社会が、共同体として「入り会い」できる「社会的資産」でもあるべきです。この無惨な「まちの記憶喪失」事件もこのような風土の上にあると思います。五十嵐敬喜氏たちが提唱している「土地総有」という新しい所有概念は真剣に論議されるべきもののように思います。

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2009年12月21日 (月)

長寿医療制度??

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 2、3日前に、この「あらまし」が送られてきました。遂に来たか、そんな心の動揺に苦笑しました。三途の川の渡り方指南書、などと感じるのはかなりのひがみ根性でしょう。それを慮って「後期高齢者」を通称「長寿」と読み替えてやろうという心遣い、傷口に塩を塗ったとまでは言いませんが、ひがみ根性が増幅します。広域連合長(服部信明茅ヶ崎市長の氏名は記載が無い)から「被保険者様」宛に「75歳になられる方は『長寿医療制度(後期高齢者医療制度)』に加入することになります」おめでとうございますとは書かれていませんが、「なります」という自動詞はとても違和感があります。
 この制度、どうしても「長寿」が将来負担なので別枠にしたと読めてしまいます。長寿者は医療費が掛る、自分たちで少しはまかないなさい。制度の枠内で医療を受けなさい。枠内の財源が不足したら保険料をもっと負担しなさい。保険料限度額は50万円にしてあげました。これ以上は公費・支援金からの負担はできませんよ。ごもっともです。
 「長寿者」は気兼ねしながら医療を受けているようです。「長寿高齢者健康診査」(5月に記事にしました)は、左の表のように、受診率が大きく低下しているようです。東京都広域連合のみ0.1%増ですが、他の道府県はすべて低下しています。地域格差もありますが、この数値を見る限り「長寿者」の自粛努力が伺えます。医療技術の進歩は徒になってしまうのでしょうか。私は、まだ受診しておりませんが、やや戸惑っています。

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2009年12月19日 (土)

普天間米軍海兵隊基地(1)

091219futenma 既にご承知のように、この海兵隊基地は密集市街地のただ中に存在するという、無法な施設です。1945年3月の沖縄地上戦で、宜野湾村を占領した米軍が、住民が避難した集落郡や村役場を撤去して、米陸軍工兵隊が日本本土空襲のための飛行場(滑走路2400m,現在は2700m)を建設したことから始まったといわれています。52年の講和、72年の日本国への復帰を経ても、拡大整備は続き現在の宜野湾市の25%を占める「海兵隊基地」となっています。日本本土に散在していた海兵隊基地は、講話締結した独立国日本の本土から、1972年の沖縄本土復帰までに占領統治地沖縄に移されています。「在日米国海兵隊」の公式サイトによると、キャンプ ・フォスターとレスター (瑞慶覧・桑江)、キャンプ・コートニーとマクトリアス、海兵隊普天間航空基地、キャンプ・ゴンザルベス (通称:ジャングル戦闘訓練場)、キャンプ・ハンセン、キャンプ・キンザー、伊江島訓練場、キャンプ・シュワブの8基地になったようです。
 戦時占領して戦術的な攻撃施設を作り、戦争終結,講話締結後も居座り続けているなどという無法は信じ難い思いがします。グアム移転したら「思いやり予算」がつかないからなどというケチなことからではないでしょうが、いくら何でも「対米従属」の程度がひど過ぎます。沖縄海兵隊基地周辺での犯罪発生率は、米国本土の海兵隊基地の3倍近くあるという統計があります。宜野湾市民の怒りを私たちも共有し、即時基地撤去を要求しなければならないでしょう。日本国新政権の公正で勇気ある対米要求を強く望みます。

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2009年12月18日 (金)

米軍再編・日本再編

091218mt_fuji 米軍基地による沖縄県民の苦しみと怒りについて、安易にコメントすることはできません。この夏からの「政権交代」による未来展望は、この米軍基地再編への対応でその行方が定まるのではないでしょうか。連立3党の勇気と英知に望みをかけます。
 敗戦後の絶望と悲惨の中から、戦後民主主義のかすかな芽生えとその終焉を見届けた世代として、ささやかな記事を書かせていただきます。私の中学生時代に朝鮮戦争が始まりました。戦後処理の矛盾と冷戦の緊張が拡大し続けていた時代です。吉田茂という稀代の宰相の荒技によって、民主主義の芽生えは痛めつけられ続けました。その中での「全面講和」「単独講和」「戸締まり論」「再軍備」「曲学阿世」「警察予備隊」「保安隊」などという時代語が思い浮かびます。
 1951年9月だったでしょうか、サンフランシスコのオペラハウスで「単独講和」が調印されました。ソ連など3国(?)が拒否しました。この講和調印と同時に、吉田首相自身(単独署名)で日米安全保障条約(暫定的協定)が締結されているのです。この暫定協定の正式版が岸信介首相、藤山噯一郎外相による1960年の安保です。6月15日の惨劇を経て、自然成立しました。来年で50年です。この50年間の自民党政権下で、米軍の世界戦略の軍事基地の拡大整備がなされました。そして、日本国の経済大国化が進み。今その終焉を迎えようとしているのです。
 沖縄県は、地上戦によって民間人が殺戮された唯一の日本領土です。単独講和成立後も米軍占領が長く続き、日本「復帰」の県民意思によって、いまは明らかな日本国の一部となっています。それが、米軍の世界戦略の基地として50年後の現在も実質占領状況が継続している。大規模、圧政的に。信じがたいことです。沖縄県民にとっては、未だ戦後は終わっていないのです。
 普天間米軍海兵隊基地の存在違法性は明らかです。一日も早い撤去が当然です。年内結着は、まず撤去の決定をすべきです。米軍の基地再編は、米国の問題です。辺野古の整備案はブッシュ政権と自民公明政権との合意であって、日本国の政権も米国の政権も変わったのです。何らの条約締結もしていません。いくらなんでも、沖縄県の占領状態はもう終結すべきです。
 日米安保条約、日米同盟の見直しを視野に入れて、新政権が強い対応をしてもらいたいと強く思います。(記事は午前中ロマンスカー車内で、画像は御殿場からの帰りに午後4時43分箱根の乙女峠で撮影)

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2009年12月 8日 (火)

12月8日です

091208telde ご承知の方も多いと思いますが、カナリア諸島、グランカナリア島のテルデ市に「憲法九条の碑」があります。スペインは、人民戦線政府によって、西アフリカ至近のこの小島に移されていたフランコ将軍の1936年の反乱から悲惨な内戦を経験し、その政権のもとにあった国です。このテルデ市も、このような政治変動、体制変革、1982年のNATO加盟、1986年のEU加盟などの中で翻弄され続けたようです。そのため、この碑の設置には1987年の提案からさまざまな論議の末に1996年の除幕式に至ったようです。この碑設置提案推進者は、マリア・デル・カルメン・ソーサ・サンタナさんという方だそうです。
 この碑は、ヒロシマ・ナガサキと名付けられた広場の一角にあります。日本国憲法9条の全文をスペイン語で記しています。私たちの国には「碑」はありませんが、この憲法9条は日本人の誇りとして生き続けています。(「潮」2009.11.宇野淑子さんの記事から)

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2009年12月 7日 (月)

米海兵隊普天間飛行場のなぞ

091207futenma1 明日8日は、日米開戦の日です。昨夕のNHKスペシャルで「真珠湾の謎〜悲劇の特殊潜航艇〜」を拝見しました。まさに悲劇、二重三重の悲劇でした。あまり基地問題などの記述はしてきませんでしたが、このところの、普天間問題での日本政府の沖縄県対応には、いたたまれないものを感じます。沖縄県にとっては、二重三重の理不尽な仕打ちでしょう。画像は、普天間飛行場を抱える宜野湾市長伊波洋一さんが、11月26日に、衆議院第二議員会館において、与党国会議員に対して説明した資料(48頁11.2MB)の表紙です。
091207futenma5 この画像は米国側のグァム計画の概要です。伊波市長の説明の核心は次のようです。日本国は従来から、普天間基地の代替施設を何処かに設けなければ、移設はできないといっているが、それは嘘だ。2005年10月の「日米同盟:未来のための変革と再編」では、地上部隊と連動して活動するために沖縄から動かすことは困難とされているのは確かだ。しかし、2006年5月の「再編実施のための日米ロードマップ」では、普天間の第3海兵機動展開部隊(8千人、家族9千人)を2014年までにグァムに移転することとなっている。(グァムが代替施設になり、辺野古は不要)
 辺野古に固執するのは、巨大な公共工事として日本側の必要事業かもしれないようにも思えます。過日の日米協議で、ルース大使が「烈火の如く怒った」というのは、日本側への協力(密約)を否定されて怒ったのかも知れません。米国にとっては、グァムへの統合が戦略上の合理性があるでしょう。日本国政府の誠実な対応が望まれます。

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三の丸地区を守る

 明日12月8日の夕刻、「市民ホール建設準備会第1回会議」なるものが開催されます。用地は未整備だが、「建設準備」を先行しようということなんでしょうか。良く分かりませんが「基本構想の見直し案の策定や事業手法などについて検討」するとのことです。お急ぎなんですね。前車の轍を踏むなんてことにならないことを衷心より願います。前車の「基本構想」のコーディネーターをなさった近江哲朗さんが、学識経験者委員という構成ですが、新たな委員のみなさんの賢察に期待します。
 市民ホールについては、見直しを掲げて「市長交代」が実現しましたが、90日もしないうちに見直しがCHANGE してしまいました。見直しを支持した一人として、その不明を恥じて沈黙しておりますが、ささやかに次の発言だけ言い残します。
#1 三の丸地区は「歴史に敬意」を払う場所です。小田原城史跡のための重要用地です。
#2 ホール、劇場のような大規模高層な業務施設を設置する場所ではありません。
#3 市長のマニフェストにあった「貨物ヤード跡地」への用地転換は優れた選択です。
#4 現世代で三の丸地区の土地利用を決定してしまうのは避けたい。
#5 三の丸地区で速やかなホール設置を望むなら「仮設的」施設に止め、次世代に遺留すべきです。

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2009年12月 2日 (水)

下水道事業団・小田原市下水道料金値上げ議案撤回・下水道地方単独事業

 下水道事業は、住民生活環境にとってはとても大切な公共事業です。巨大な田舎などと揶揄されたわが国にとっても、電線空中架設とともに先進国を標榜するためには何とかクリアしなければならない都市課題です。そのためか、それだからか、この公共事業は徴税負担者にとってはなにか人質を取られたような思いがします。この人質で、どこの自治体も喘いでいます。
 「日本下水道事業団 」は、1972年に国と地方公共団体の折半出資によって設立され、75年に「事業団」と名称変更し、「特殊法人等整理合理化計画」によって2003年に「地方共同法人」に移行しました。2010年の受託建設事業の事業費総額は1,605億円です。中身は「終末処理場等の建設」と下水度施設の設計、技術援助などです。地方公共団体が1年間に必要とした下水道管理費は4兆円ほどで、その内3兆円以上が起債償還費です。小田原市の平成21年度下水道特別会計予算では、公債費49億6183万円となっています。平成20年度は一般会計からの繰入金が約33億円です。
 今日の小田原市議会建設経済常任委員会において、小田原市は下水道料金値上げ(13.65%)議案を撤回しました。この委員会でこそ、この値上げの正当性をしっかり議論して欲しかったものです。勇気ある地方行政を切望します。
 「47news」によると、11月11日の初日の「事業分け」では、次のように決しています。国土交通省の概算要求額は5188億円です。
 下水道事業は国の補助事業として行われているが、「過疎地などでは低コストの浄化槽などの方が効率的だ」などの指摘が相次ぎ、判定は「地方に財源を移し、自治体が下水道整備の必要性を判断する環境を整えるべきだ」と、地方単独事業への転換を求めた。
 小田原市長は、次のように「苦渋の決断?」を語られています。
 より広範な議論を、更に時間をかけて行う必要があるとの認識に至りました。結果、この議会への上程を取り下げさせて頂くこととし、建設経済常任委員会の当日ではありましたが、本日議会の皆さんにご理解を頂いたところです。更に十分な説明と議論を経て、しっかりした合意形成を目指してゆきたいと考えています。

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横浜の競輪事業廃止・小田原の無尽蔵

091202keirin 花月園競輪場での神奈川県競輪組合の事業開催は本年度で廃止されると報道されました。戦後直ぐから60年にわたって「花月園競輪」として名を馳せてきましたが、完全な賞味期限切れでの廃止。累積赤字47億円を、川崎と小田原の競輪開催で補填して行く意向と報じられています。花月園競輪場は1950年の開設ですが、小田原競輪場はその前年1949年の開場ですから、先輩として後輩の苦境を救うのでしょうか。
 花月園競輪場はマンション住宅街区のど真ん中、小田原競輪場は「文教地区」のど真ん中。競輪事業は公営賭博ですから、遊興施設ではなく運動施設なんでしょうか。こんな理不尽な公営事業が、いまだに大手を振ってまかり通っていること、事業仕分けにも登らないこと、近隣環境に多大の負担をかけ、市民の生命さえ奪っていること、一体どうなっているのでしょうか。地震被災を待っているわけでもないでしょうが、この老朽施設は耐震診断の対象にはなっていませんね。2万人収容の客席を、4千人席に縮小したとか。この4千人様の損害はやむを得ないということなんでしょうか。
 画像のごみは、11月に回収した路上放置の「競輪場ごみ」です。外れ車券を粉々にちぎって捨てられるのには、何とも困惑しています。回収にはたいへんな労力を要するのですよ。せめてちぎらないように、競輪客にお願いしたい。競輪場でもごみ回収には努力されているようで、来場者も減少して近年はかなり良くなりましたが、ごみ放置の手法が「腹いせ」様相を呈してきています。事業課の方もたいへんでしょうが、開催日翌朝のごみ回収をご経験ください。
 住民の忍耐も無尽蔵ではありません。

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日量320トンのごみ焼却

091202compost へんてこな画像ですが、わが家の車庫の片隅です。手前から段ボールコンポストのボックス、その先には「びん類」「不燃ごみ」「ペットボトル」の3つのボックス、3色のごみボックスは「かん類」「プラスチック製容器包装」「可燃ごみ」、「その他紙」はこの奥のペーパーバッグに回収(競輪場の放置外れ車券などは別バッグ)。これらはすべて路上回収用です。自家用は段ボールごみ以外、すべて住居室内にあります。
 段ボールコンポストは、1年ほど前にはじめました。このボックス縦横35センチ角、高さ45センチで2重構造になった優れものです。わが家の生ごみは、野菜くずが中心ですが、毎日1.5キロほどは出ます。この大量の生ごみを、キチンと処理してくれるのには驚きます。おかげさまで、可燃ごみとして出しているのは1週半に1回、ティッシュなど中心で45リットルのごみ袋一つ、2.5キロほど。路上回収の可燃ごみは2週に1回、3キロほどです。わが家で一番多いごみは、月に2回の「紙類」です。ごみステーションまで僅か50mほどですが、自動車で運ぶこともあります。
 ところで、わが家(2人)の可燃ごみの排出量は、月に2.5キロを3回、月間で7.5キロ程度です。日量ですと1人当たり125グラム程度になります。万一、1市3町の住民のみなさんが、全員段ボールコンポストをやっていただくと、0.125kg×230,000人=28,750kg(28.75トン)です。
 先日の記事に、日量100トンの焼却処理施設で良いのではという記事に、「現在、1日当たり250トンくらいの可燃ごみが出てますが、100トンで大丈夫おっしゃる根拠は何ですか?」とのコメントが寄せられました。私の手元には、平成17年の基礎調査報告書しかありませんが、平成15年の可燃ゴミは、家庭系が日量198トン、事業系は68トン。この二つを併せておっしゃっているのでしょうが、平成21年はもっとさがっているはずです。200トン程度ではないでしょうか。
 資源化施策に住民支持を求めれば、焼却ごみ日量100トン以下は実現するはずです。320トン処理の連続燃焼高温溶融炉など、資源化努力をせせら笑うようなとんでもない話です。

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