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2010年1月19日 (火)

1960年1月19日

100119whitehouse 1960年の正月早々16日、岸信介首相が主席全権として藤山愛一郎外相、石井光次郎自民党総務会長、足立正日本商工会議所会頭、朝海浩一郎駐米大使の4人の全権委員(条約署名者)を引き連れ、一行30人が、抗議デモで騒然とする日本を後に、羽田空港からから米国ワシントンのホワイトハウスに向かい、1月19日の条約調印に至るのです。(条約は5月19日衆議院での強行採決、6月19日の自然成立を経て、23日外相公邸での批准書交換で発効)
100119presidio 敗戦6年後の日本、1951年9月8日、サンフランシスコのオペラハウスでの対日講和会議は、参加52か国、東西対立の中、49か国の条約調印で幕を閉じました。主席全権の吉田茂首相は、その日の午後、池田勇人蔵相を伴って米第6軍司令部将校クラブに出かけ、「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約」調印にただ一人で署名をしています。これによって、講和条約と抱き合わせで締結された「日米安保」が始まったのです。この「条約」は日本の安全のために連合占領軍の内、米軍の駐留継続、基地の使用を日本国は「希望する」として、新たな安全保障措置がなされるまでの協定であるとしています。
 保守合同、55年体制、防衛庁設置などの体制強化を経て、新たな「安全保障措置」を米国に求め、日米新安保条約による米軍基地の固定化が企てられます。立川基地での砂川事件、そして59年の伊達判決。藤山外相、田中最高裁長官などが関与したとされる「跳躍上告」など、米国従属をさらけ出しながらも、この新条約の締結に至ったのです。
 1960年1月19日、ホワイトハウスで調印された「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」は、その後の米国の軍事戦略の枢要な軍事基地を日本国内、特に沖縄県に集中的に維持され続けることになりました。1989年の冷戦終結後も、在日米軍基地は縮小されることなく整備更新されています。日本国の安全保障、他国からの攻撃の「抑止力」とされていますが、米国の戦争、今日ではアフガニスタン、イラクでの「テロとの戦争」を支える出撃基地になっています。東西対立時代には、双方にあまたの軍事同盟(52カ国とか)が存在していましたが、1989年以後はそのほとんどが解散若しくは機能停止になっています。今ではNATO、米韓、米豪それに日米の4つしか残っていません。在日米軍海兵隊は、明らかに遠征出撃型の機能を強めています。突出した米軍駐留経費負担(外務省説明5兆円超)は、27の同盟国の中で第1位、2位ドイツ以下の総額を超えているようです。
 昨年9月に誕生した「新政権」は、対等な日米関係を求めていますが、米軍再編という試練に、この安保条約の「終了を通告」するという選択肢はないようですが、どのような対応がなされるのでしょうか。

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