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2010年1月

2010年1月28日 (木)

小田原市議会とボートピア

 小田原には「無尽蔵」のまちづくり資源が埋蔵されているようですが、同時にまち壊し資源も「無尽蔵」に出現しています。一昨日26日の「驚愕のチラシ」が示す「(仮称)ボートピア小田原」もそのささやかな一つです。杉山三郎議員が12月議会で主張されているように、小田原市議会は、地元第2区自治会の役員連名でのボートピア設置推進陳情を採択し、設置反対陳情を不採択としています。これらの意思決定の主たる理由が「交付金1億円ほど」「町の活性化」であったように記憶します。小田原市は、2005年5月24日に前市長小澤良明氏が設置不同意を正式に公表して、設置計画は阻止されました。(それらの経緯はこのサイトで)それ以後も、事業計画者の「オレンジ観光」はくじけずに、市議らにこの事業の推進を迫っていられるのでしょうか、12月議会での杉山三郎議員は執拗に、折角の交付金があるのになぜなのかと、加藤憲一市長を攻め立てたようです。
 小田原市の将来像は、小田原市長と小田原市議会(多数派)ではまったく共有されていないようです。公営賭博のマーケットは、既に賞味期限が切れています。小田原競輪は開設以来60年を超えましたが、小田原市の都市スタイルの大きな障害です。この事業についても俵鋼太郎議員が、競輪事業の撤退をマニフェストとした加藤市長を、競輪賭博は健全な娯楽だ、継続すべしと迫っています。
 小田原市議会(多数派)にとっての小田原市の将来像とはどんなものなのでしょうか。ギャンブルの町として、外来者が「落としてくれる」果実を当てにしようということなんでしょうか。小田原市民が選挙で選んだ市議さん方が、市民意見を取捨選択されるのですから、小田原市民自身の願望なのでしょうか。それにしては、どうして「チェンジ」を掲げた市長を選挙で選んだのでしょうか。市議会選挙の制度がおかしいのでしょうか。
 議会の状況を変えない限り、ボートピアの亡霊は付きまとうようです。いま、「小田原市議会を考える市民の会」が活動を始めました。一年少し後には、市議会の選挙もあります。小田原を浮上させない「公営賭博事業」を継続させようと主張なさるのか、廃止しようと主張なさるのか、しっかり見極めたいものです。

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2010年1月25日 (月)

名護市長選

100125futenma 名護市市長選挙は、昨日24日の投票で、稲嶺進氏が17,950票、島袋吉和氏16,362票となりました(投票率76.96%)。今朝の神奈川新聞では『島袋氏は地元の建設業界などをフル動員したが、自民党支持層の約25パーセントも稲嶺氏に流れた』と報じています。
 一昨日23日の衆院予算委員会で日本共産党の赤嶺政賢議員が、『1945年6月の地上戦、米占領軍による戦時基地(本土空襲目的)の設置から65年、本土復帰後も沖縄米軍基地はなんら縮小されることなく、米軍の出撃基地として継続整備され続けた。学校施設への墜落事故、米兵による無惨な犯罪などなど虫けらのように扱われた県民の歴史をどう考えているのか。抑止力などを掲げて沖縄県民を苦しめ続けた。沖縄の米軍基地は米国の戦略攻撃基地だ。普天間基地は無条件撤去の対米交渉を始めるべきだ』t切々として訴えられていたのを、NHKの中継で聞きました。
 新政権は、県外、国外移設の方向を示していましたが、自公政権が対米「合意」して、13年間もの間普天間基地の撤去を放棄してきた「辺野古新基地案」が消え去っていない中で、地元意思がはっきり示された今こそ、強い対米交渉を始めて欲しいと切望します。
 日本国は、確かに米国・連合軍に「無条件降伏」しました。その敗北の責めを65年間もの信じ難い長期間負い続けなければならないのでしょうか。「国体護持」の条件なんでしょうか。米国は、私たちの日本国を何だと思っているのでしょうか。名護市長選挙で示された結果は、「普天間は無条件撤去しかない」ことを明確に示したものです。宜野湾市民、名護市民、沖縄県民からのメッセージを、日本国民すべてが、「日米同盟」の意味をしっかり振り返って考える糧にしなければなりません。(画像は普天間の海兵隊飛行場googleから、密集市街地の巨大基地)

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2010年1月19日 (火)

1960年1月19日

100119whitehouse 1960年の正月早々16日、岸信介首相が主席全権として藤山愛一郎外相、石井光次郎自民党総務会長、足立正日本商工会議所会頭、朝海浩一郎駐米大使の4人の全権委員(条約署名者)を引き連れ、一行30人が、抗議デモで騒然とする日本を後に、羽田空港からから米国ワシントンのホワイトハウスに向かい、1月19日の条約調印に至るのです。(条約は5月19日衆議院での強行採決、6月19日の自然成立を経て、23日外相公邸での批准書交換で発効)
100119presidio 敗戦6年後の日本、1951年9月8日、サンフランシスコのオペラハウスでの対日講和会議は、参加52か国、東西対立の中、49か国の条約調印で幕を閉じました。主席全権の吉田茂首相は、その日の午後、池田勇人蔵相を伴って米第6軍司令部将校クラブに出かけ、「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約」調印にただ一人で署名をしています。これによって、講和条約と抱き合わせで締結された「日米安保」が始まったのです。この「条約」は日本の安全のために連合占領軍の内、米軍の駐留継続、基地の使用を日本国は「希望する」として、新たな安全保障措置がなされるまでの協定であるとしています。
 保守合同、55年体制、防衛庁設置などの体制強化を経て、新たな「安全保障措置」を米国に求め、日米新安保条約による米軍基地の固定化が企てられます。立川基地での砂川事件、そして59年の伊達判決。藤山外相、田中最高裁長官などが関与したとされる「跳躍上告」など、米国従属をさらけ出しながらも、この新条約の締結に至ったのです。
 1960年1月19日、ホワイトハウスで調印された「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」は、その後の米国の軍事戦略の枢要な軍事基地を日本国内、特に沖縄県に集中的に維持され続けることになりました。1989年の冷戦終結後も、在日米軍基地は縮小されることなく整備更新されています。日本国の安全保障、他国からの攻撃の「抑止力」とされていますが、米国の戦争、今日ではアフガニスタン、イラクでの「テロとの戦争」を支える出撃基地になっています。東西対立時代には、双方にあまたの軍事同盟(52カ国とか)が存在していましたが、1989年以後はそのほとんどが解散若しくは機能停止になっています。今ではNATO、米韓、米豪それに日米の4つしか残っていません。在日米軍海兵隊は、明らかに遠征出撃型の機能を強めています。突出した米軍駐留経費負担(外務省説明5兆円超)は、27の同盟国の中で第1位、2位ドイツ以下の総額を超えているようです。
 昨年9月に誕生した「新政権」は、対等な日米関係を求めていますが、米軍再編という試練に、この安保条約の「終了を通告」するという選択肢はないようですが、どのような対応がなされるのでしょうか。

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2010年1月11日 (月)

War President!

Base 彼の地アメリカ合衆国では、クリスマスの当日、休暇気分を吹き飛ばす「事件」がありました。23歳のナイジェリア人の青年が飛行機内で爆発物に点火して逮捕されたという「事件」です。アメリカによるイエメン攻撃に対する「報復」と報道され、またまた「恐怖の構図」がつくり出されました。
 マイケル・ムーア氏は、アフガン増派を実施したオバマ大統領を「War President」と言い切っています。アメリカに限らず「キャピタリズム」には、恐怖が、報復が、戦争が必要なんでしょうか。イエメンでは「アルカイダ掃討作戦」がすでに仕掛けられているようです。覇権国家アメリカ合衆国の市民が、チェンジを求めて選択した大統領が、「対テロ戦争」の泥沼に引きずり込まれているのです。
 この泥沼の一翼を担う「米軍基地」をめぐって、わが「新政権」は迷走しています。この迷走はとりあえずの対処療法的政策では、止められそうにありません。敗戦、占領、戦力放棄、日米安保、再軍備、バブル、その崩壊、そしていま日米同盟、米軍基地がまな板に乗っている。この65年近く「敗北を抱きしめて」きた私たち「昭和の日本人」に突きつけられた「未提出の宿題」なのでしょう。答えを出す勇気を持ちたい。(画像は「沖縄情報センター」から)

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2010年1月 4日 (月)

南足柄市と箱根町を 連絡する道路

100104hakone5route 標題の道路開発については、2007年1月に神奈川県の「南足柄市と箱根町を連絡する道路に関する研究会」がまとめた報告書を基に、同年5月に設置された「南足柄市箱根の道市民懇談会」が南足柄市と箱根町を連絡する道路に関連したまちづくりの検討、実現に向けた 課題の抽出等を行い、南足柄市長に提言を行っています。その後、2008年3月に「研究会」が報告書を出し、2008年10月からは小田原市も加わり、2市5町と神奈川県が研究会委員を出して、2009年3月の報告書に至っています。
 神奈川県は、昨年の7月31日から8月29日にかけて県民意見の募集をして、その結果を11月に公開し、第2回目の意見募集を11月30日から本年1月15日まで行なっています。画像は募集リーフレットの一部です。
 5つのルートを設定して、結構まじめに検討されています。コンサル委託なのかも知れませんが、何となく計画作業ありきのようにも感じられます。南足柄市にとってこれが、必須の事業であれば2市5町と神奈川県が力を出し合って開発すべきでしょう。でも、この時代いささか仰天事業です。まさか、実施に至るとは思いませんが、パブコメにはしっかり「県民意見」を示すべきでしょう。15日までです。

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2010年1月 3日 (日)

マンションの再生

100101centralheights1 小田原市中町にある1977年竣工の10階建てのマンションです。この地ではかなり初期の大型マンションです。1992年にここに入居して小田原市民となりました。「住まいのこと」という記事もあります。
 このマンション自治会は、入居以来これまで32年間、元旦賀詞交換会を続けております。私も入居以来、転居した今も必ず参加しています。今年は快晴でしたが風が強く、皆さんかなり寒い思いをされました。100101centralheights2 ご承知のように、高層共同住宅という住居形態は、都市居住にとってすぐれた手法です。わが国では、この共同居住を、区分所有権という厄介な概念で大量供給を進めてきました。どんなにひどいマンションであれ、すべてその取得者、区分所有者の責任と負担で維持保全しなければなりません。躯体はもちろん、廊下・階段・エレベーター・諸設備など、共用部分がありますからその保全についてはすべて区分所有者の「合意」が必須条件です。そのためには調整機能を持った何らかの主体(管理者)が必要です。法では区分所有者の「集会」での意思決定としています。マンション区分所有権の初期販売は、通常「開発業者」によって「管理組合」の仕組みが用意され、所有権の取得とパッケージで契約されます。入居者は「管理業務」などできませんので、管理業を請け負う商業法人などとの一括管理の委託契約が設定されています。
 画像のマンションは、経年32年になりますので、その間の管理手法、集会の意思決定などはさまざまな経験の蓄積を経て、現在は「自主管理」となっています。建物の経年と同様に区分所有者も加齢してきます。30歳で入居した居住者は、62歳になります。かなり高齢の皆さんによって、理事会が成立し、ハードの部分の管理は施設保全専門委員会で、丁寧な計画のもとに区分所有者の「合意」を得て維持保全が進められています。
 このまち小田原にも、かなりの大型・高層マンションが出現しました。さまざまな住宅地などで紛争を起こしながらも、完成していきました。区分所有者は、所有権取得と同時に「小さな自治体」の構成員になるわけですが、そのような認識は希薄のまま居住されています。10年、20年と経年するとともに、維持保全の問題が大きな負担になってきます。当初の修繕積立金では、大規模修繕ができない、一時負担金の合意ができない、などなど問題が露呈してきます。問題解決には「自治体」構成員全員の参画が望ましいのですが、「管理組合」が適正に機能しないような事態も起きてきます。この「小さな自治体」には、行政からの支援が必要として、「マンションの管理の適正化の推進に関する法律 (2000年)」などが制定されています。
 画像のマンションの管理組合は、維持保全はもちろん、既存施設のグレードアップにも取り組むなど、「再生」への努力に真剣に取り組んでいます。区分所有居住者には定年を迎えた方も多く、面倒な管理組合業務の執行に積極的に参加されています。これは、たいへん希有な成功事例ですが、都市にとってマンションは貴重な社会的資産であり、適正に維持保全されるか、あるいは自治放棄・施設荒廃に至るかは、都市経営にとって極めて重要な課題になってきています。
 老朽化したマンションの建替えを推進するとして、「マンションの建替えの円滑化等に関する法律」が制定されていますが、施設の老朽化は当然に区分所有者の高齢化と重なります。法に定める合意要件を満たすことは非常に困難で、「建替え」計画が10年15年とたなざらしになっているマンションが多く、「建替え」に成功した事例は少ないのです。
 ここに挙げた事例のような、「再生」「グレードアップ」の推進を支援することこそ、都市経営者にとってもっとも適切な施策だと考えます。民間住宅支援ではなく、「小さな自治体」への行政支援として取り組んで欲しいものです。

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2010年1月 1日 (金)

2010年になりました

100101donjon 新しい年を迎えた私たちの最大の課題は、米国との関係ではないでしょうか。敗戦から65年の間、良くも悪くも米国の傘の下に居続けて経済大国を目指してきましたが、今年はその決算作業を開始する年になりそうです。
 1960年の安保改定から、50年を経ました。昨年の「政権交代」によって、米国依存の軍事関係を見直すことができなければ、新しい国家展望は開けないのではないでしょうか。沖縄はもちろん神奈川などの国内に存在する米軍基地の負担は、もはや継続し得ないところにきています。
 明治政府の「脱亜入欧」は、対米戦争の敗北、冷戦の沸騰による朝鮮戦争への荷担、その路線から「反亜従米」ともいうべき姿に変えて長く続いてきましたが、もう卒業しても良いのではないでしょうか。交替した日本国政権とCHANGEを掲げた米国政権ならば、前政権同士の「合意」も見直されるべきではないでしょうか。米軍基地の問題解決は、日本国の自立自存にかかわる、逃げることのできない時代的課題です。
 今年は、1960年の「日米安保批准強行」「浅沼稲次郎刺殺」「三井三池炭坑争議」から50年目になります。この50年、高度成長、バブル景気なども経験しましたが、いまこの国は悲惨な雇用状況に陥り、自殺大国にさえなっています。昨年は「米軍駐留は違憲」とする伊達判決から50年目でした。「安保」「人権」「生活権」という、この国の基本的課題に対して日本人のすべてが総力で立ち向かう時のように思います。
 もうひとつ、1910年の「日韓併合」から100年です。日露戦争後の東亜政策の帰結として、日韓併合が強行されました。1945年の日本国敗戦によって朝鮮半島は独立(米ソ対立で南北分離)を果たします。35年間、朝鮮半島は「大日本帝国」の一部だったのです。そしていまだに北の政権とは「国交」がありません。そのため、「北朝鮮」は日本国防上の仮想敵国であり、双方のミサイルはお互いににらみ合っているという軍事緊張を作りだしています。朝鮮戦争では、独立を果たして間もない中国の「義勇軍」が米軍編成の「国連軍」と戦いました。この戦争は現在も「休戦」しているだけという状況が57年間も継続しているのです。この経緯が中国の軍事大国化、その脅威が日本国の「国防」論議に繋がってくるという不幸を生み続けています。
 100年後の私たちが、日韓併合という国家戦略が残した負債をを誠実に精算することこそ、東アジアの「平和」を確固たるものにするのではないでしょうか。「東アジア共同体」を提唱する鳩山政権が、真っ先に取り組むべき外交課題だと思います。
(画像は2010年1月1日午前7時28分わが家の玄関前から撮影したもの)

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小峰発電所(4)12月発電量202KWh

091231hatsuden 12月の日照はさほど悪くありませんでしたが、発電量はこの1ヶ月で202KWh、自給率23%でした。1日の発電量の最大が大晦日31日の9.8KWhです。先月の15日には10.5KWhまで行ったのですが、今月は10KWhに達しませんでした。自給率を上げるには,消費量を減らすしかありませんが、わが国の食糧自給率40%に並ぶのも難しそうです。11月の発電量111KWhとの累計313KWhでした。反省を込めての報告です。

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