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2010年1月25日 (月)

名護市長選

100125futenma 名護市市長選挙は、昨日24日の投票で、稲嶺進氏が17,950票、島袋吉和氏16,362票となりました(投票率76.96%)。今朝の神奈川新聞では『島袋氏は地元の建設業界などをフル動員したが、自民党支持層の約25パーセントも稲嶺氏に流れた』と報じています。
 一昨日23日の衆院予算委員会で日本共産党の赤嶺政賢議員が、『1945年6月の地上戦、米占領軍による戦時基地(本土空襲目的)の設置から65年、本土復帰後も沖縄米軍基地はなんら縮小されることなく、米軍の出撃基地として継続整備され続けた。学校施設への墜落事故、米兵による無惨な犯罪などなど虫けらのように扱われた県民の歴史をどう考えているのか。抑止力などを掲げて沖縄県民を苦しめ続けた。沖縄の米軍基地は米国の戦略攻撃基地だ。普天間基地は無条件撤去の対米交渉を始めるべきだ』t切々として訴えられていたのを、NHKの中継で聞きました。
 新政権は、県外、国外移設の方向を示していましたが、自公政権が対米「合意」して、13年間もの間普天間基地の撤去を放棄してきた「辺野古新基地案」が消え去っていない中で、地元意思がはっきり示された今こそ、強い対米交渉を始めて欲しいと切望します。
 日本国は、確かに米国・連合軍に「無条件降伏」しました。その敗北の責めを65年間もの信じ難い長期間負い続けなければならないのでしょうか。「国体護持」の条件なんでしょうか。米国は、私たちの日本国を何だと思っているのでしょうか。名護市長選挙で示された結果は、「普天間は無条件撤去しかない」ことを明確に示したものです。宜野湾市民、名護市民、沖縄県民からのメッセージを、日本国民すべてが、「日米同盟」の意味をしっかり振り返って考える糧にしなければなりません。(画像は普天間の海兵隊飛行場googleから、密集市街地の巨大基地)

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