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2010年4月

2010年4月29日 (木)

衆議院外務委員長の質問主意書と内閣の答弁書

100429suzuki 「反乱」男、鈴木宗男衆議院外務委員長が4月5日に提出した「いわゆる砂川事件及び伊達判決に対する外務省の対応の変遷に関する質問主意書」に対して、4月13日に内閣から質問者に対し「答弁書」が送られています。素早い対応ですね。たいへん興味深い文書ですので、文書そのものをPDFでご一読ください。
質問主意書 答弁書
 この答弁書のやり取りは、芸術的といえるほどの「木で鼻をくくる」文書です。
1.開示請求への対応は? 不開示の決定が2件開示の決定が1件である。(同じ公文書が不開示になったり開示になったりしたことはとんでもない不法行為なんですがね)
2.対応した責任者の官職氏名は? 外務省北米局でしかるべく決済を経たものである。(責任という概念は国家には不存在ということ)
3.米国大使からの「考えが伝えられたという事実はあったのか」? 一般的な内容である。(司法の処分について米国が干渉することが一般的とは!)
4.階段速記録を誰の責任で誰に渡したか? 5.「会談」の事実を認めたのはなぜか? 6.嘘をつき続けてきたのはなぜか? 対応関連文書を探したが見つからなかったので不開示にしたが、「密約」文書を探しているときたまたま「会談記録文書」が見つかったので開示した。良く探さずに不存在と回答したことは「遺憾」である。(国家のコンプライアンスは0点ですね。どんな嘘突いても、誰も責任は追求できない、「遺憾」であるといっただけありがたいと思えということのようですね)
 行政府の方々は、自らの仕事のむなしさを抱き続けることに「快感」を感じているのでしょうか。こんな人生で、最後に何を思うのでしょうか。いくらなんでも、日本人社会も「民草」から卒業しよう。

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「赤プリ」の終焉から建築家の業を思う

100429formercityhall 丹下健三氏(1913〜2005)はわが国では大きな業績を残された建築家のひとりです。戦時下で建築家活動に入られ、「大東亜建設記念造営計画設計競技(1942年)」1等入選等で、注目された俊英でした。戦後すぐに「広島計画」で注目を集め、「平和記念資料館(1955年)」を生み出しています。コンペで勝ち取った最初のメジャーな仕事、「東京都第一庁舎(1957年)」は戦後復興期に、有楽町の「都庁舎総合計画」という壮大な街区計画の中から誕生した唯一の庁舎でした(モノクロ画像は、丹下健三事務所のアルシーブから)。私事ですが、この計画から第一庁舎完成までの過程は、私の建築学生時代と重なり、この庁舎で仕事を始めたいとの願望から1958年に東京都の「技師(建築職)」となることに繋がってしまいました。1965年に退職するまではもちろん、その後もこの庁舎を強い誇りとしていましたが、ご承知のように、80年代に入るとすぐに都庁移転論議が高まり、丹下氏は再びコンペを勝ち抜き、1991年に新宿庁舎を完成させました。
100429violy 自らの建築行為で、僅か34年で自らの代表作を消し去ることに、どのような思いを抱かれていたのでしょうか。残念ながら近代建築保全運動ではこの取り壊しは取り上げられませんでした。跡地は、1997年に「東京国際フォーラム」として、華々しく開館しています。設計者は国際コンペでウルグアイのラファエル・ヴィニオリ氏が選ばれています。(コンペの審査結果は1897年11月でしたが、この審査委員には、小田原市の市民ホールに関わられた近江哲郎氏の父君近江栄先生が加わっていられ、その経過などをお聞きした記憶があります。近江先生は「建築設計競技」という著作を残されました。)
100429akasakaprince 画像は「グランドプリンスホテル赤坂・新館」南面の姿です。このホテルは、赤坂が戦後もっとも栄えた頃、1982年にオープンしました。再度私事ですが、仕事の都合で1981年から赤坂4丁目に居住していましたので、このオープンには強い印象と違和感を持ち続けてきました。赤坂見附を睥睨するような巨大な折板障壁状のビル形態、強い反射光を周辺にもたらすガラス仕上げなど、余りにも主張性の強い商業ビルとして、その設計行為には納得できないものがありました。それでも極めて至近のホテルであり、外国からの来客には、たびたび利用してもらいました。親しい方などは、宿泊のたびに「mousolleum のようなホテルだ」と冗談を言われましたが、たしかに床、壁の主要な内装を白大理石で埋め尽くした冷たい空間は、お墓を思わせるものでした。
 この39階建て7万平米近くもある巨大ホテル新館は、来年の3月で閉館し取り壊されると今朝の新聞で報じられました。これも僅か39年の生涯でした。「跡地は、商業施設やホテルなどが入る複合施設」とのことですが、設計者はどなたになるのでしょうか。丹下氏のご子息も商業施設では実績をあげていられますし、再び赤坂見附に話題となるような「過激な建築」が出現するかも知れません。若い世代の都市景観思想を見せられることになるのでしょうか。
100429yis_resi ところで、この画像はこのホテルの「旧館」、旧李王家邸の残存部分です。現在はバーとフレンチレストランが入っています。1910年の韓国併合によって、大韓帝国の王家も大日本帝国に「併合」され、皇族に準ずる「王公族」が設けられました。『韓国併合ニ関スル条約』第三条にはこう記されています。「 日本国皇帝陛下ハ韓国皇帝陛下太皇帝陛下皇太子殿下並其ノ后妃及後裔ヲシテ各其ノ地位ニ応シ相当ナル尊称威厳及名誉ヲ享有セシメ且之ヲ保持スルニ十分ナル歳費ヲ供給スヘキコトヲ約ス」これに従い、最後の韓国皇帝高宗の第7男子「李垠(이은 1897年〜1970年)」は、「昌徳宮李王垠(しょうとくきゅうりおうぎん)」という王公族になりました。この建物は彼が1930年に完成させ、日本国の敗戦とともに1952年に売却され、35室のホテルとなったものです。ここのバーもレストランも幾度も利用していますが、「新館」とはまったく異なった温かい空間です。「旧館は保存される見通し」と報じられていますので、この歴史的遺産の今後の保全が注目されます。
(「赤プリ」の二つの画像といくつかの情報はすべてフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から)

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2010年4月26日 (月)

建築ジャーナル4月号

100426himori_2 かなり古いニュースで恐縮です。忘却したい話でもありますが、記憶すべき小田原市の恥辱としてお伝えします。建築ジャーナル4月号に掲載された桧森隆一氏の「論評」です。『市民が否定したのは「都市の中の広場」という山本氏のコンセプトである。この大本のコンセプトが否定されているのだから、どんなに対話を重ねても市民が納得するはずがない。---ホールの使い方を建築家が押し付けるのは僭越のそしりをまぬがれない。---』と述べられています。
 まさに氏の指摘の通りです。でも、なぜこの「僭越」が設計者選定委員会という市が設置した委員会で採用されたのでしょうか。この委員会は、委員長藤森照信(建築家)、副委員長市橋匠(当時副市長)、委員伊東豊雄(建築家)、松村みち子(一般有識者?)、本杉省三(建築家)、坂本恵三(当時企画部長)各氏で構成され、事務局は植田理都子(当時市民部長)、篠原弘(当時文化交流課長)ほかの職員でした。委員会の建築家はいざ知らず、副市長や企画部長はどのような認識をされていたのでしょうか。12年にわたって小田原市に貢献された小澤良明氏の記念碑として優れた設計案とお考えになったのでしょうか。事務局の市民部長以下の職員も山本案の「都市の中の広場」が基本構想と乖離していることの認識はなかったのでしょうか。山本氏ご本人に小田原市は「1億5750万円の設計料をどぶに捨てた]と言われていますが、当時の関係者のみなさんからの事情聴取、事情調査はなされたのでしょうか。
 小田原市は、建築家の「僭越」を選択した責任についてどのように対処されるのでしょうか。

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2010年4月25日 (日)

もう一つの4月25日

100425fukuchiyama 今朝、5年前の信じ難い大惨事、JR西日本の福知山線死傷事故の慰霊式が行なわれたと報じられています。「一番好きだった季節が、一番つらい季節となった」と時事通信の記事にあります。2005年4月25日午前9時19分に発生した、事故死者107人、負傷者562人という鉄道事故です。(画像はWikipedia)
 日本国有鉄道の民営化による利益至上の経営で、過密ダイヤ、安全対策軽視が原因と指摘されています。日本の都市住民ならどなたも経験している公共交通機関の不十分施設、定員超過、多発する事故など、日常的な現象と受け止めています。この福知山線事故によって、危険箇所のATS設置さえしていなかったJR西日本の企業体質が暴かれましたが、事故調査委員への不当な関与を行なっていたことさえ暴露されています。
 一握りの富裕層以外の日本人にとって、公共交通機関の利用は避けることのできないものです。私自身は、身体的都合もあり満員電車に乗ることは少ないのですが、横浜からの帰路、JR東海道の車内は恐怖さえ感じます。経済大国、豊かな日本どころか、人権小国、最貧国と思えます。民営化に当たっては、大量の首切りだけでなく、県や市町村に過大な負担をかけています。公共性のある巨大企業が、商業化、利益至上に走り、経営管理の公正ささえ忘れ去る、こんなことがいまだに発生し、「一番好きだった季節が、一番つらい季節となった」声を生み出しています。鉄道会社の中でもJR各社は、その巨大な資産をもとに利益追求に汲々としていますが、自らの出自を振り返ってみるべきです。
 慰霊式で、ぼそぼそと原稿を読み上げているJR西日本社長の姿を TV で眺めている内に、遺族のみなさんの口惜しさと怒りが乗り移ってきました。


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遠交近攻

Base 今日4月25日、沖縄県では大規模な県民の集会が開催されます。全国でも、もちろん基地県神奈川でもさまざまに開催されます。昨年の民主党連立政権誕生以来、普天間基地「移設」問題は、沖縄県民を愚弄し続け、その愚弄が鹿児島県はもとより全国に拡大し続けています。民主党政権は「移設」という「思いやり」の呪縛に絡めとられ、「抑止力」の欺瞞に押しつぶされています。この日本国の何処にも「移設」先などがないことは当初から明白になっています。
 わが国の米軍基地は、65年前の米軍による占領、朝鮮戦争、米ソ冷戦に始まったアメリカ合衆国の「アジア戦略の転換」によって固定化されて来たのです。65年!!!!この地球上では人間の歴史の中で、戦争に敗北した民族・国家は戦勝国に苦しめられてきました。それでも、これほど長期にわたって、実体的「占領状態」を継続させて来た国家関係は、希有なものです。わが国が「国体の護持」という巨大な夫妻を承認していただくための「安保」抱き合わせ「独立」を選択したからです。
 「抑止力」を抱き締め続けていますが、この抑止力は明らかに中国大陸、朝鮮半島を主としたアジアへの抑止を目的としたものです。防衛研究所の「東アジア戦略概観 2010」も、そのような構想に立ってつくられています。近隣諸国を「近くて遠い国」にし、太平洋の彼方の「占領国」、経済封鎖に苦しんで「鬼畜米国」と呼んだアメリカ合衆国を「遠くて近い国」として、その「抑止力」にしがみついて来た、まさに「遠交近攻」愚策のつけが、いっきに日本国にふりかかって来たという状況ではないでしょうか。
 「移設」はあり得ません。癌の治療に軟膏を使うようなものです。普天間基地には「移設」先など、日本国のどこにも存在しない、こんな明白な状況をいつまで「抱き続ける」のでしょうか。米国から「Biggest Looser」と愚弄された鳩山政権は、「基地撤去」「安保」の見直しを遠い国に突きつけるべきです。「5月末の決着」は、第2の敗戦を覚悟して自らの手で処理すべきだと思います。
100425blossom 今日は、快晴です。沖縄の、日本中の「基地撤去」の声を、CHANGE を掲げて誕生した政権に突きつけましょう。もういい加減に「遠交近攻」は卒業しましょう。今ならまだ「近交」が間に合うかも。
(画像は今朝の8:46分撮影、城山墜道上の石畳テラスの一角に植えられた若い桜です。墜道工事の際に伐採された老桜の身代わりとして植えられたものだそうです。染井吉野の華麗さはありませんが、とてもアクティブな印象の桜です。ここで遅咲き桜の花見はいかがですか。桜の前で今日も競輪客相手の酒食サービスの屋台店が開いていますよ。)


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2010年4月24日 (土)

選択的夫婦別姓(2)

100424gikai 一昨日、4月22日の小田原市議会総務常任委員会で、選択的夫婦別姓制度に反対する「国への意見書」提出を求める陳情が採択されました。小田原市議会のサイトには委員会開催に関する記載はまったくありませんが、傍聴者からこの経緯をお聞きしました。陳情者は3つの団体だそうですが、その中の一つは小田原地域で活動されている団体とのことです。さほどの論議もなく採決され意見書提出が決議されたそうです。議事録等が公開されるまでにはまだかなりの時間が掛ると思いますが、その際にあらためて記事をアップします。ここでは、取り敢えず「議員ごとの賛否」を記載します。
 反対意見書提出に賛成した議員6人(敬称略)
井原義雄(新生クラブ)、志澤清、横田八郎(以上グループ創和))、大野眞一、加藤仁司、杉山三郎(以上フォーラム小田原)、
 反対意見書提出に反対した議員3人(敬称略)
関野隆司(日本共産党)、木村信市(緑の風)、今村洋一(公明党・委員長で裁決には参加していないが反対を明言)
 陳情採択にもとづき意見書が作成され、国に提出されます。神奈川県ではまだ平塚市と小田原市だけだそうですが、今後も同様の動きが進むのではないでしょうか。長谷川三千子埼玉大教授のご主張の通り、「氏」は国民が個人の意志でどうこう選択できるものではないというご意見なのでしょうか。この意見書を作成される6人の総務常任委員の論理をしっかり聞きしたいものです。(委員長は反対の立場ですから意見書作成には参加しないことを表明されたそうです)まさか、事務局職員が知恵を絞るのではないでしょうね。公開が待たれます。


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2010年4月22日 (木)

井上ひさしさん

100422inoue_hisashi 2010年4月9日、病院から帰宅された後、午後10時22分に鎌倉のご自宅で亡くなられたと報じられました。
 新聞でも報道されたように、彼は「御谷」「台峰」「広町の森」などの自然・景観保全運動にも参画されていました。「御谷」は日本のトラスト運動の嚆矢となったもので、先進事例として小田原の市民運動にも示唆をいただいたことがありました。2005年3月25日のことでしたが、八幡山古郭東曲輪の用地公有化を断念したという小田原市長(小澤良明氏)の直接説明から、運動体では市民トラストの構想が持ち上がり、あわただしく鎌倉の事情を勉強しました。この事案は、開発業者が高度地区指定施行日の切迫で開発を断念したため、公有地化は実現しましたので、トラスト運動は一つの経験として残りました。
 画像は、「城下町ホール騒動」の末期、市長選挙の真っ最中、2008年4月29日に、市民会館で行なった「井上ひさしさんと小田原のまちづくりを語ろう」で講演をされている姿です。井上さんは小田原への思い入れも強く、私たちの運動に大きな力を与えてくれました。城下町ホール計画に対する彼のメッセージです。「---都市をどう保存し、どう新しく作るかという『都市デザイン』が、小田原という歴史的都市の蓄積をこわさずに、しかし21世紀の都市として、私たち今生きている市民の創造性をどう発揮するか-。ひっくるめて『歴史への参加と歴史への更新』、その意識が皆無ですね。---」ホールの空間計画はもちろん、立地計画について根本的なミスをしていると強く指摘されていました。
100422inoue_hisashi2 講演のあと、遅い時間でしたが懇親会にもご参加いただき、大いに語っていただきました。全席禁煙のフレンチレストランでしたが、この時間だけは、わがままを言って喫煙にしていただきました。かなり遅い時間までお付き合いいただき、タクシーで帰宅されました。
 私と同世代ですが、当方とは比較にならないほどお元気でしたので、この訃報はいまだに信じられません。混乱した政治社会状況にいる私たち今日の日本人に対して、新鮮な語り口で鋭いアドレスを送っていただいたことを記憶し続けたいと思います。

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2010年4月20日 (火)

欧州共通歴史教科書

100420histoire 欧州共通歴史教科書は、1992年EU加盟国で同時出版され、韓国、米国、日本(1994年)など世界各国でも翻訳出版されています。第2版は「第12章 統合ヨーロッパに向かって?」が増補され、日本語版も出されました。EC委員会(当時)の支援も多少あったようですが、この出版は歴史研究者自身による企画で、各国の出版社からの発行を前提とした作成作業でした。
 「日中」「日韓」の歴史共同研究について3月に記事にしましたが、「アジア共通歴史教科書」などというのは夢のまた夢なんでしょうか。この欧州共通歴史教科書は、欧州各国の12人(第2版は14人)の歴史家が80年代から「ヨーロッパ史」の成立を目指して果敢に取り組まれたようです。もちろん各国とも政府からの関与はありません。とは言え、百年戦争、スペイン継承戦争などなど、国の立場で真反対の評価などを乗り越えるには、かなりの論争を経てのことだったでしょう。
 第2次世界大戦については、独ソ不可侵条約、電撃戦(ポーランド侵攻など)、ドイツ軍のソ連侵攻、犯罪(人質の処刑、ユダヤ人狩りなど)、対独協力とレジスタンス、ドイツの敗北という項立てで、簡明に記述されています。この書の記述者たちは、「国民国家は、はたして模範的国家か」「国民国家の狂気に起因した第2次世界大戦により、ヨーロッパは破滅の淵に追いやられ、それぞれの国土は米ソ両国の意思のままに分割された」という序章の問題意識を共通の認識としています。
 本年1月の「日中」3月の「日韓」歴史共同研究報告書を拝見する限り、このアジアに於いては、それぞれの「国家性」への固執が全面に立ちはだかり、あらゆることで歴史認識、歴史事実の認知にことごとくぶつかり合っているように思えます。特に「日韓」は第1次と第2次にわたる8年間の研究者による膨大な「論文」の蓄積がなされ、「両国」の歴史認識の差異が際立ちました。韓国側の強い要望で設けられた第2次での「教科書小グループ」においても、「独特なキャラクターの委員」の存在などから、研究テーマの選定過程から「組み手争い」で多くの時間を費やしたようです。報道でも『「教科書」溝埋まらず、継続危うく(毎日新聞)』と伝えられました。
 我が日本国でも、首相の言葉で「東アジア共同体」などという壮大な構想が語られるまでになりましたが、一方で中国大陸・朝鮮半島を射程に於いた米軍基地を抱き続けなければならない「日米」安保の軛を掛けられています。「韓国併合条約締結(1910.8.22.)」から、今年で100年を経ようとしています。国家間ではいまだに「近くて遠い国」のままです。東アジアの安寧が「米軍の抑止力」で保つという幻想は既に破綻しています。米軍基地の再編無策で政権崩壊などという醜態を曝すことになるのでしょうか。「脱米親亜」を現実のものにしたいと強く思います。

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2010年4月16日 (金)

BIGGEST LOSER? LOOPY?

100416gerome ワシントンポスト紙14日のAl Kamen氏のコラムが話題になっています。「哀れで頭おかしい」「きちんと責任を取れるのか」「それでもトヨタを買えというのか」「日本政府は『一国の首脳に対する表現として非礼』と批判」などという、「哀れ」なニュースが流されています。このコラムはワシントンで開催された核安保サミットに参集した46カ国の首脳たちを、オバマとの「ご対面」をもとに評価したものです。"loopy Yukio Hatoyama"は沖縄の"Marine Corps air station"ひとつ解決できない「気がふれている日本国首相」で、オバマの信頼を失ったと嘲笑しています。
 こんな有様から1枚の絵を思い浮かべました。19世紀フランスのアカデミズム画家ジェロームのこの絵(1865)です。ヴェルサイユ宮殿でナポレオン3世夫妻がシャム王国の外交団を接見している光景です。ご承知のようにインドシナ半島は19世紀にフランスによって植民地化されましたが、1861年の「開国不平等条約」締結の際の叩頭儀礼接見を、宮廷画家ジェロームがたいへん忠実に記録しました。(ヴェルサイユ宮美術館に公開されています)
 Al Kamen氏にとっての日本国は、自国領土を米軍基地の用地として提供するという安保条約で縛られた従属国であり、米国大統領という世界の支配者に訳の分からん御託を並べてお叱りを被った愚かな国ということのようです。彼はまさにこのジェロームが描くシーンをイメージしているのでしょう。朝貢の始祖中華国の胡錦涛主席が別格1位、参集36首長の最下位が我が日本国首相だそうです。官房長官氏も『非礼』だなどと愚痴ってないで、Yankee go home! 安保廃棄と叫んでみてはどうでしょうか。65年間のloser は、いくら何でも長過ぎます。

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2010年4月10日 (土)

選択的夫婦別姓(1)

100410kaze1994 この画像いささか問題ありですが、1994年10月15日発行ということでご勘弁いただきます。16年前の小田原市女性行政室発行の『おだわらの風 女と男 もっと自然に』というリーフレットです。どういう訳か、国際家族年特集の小さな囲み記事「実践してます夫婦別姓」の取材だったようです。小田原にも夫婦別姓を唱える変わり者がいるんだということでしょう。婚姻届は小田原市に受け付けてもらいましたが、もちろん夫婦どちらかの姓を選択するしか届出を受理してくれませんので、世間並みに夫の姓で受理してもらいました。実践しているのは「通称」にすぎません。妻はこれもどうした訳か小田原市の委員会などに入れられていましたが、すべて通称で通っていました。(費用弁償などを受け取る時は戸籍名の印鑑を持参していましたが)通称使用は多くの方がやむなく採用していますが、印鑑登録、パスポートはもちろん預金口座、クレジットカード開設など、いたく面倒なことになります。国家管理が及ぶ領域では一切通称は通用しません。夫婦同姓を強制された『戸籍』名を名乗るしかありません。常に国家の関与を受けて日常を過ごす苦労が待っています。
 先日のNHK放送で長谷川三千子埼玉大学教授が、声だかにインタビューに応じていました。「氏名は個人がどうこう自由にできるものではない。(国家統治の手段で被統治人の所有物ではない)民法は、日常生活の都合で便利な方に変えるなんてものではない」と言うようなことを明確に宣言されていました。君主国の哲学者らしい立派なご説でした。彼女はお年に似合わず旧仮名遣いで、レポートされるようです。日本財団のサイトで彼女の記述を一読しましたが、筋金入りの「名門有識者」の自負に溢れています。妻の話ではTV世界にも登場する一人とか。日本国でもこういう国立大学の自由は立派に保障されているのですね。
 選択的夫婦別姓についての内閣府の調査では、別姓希望が1996年16.3%、2001年18.2%(女19.8%)、2006年20.9%(女23.1%)と、少しずつ別姓希望が増加しておりますが、いっぽう同性希望は48.9%(女51.2%)と多数派になっております。有識者のご評論では、不景気時代には庶民の間には「現状変更拒否」の世論が高まるそうです。長谷川先生のような名門非庶民の君主国回帰思想とは違うのでしょうが、民草の保守化は進んでいるようですね。別姓希望者をむりやり同性にさせるような不自然な民法は改訂して「男と女 もっと自然に」というような優しい世の中になりたいものです。

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2010年4月 9日 (金)

第5次小田原市総合計画 基本構想・基本計画 素案

100409_21 今月に入ってから、4月1日に公表された『第5次素案』60頁ほどを幾度も読み解いています。手元には平成17年7月に発行された立派な『ビジョン21おだわら後期基本計画』「もあります。画像や図表も豊富で、なかなか体裁の良い冊子になっています。5年に1回、こんな作業をするのが行政の仕事なんでしょうか。この画像は『ビジョン21』の155頁です。「市民が主役のまち 施策45 情報の共有によるコミュニケーションの強化」として、情報公開制度の充実などが謳われております。図表を見ますと平成15年度の公開請求はわずか55件ほどしかありません。市のサイトによると平成20年度は563件になっていますから、かなり利用度は大きくなっているようです。
100409info この画像は『第5次素案』の57頁「市民が主役の小田原 施策29 情報共有の推進」です。市民が必要とする行政情報が容易に入手できるようにするなどとしています。平成17年の『後期計画』と平成23年の『第5次計画』がどのように違うのか、どこが進歩したのか、成熟したのか、改善されたのか、なんとも読み取れません。この施策に限らず、そんなに変るもんではありませんよ、ということでしょうか。
 『後期計画』では、基本構想で将来推計人口、2010年おおむね23万人としたのは、どうも怪しくなったと基礎条件の修正が記載されています。『第5次計画』では、人口減は「依然として予断を許さない状況です」と将来推計を避けています。年齢構成の推移、財政状況の見通しは「いっそう厳しさを増すものと推測されます」と、悲観的な基礎条件設定になっています。
 この素案を策定された職員の皆さん方、むなしい思いで記述されている訳ではないのでしょうが、「希望と活力あふれる小田原」の姿が見えません。いかなる市民意見をお届けすべきか苦悩しております。

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2010年4月 8日 (木)

「借金時計」は回る

100408debt_gdp_latio こういうグラフはとても分かりやすいですね。zFactsというサイトからのものです。アメリカ合衆国の「借金」/GDP 比率の推移表です。ルーズベルト、トルーマンの戦時比率の上昇はすごいですね。戦時国債を大増発しています。1941年の太平洋戦争開戦以後は、捕獲した真珠湾攻撃特殊潜航艇の全国行脚などで、戦意高揚、国債増発をして戦費をまかなったようです。「借金」はGDPの120%を超えるまでになっています(大日本帝国は200%ほどとか)。ベトナム戦争時代の下降はGDPの増大がカバーしたのでしょうか。レーガン、ブッシュで急上昇、ブッシュジュニアで再上昇。さてオバマでは?
 このサイトにアメリカ合衆国の「借金」と「社会保障基金」「他国国債保有高」増減のデジタル時計があります。今日の「借金」は12兆7126億ドルほどで、めまぐるしく増え続けています。日本国の借金時計は財務省制作で公開したのですが、アクセス殺到で閉鎖されたようです。ある篤志家制作の「日本の借金時計」で見ることができます。今日の「借金」872兆1506億円ほどです。日米比は(レート 93.2換算)、872兆円/1184兆円=1/1.35ということ。国家規模から言えば圧倒的に日本国が借金大国ですね。それでも「思いやり国家」日本国は、アメリカの国債(現在3兆ドルほど)の40%ほど(もちろん第1位)を引き受け続けてきたのですが、今は20%以下になり中国に首位の座を譲っています。(ブラジルも急増)
 「日米同盟の深化」を謳う民主党政権は、軍事大国への思いやりも深化させるのでしょうか?地位協定も深化させるのでしょうか。核密約を抱き締めて「先行不使用宣言」提唱を否定し続けるのでしょうか。オバマ政権の「新核戦略」でさえ、大きく転換して先行不使用に近づいて来ているのに、日本国の防衛省は、へ理屈をこね回して異議を唱え続けるのでしょうか(東アジア戦略概観2010)。唯一の被爆国家が、核兵器先行使用の権利を保有すべきとすることは信じられません。
100408blossom 5月3日(日本国憲法記念日)からニューヨークで開催される「核拡散防止条約(NPT)再検討会議」には、日本国政府はどのようなスタンスで臨まれるのでしょうか。世情は刻々と移り過ぎます。時計はめまぐるしく回ります。今日の快晴でわが桜も「葉桜に」変容しつつあります。

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2010年4月 5日 (月)

4月の日曜日・無情の雨

100405blossom 毎年桜の季節は、心躍る日を過ごします。先週土曜日から日曜日、わが家の周辺はたいへん華やいでいました。日曜日に急に思い立って「昼桜会」に数人の方をお招きし、かなり遅くまで楽しい時間を過ごしました。
 年度末の慌ただしい日を過ごして迎えるこの4月最初の週末は、穏やかな気持ちで時間を楽しめました。今朝は、またまた雨。朝の散歩は小雨の中、落花で真っ白になった小道を寂しく歩きました。毎年のことですが、桜の開花は雨と風の試練を受け続けます。今週末は、葉桜会になりそうです。
100405vivititta ところで昨日の日曜日、新横浜公園(港北区)で、世界同時マラソン『ビビチッタ』が行なわれました。この『ビビチッタ(Vivititta)』は、イタリアのスポーツ団体(UISP)が提唱してはじめられた世界同時マラソンで、既に26年の歴史を持っています。現在では150都市にまで広がっているそうです。今年のテーマは『融合と多文化』とし、全世界で午前10時15分スタートで12Kmのコースを駈けることとしています。日出ずる国日本国の都市がまず最初のスタート(東シベリアで開催都市がなければ)、その1時間後には朝鮮半島の都市で、その次は中国大陸の都市で、それから中央アジア、欧州、米国の各都市で大勢の市民が12Kmを駆け抜け、そして7時間後にはローマで、18時間後にはホノルルでスタートです(欧米はサマータイム)。12Kmのジョギングタイムはちょうど1時間程度ですから、この4月の日曜日に、世界中の都市で12Kmマラソンが「芋づる」のように繋がっていく、まさに『融合と多文化』をランナーが実感しつつ走る、そんな楽しいイベントです。
 横浜の開催者はよこはまVIVICITTA実行委員会で、「ビビチッタは単に走るだけのイベントではありません。平和を愛し、相手を思いやる心を持ち、健康の促進を望み、そして環境保全のために世界各地と連帯して走りましょう」と呼びかけています。足柄地域でも、桜の季節にふさわしいこのイベント開催に取り組みたいものです。

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2010年4月 3日 (土)

情報共有の推進

100403secret 4月1日に公開された『第5次小田原市総合計画 基本構想・基本計画素案』について再度。少し長いですがご勘弁ください。
 その素案の施策29に『情報共有の推進』が掲げられています。その中の一節にこうあります。「---市民と行政、市民と市民とのコミュニケーションの基礎となる情報を的確に発信するとともに、市民が容易に入手し活用できる環境を整えるなど、さまざまな情報を共有することが必要です。」まさに、いまだに市民と行政が情報を共有できていないのです。これまで行政情報の公開については、かなりしつこく、非開示については何度も『異議申立』などしてまいりましたが、「既に廃棄した。不存在」と言う回答を覆すことは出来ませんでした。僅かな情報、一部情報でも、開示させるまでにはかなりの時間と手間ひまが掛ります。情報の非開示で、行政側がバリアを立てている限り、市民参画なんて全くの欺瞞です。現在の小田原市政府が、行政情報の全面的な公開を誠実に実行しない限り、「市民が主役」などというきれいごとは通用しません。
 画像は、山梨学院大学の法学ライブラリーで公開されている米政府の解禁文書で、新原昭治さんが、2008年4月、米国立公文書館(米メリーラン ド州カレッジパーク)で入手した砂川事件「伊達判決」に関する解禁文書14点のコピーと日本 語訳データをこのライブラリーで見ることができます。(89MBほどの重い文書なのでここにはリンクできませんが、ぜひアクセスしてみてください。)
 この電報文のコピーは、1959年3月30日の『伊達判決(米軍駐留違憲)』
に驚いたマッカーサー大使が国務省に送った「極秘」電報です。「I SAW FUJIYAMA AT EIGHT O'CLOCK THIS MORNING AND DISCUSSED RULING OF TOKYO DISTRICT COURT THAT PRESENCE OF US FORCES AND BASES IN JAPAN VIOLATES JAPANESE CONSTITUTION.-----」などという文面が読み取れます。折角ですから、この電報の部分だけですが、新原さんが布川玲子さんと翻訳された日本文を転記します。
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02 19590331 TOKYO-DOS MACMETFUJIYAMA【全訳】〔 〕内は訳者の注
国務省・受信電報「極秘」
1959年3月31日午前1時17分受信〔日本時間3月31日午後2時17分〕
発信元:東京〔大使館〕
宛先:国務長官
電報番号:1969.3月31日午後2時
至急電 国務省宛1969.同文情報提供─太平洋軍司令部宛552、在日米軍司令部宛 533 限定配布 太平洋軍司令部宛は政治顧問とフェルト提督へ。在日米軍司令部宛はバーンズ将軍へ。 大使館関連電報1968
 今朝8時に藤山〔愛一郎=外務大臣〕と会い、米軍の駐留と基地を日本国憲法違反とした東京地裁判決について話し合った。私は、日本政府か迅速な行動をとり東京地裁判決を正すことの重要性を強調した。私はこの判決が、藤山が重視している安保条約についての協議に複雑さを生みだすだけでなく、4月23日の東京、大阪、北海道その他でのきわめて重要な知事選挙を前にしたこの重大な時期に、国民の気持に混乱を引き起こしかねな いとの見解を表明した。
 私は、日本の法制度のことをよく知らないものの、日本政府がとり得る方策は2つあると理解していると述べた。
1、 東京地裁判決を上級裁判所〔東京高裁〕に控訴すること
2、 同判決を最高裁に直接、上告〔跳躍上告〕すること
 私は、もし自分の理解が正しいなら、日本政府が直接最高裁に上告することが、非常に重要だと個人的には感じている。というのは、社会党や左翼勢力が上級裁判所〔東京高裁〕の判決を最終のものと受け入れることは決してなく、高裁への訴えは最高裁が最終判断を示すまで論議の時間を長引かせるだけのこととなろう。これは、左翼勢力や中立主義者らを益するだけであろうと述べた。
 藤山は、全面的に同意すると述べた。完全に確実とは言えないが、藤山は、日本政府当局が最高裁に跳躍上告することはできるはずだ、との考えであった。藤山は、今朝9時に開かれる閣議でこの上告を承認するように促したいと語った。  マッカーサー
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 藤山外相(当時)に跳躍上告を促した経緯がはっきりと示されています。日本国独立後すでに7年も経っていますが、このような内政干渉が平然と行なわれていたのですね。このことには全く驚きますが、米国ではこの文書が公文書館で公開されたことにも驚きます。国政は民主党政権になって、外務省内の『密約』文書記録などが調査されていますが、やはり、既に廃棄などの事実が暴かれています。有識者委員会(委員長坂田一哉大阪大教授)は、存在が確認できなかったなどと気楽な報告をしたのは呆れたことです。昨年、砂川事件の被告が4機関に請求し、「不存在」非開示とされた「跳躍上告」日米密談の日本側記録が4月2日外務省分が公開されました。(毎日)「不存在」文書が発見されたとは驚きです。小田原市政府でも、旧政権の「不存在」文書を発見して欲しいですね。
 あらためて強く求めます。情報の開示は、行政府の基底的な責務です。CHANGE を標榜した小田原市長は、市民参画を求める前に、誠実で完全な情報開示の「環境を整え」てください。

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2010年4月 2日 (金)

『新たな総合計画素案に対する意見を募集します 』

10030402masterplan5 昨日4月1日、標題のパブコメ募集が小田原市公式サイトにアップされました。このパブコメの後、5月に『行政案』を策定し、『総合計画審議会』に諮問し、10月に答申を受け12月に『基本構想』を議会に上程して議決を得て、来年4月に『新たな総合計画スタート』。市民の前に公表された『素案(60頁)』についての市民意見聴取はこの1ヶ月のパブコメで十分とお考えのようです。「市民が主役の小田原」と言う惹句が素案にありますが、まさか主役はできるだけ早く退場してもらいたいなどとはお考えではないですよね。パブコメ以外にパブリックインボルムメントを誠実に実施すべきです。
 小田原市政府のお考えは、素案公表までの市民参画については、『トライフォーラム』『地域検討委員会』『アンケート調査』でしっかり吸い上げたということのようです。職員の視野を広げるとした『新総合計画シナリオ集(117頁)』なるものもあります(素案とは施策の通し番号が整合していませんが)。素案はきわめてシンプルなもので、重要施策でありながら全く言及がないものもありますので、ご多用の「総合計画班」職員にお聞きしました。「小田原市唯一の公営事業(公営賭博)についての計画がないが?」「個別事業にはふれない.意見があればパブコメで出してくれ」「重要な施策だと思うが?」「この素案が小田原市の考えだ」-----?
 「基本構想」ではありますが、施策18では「 文化交流拠点としての市民ホールを整備するとともに、民間による文化芸術事業を促進します」。施策22では「ごみの有料化を検討します」「ごみ処理の広域化を視野に入れながら、新たな施設整備やごみ処理体制の方向性を検討します」施策29では「情報を積極的に公表・提供し、活用できる仕組みや環境を整えます」など、かなり具体的な計画も示されています。小田原市における公営賭博事業は、61年間も続いています。「段階的撤退と跡地の有効活用についての検討を開始します」とする市長公約は単なる個別案件ではないはずです。誇りある小田原市としての「基本構想」を立案して欲しいものです。

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小峰発電所(7)3月の発電量270kWh

100402hatsuden 3月の太陽光発電記録です。昨年11月10日に開設してから、11月111kWh、12月202kWh、今年1月111kWh、2月191kWh、先月3月270kWh、累計1,034kWhとなりました。3月の自給率は31%です。2月15日から3月11日までの25日間の余剰電力の売電は53kWhで、2,544円の支払を東京電力から受けました。9日と24日は0.8kWhですが、30日は18.2kWhと今までで最高の発電量を記録しました。
 昨日4月1日は例年通り東京で「辞令交付式」を行ないました。新人18人と異動の教職員など100人ほどを前に、「日本近代、140年の歴史の総決算を迫られるこの2010年−−云々」などと話し出して、そうかその半分以上の間は、自らが参加しているのだと気づきました。自分自身が作りだした日本近代、少なくとも戦後65年は、参加と挫折を繰り返して、今日の状況を作りだしたことに深い自責の念に迫られました。
 午後、所用で神田まで出かけましたが、晴天の中の強烈な風。歩行もままならない有様。夕刻帰宅しましたが、小田原は昼前から強い風雨だったようで、美しく咲き始めた桜はひどい仕打ちを受けていました。嵐の年度始め、国政も市政も賢明な選択で総決算を乗り切れるのでしょうか。

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