« もう一つの4月25日 | トップページ | 「赤プリ」の終焉から建築家の業を思う »

2010年4月26日 (月)

建築ジャーナル4月号

100426himori_2 かなり古いニュースで恐縮です。忘却したい話でもありますが、記憶すべき小田原市の恥辱としてお伝えします。建築ジャーナル4月号に掲載された桧森隆一氏の「論評」です。『市民が否定したのは「都市の中の広場」という山本氏のコンセプトである。この大本のコンセプトが否定されているのだから、どんなに対話を重ねても市民が納得するはずがない。---ホールの使い方を建築家が押し付けるのは僭越のそしりをまぬがれない。---』と述べられています。
 まさに氏の指摘の通りです。でも、なぜこの「僭越」が設計者選定委員会という市が設置した委員会で採用されたのでしょうか。この委員会は、委員長藤森照信(建築家)、副委員長市橋匠(当時副市長)、委員伊東豊雄(建築家)、松村みち子(一般有識者?)、本杉省三(建築家)、坂本恵三(当時企画部長)各氏で構成され、事務局は植田理都子(当時市民部長)、篠原弘(当時文化交流課長)ほかの職員でした。委員会の建築家はいざ知らず、副市長や企画部長はどのような認識をされていたのでしょうか。12年にわたって小田原市に貢献された小澤良明氏の記念碑として優れた設計案とお考えになったのでしょうか。事務局の市民部長以下の職員も山本案の「都市の中の広場」が基本構想と乖離していることの認識はなかったのでしょうか。山本氏ご本人に小田原市は「1億5750万円の設計料をどぶに捨てた]と言われていますが、当時の関係者のみなさんからの事情聴取、事情調査はなされたのでしょうか。
 小田原市は、建築家の「僭越」を選択した責任についてどのように対処されるのでしょうか。

|

« もう一つの4月25日 | トップページ | 「赤プリ」の終焉から建築家の業を思う »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/139245/48186472

この記事へのトラックバック一覧です: 建築ジャーナル4月号:

« もう一つの4月25日 | トップページ | 「赤プリ」の終焉から建築家の業を思う »