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2010年5月

2010年5月28日 (金)

きょう普天間「移設」日米合意???

 「---之ヲ御承諾アルトモ又或ハ御拒ミアルトモ御勝手タリト雖モ若シ御拒ミ相成ランカ帝国政府ハ已ニ決心スル所アリ其結果ハ果シテ那辺に達スヘキカ蓋シ貴国ノ地位ハコノ条約ヲ締結スルヨリ以上ノ困難ナル境遇ニ坐シ一層不利益ナル結果ヲ覚悟セラレサルヘカラス」この一文は、1905年11月15日、伊藤博文特命全権大使(初代韓国統監)が韓国皇帝李熈(高宗)に対し「第2次日韓協約(保護条約)」の締結を迫った際の問答の一部です。この後、大臣との談判では韓国総理が失神するなど大騒動の末、最後まで反対した大臣3人をねじ伏せて締結に至ったそうです。
100528futenma 今日5月28日、アメリカ合衆国と日本国は普天間「移設」で合意するそうですが、閣議で反対する大臣が罷免され、連立政権崩壊とかで大騒動です。この騒動の末に「保護国化」はさらなる深化の実を上げるということでしょうか。敗戦の軛から抜け出すことは永久に叶わないのでしょうか。「安保」という不平等条約、改訂後6月15日で50年になります。

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2010年5月24日 (月)

公営賭博

100524keirin 昨日は、「宝くじ」、今日は「競輪」が事業仕分けで厳しい指摘を受けています。賭博・富くじには、刑法185条、186条、187条で、最高5年の懲役という罰則が科されています。パチンコは唯一民業賭博(類似?)として、「警察庁」管理のもとで存在しています。堂々と盛大に実施されている賭博は、「公営競技」、競馬(農林水産省)、競艇(国土交通省)、競輪・オートレース(経済産業省)、「富くじ」スポーツ振興くじ(文部科学省)、宝くじ(総務省)の6つの「公営事業」です。2008年度の売上は、中央競馬2兆5900億円、競艇9772億円、競輪7913億円、オートレース1049億円、宝くじ1兆420億円、スポーツ振興くじ897億円です。公営競技の払い戻し比率は75%(競馬は変動)、宝くじは46.4%、スポーツ振興くじも50%ほどのようです。それぞれに、公益性のある交付金などを出されていますが、「スポーツ振興投票助成事業費2007年度分(2008年度)9億4910万2000円」など、かなり低率です。
 一方、民業「パチンコホール経営企業全2186社の総売上高は24兆488億円(2008年)」とされています。総額で5兆円ほどの公営賭博の存在を、かなりの納税とともに影で支えているのでしょう。(ちなみに、「住宅産業の市場規模は約18~19兆円」と言われています)
 刑法に触れない官業賭博の論理、自転車競技法では事業の目的を「自転車その他の機械の改良及び輸出の振興、機械工業の合理化並びに体育事業その他の公益の増進を目的とする事業の振興に寄与するとともに、地方財政の健全化を図るため」としていますが、仕分け人の指摘を待つまでもなく、露骨な官業収益が露呈しています。小田原競輪の事業収入(2008年度)159億円、一般会計繰出金3億円、関係団体経費9億円が示すようにに、「地方財政の健全化」が目的とはとても思えません。小田原市でも衰退の一途をたどっていますが、相変わらず「高齢者の交流の場、社交の場(小田原市競輪事業検討委員会H19年度)」と評価されて今日も「開催」がなされ、関係団体への上納が続けられています。
 小田原新市長の選挙マニフェストでは、『競輪事業に替わる新たな土地活用と事業計画推進に向け、段階的撤退と跡地の有効活用についての検討を開始します。』とされていますので、この2年間でしっかり検討がなされたと信じます。日本国政府の行政刷新担当大臣に『競輪だけでなく競艇や競馬など公営ギャンブルには、自治体と国との関係などで共通の問題があり、行政刷新会議として、しっかり方向性を示していきたい』と先を越されてしまったなんてことはないですよね。「賭博のまち小田原」だけは勘弁してください。

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2010年5月23日 (日)

露館播遷

100523yamabe 1896年2月11日、朝鮮国王高宗と世子(純宗)が露公使館に避難して、ここに国王高宗の朝廷を開きました。当時の朝鮮国は、宗主国清(中国)と隣国露西亜、日本による朝鮮半島支配をめざす隱謀術数が渦巻いており、特に前年の10月8日の閔妃殺害事件(日本)とそのカウンタークーデター(露・米)の失敗が、この異例の事態を引き起こしました。(ご関心のある向きはWikipediaへ。画像の岩波新書は1966年1刷発行、山辺氏は1905年生まれの朝鮮史の研究者ですが、日本社会運動史という労作も残されています。この「新書」では明治政府の公文書、秘密訓令などで目を剥くような事実を知ることができます。古書をamazonで入手できます。)日露、それに英米もからんで、外交妥協が成立し翌年2月20日に慶運宮に還宮しました。ちょうど1年の緊急避難です。
 王国の宮廷が外国公館に避難するというのは、ずいぶん思い切った体制手法ですが、意外に効果的だったようです。無茶と乱暴を繰り返していた「日本力(官民)」が急速な妥協に走っています。
 鳩山政権の「移設」公約が、空文であり、米国との合意が沖縄県民はもちろん日本国民との合意に優先するとのことです。この奇怪な「政権変貌喜劇」はかなりの世情混乱を招きそうです。ハトヤマさんご一行は、早めの「播遷」をなさった方が良いでしょうね。何処の「公館」に播遷なさるのかが問題ですが。
 米軍基地の問題は、明らかに憲法違反です。9条だけでなく25条をも空文化させています。国家は、国民に対しては、コンプライアンスを求めますが、自らはフリーハンドのようです。行政はもちろん、立法も司法も「憲法遵守義務」から何処かに「播遷」なさっているのでしょうか。
 沖縄県はもちろん、この神奈川県にも米軍基地が我が物顔にのさばっています。先日妻の運転で、相模原市の市街路を走りました。なんとも広大な空地が市街地の真ん中にレンガ塀に囲まれて「米軍占有地」として存在するのですね。驚きの声を上げましたら、妻曰く。「一度厚木基地(大和市・綾瀬市)の爆音を聞いてご覧。こんな無駄騒ぎどころではないですよ」と嗜められました。国民悲嘆の声を無視して米軍「抑止力」のために、被占領を抱き続けるのでしょうか。確かにこの国は悲惨な敗戦はしましたが、もう65年です。「安保」従属を破棄し、「憲法」遵守の誇りある日本国にしましょう。
 国政でも地方政治でも、CHANGE の「夢」をいとも簡単に、平然と踏みつぶしてしまう、こんな非道が続くことはけっして許されないでしょう。選挙によって権力を与えられた自らのステージをしっかり見つめて欲しいものです。

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2010年5月17日 (月)

沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ

100517futenma 「沖縄県」は1871年の琉球処分で大日本帝国鹿児島県となり、日米地上戦が1945年6月23日まで続き、1972年5月15日まで占領軍の軍政が続き、2010年5月まで米軍拠点基地の島とされ、その決着が今月末に姿を現すのだそうです。昨日16日の日曜日には、豪雨のなかを1万7000人の市民が普天間基地を「人間の鎖」で封鎖したと伝えられています。5度目だそうです。
 鳩山日本国首相が沖縄を再訪!、クリントンアメリカ合衆国国務長官が日帰り来日!、5月末決着! ???えっ、まさか。???えっ、こういうことかな。「日米の合意は困難。日本国内基地設置の地元合意は無理。ならば、日本国による普天間基地の存する沖縄全島の統治権は放棄する。沖縄県は分離独立し、外交自主権を得て日米安保の軛を離れた沖縄平和共和国として、アメリカ合衆国、日本国との3者協議で沖縄日米軍事基地の問題を解決する。日本国とアメリカ合衆国との安保条約見直しの過程で、国際紛争を解決する手段としては、武力による威嚇又は武力の行使は行なわない。鳩山首相談『沖縄のみなさんの長年に渉る苦難に対しこころから遺憾の意を表するとともに、この度、みなさまのご英断により極めて困難な国際問題解決の手段が得られたことに深甚の感謝を申し上げる。沖縄地上戦および65年にわたる軍事基地の負担についてはその損害の補償に対し誠実に対処する。』クリントン国務長官談『日米安保による沖縄基地化で長年に渉り堪え難い苦しみを与えてしまったが、沖縄平和共和国政府とは、日米安保を離れ、民主主義国として誠実に対応し速やかな米軍基地問題解決に当たりたい。信頼に応えてくれたハトヤマ首相を高く評価する。』」
 民主党政権は、あっと驚く政策を打ち出されますので、こんなこともあるのでしょうか。

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2010年5月14日 (金)

八幡山古郭東曲輪歴史公園

100514view04 この画像は2004年12月に、小田原城天守閣展望台から撮影した「八幡山古郭東曲輪」跡地の当時の状況です。この一帯は「天守裏」と称されていて、近世小田原城跡の整備保全とかなり違い、史跡として「小田原城古郭」として認識されてはいるものの、なんらの整備指針も示されていませんでした。ゾーニング規制は、この当時、路線第2種住居地域(後背地は第1種中高層住居専用地域)で、建物の絶対高さ制限のない地域でした。後背地は住宅と専門学校などの業務施設との混在開発がなされています。路線部分の街並みはこの画像にある2つの中層ビルと低層住宅でできております。
100514chikenmansion 2004年10月に、小田原市開発審査課に事前相談が持ち込まれ、この巨大マンション開発事業が姿を現しました。路面から5mも高い台地状用地に42.47mの建築物を分譲事業として建設するというものでした。この事情、その後の経緯は私の別サイト「天守閣前高層マンション退治記」に記載してあります。この画像は2004年12月15日に開かれた第1回の「住民説明会の際にいただいた立面図を合成したものです。住民の環境保全活動、文化財保護の活動、行政の努力等によって高度地区の指定が1ヶ月早まり、施行が2005年6月15日と決まりました。このことで開発業者は時間切れに焦ったのでしょうか、傲慢な姿勢を急変させ小田原市の公有地化条件に応諾することになり、「マンション退治」は終結しました。マンション紛争を、開発用地の公有地化で解決した事例は全国でもたいへん希有なもので、議会からの異論を振り切っての小田原市の決断は今後も高く評価され続けるでしょう。これによって「小田原城古郭」の保全整備に足がかりができた事は、歴史都市としての再スタートといっても良いのではないでしょうか。
100516view その後3年度にわたって「公園工事」が進められ、本年3月29日に開園しました。幾度も工事説明会があり、その都度公園整備についていくつかの意見を申し上げましたが、なんらお聞き届けてはいただけませんでした。今朝はじめてこの歴史公園に「登って」みました。路面からは20m以上はありそうな台地が野柴で整地され、文化財「説明板」が1枚、石のスツールが3つ立っているだけのとてもシンプルなものでした。たびたびお願いしました斜路への配慮はまったくなされていませんでした。私自身ここに登るのは最初で最後になるでしょうが、何とかもう少しは高齢者や歩行弱者への配慮が欲しかったと強く思います。かなりの年月と費用をかけ、住民に説明し、意見を聴き完成したこの「歴史公園」、市民参画無視の記念公園になってしまいそうです。(追記 この画像は2日後日曜日の午前9時に天守閣から撮った現在の姿です。12月と5月の季節差が大きく出ています。天守閣には久しぶりに登りましたが、高齢者にはかなりの労苦です。たぶん最後の登頂と思い、ついでに我家の太陽光発電パネルが14枚あるのを確認し、遠望ですが1枚撮りました)
100514higashikuruwa なんとも寂しい思いと疲労感で、ポイ捨てごみを拾い集めて、携帯カメラで記録しました。近隣住民の方々の清掃が行き届いているようで、意外に少ないのは嬉しい事でした。外れ車券はありませんでした。
 市民が日常的に、美しい公園で談笑し時間を過ごせるような都市になるのは、この小田原では夢の夢なんでしょうか。


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2010年5月13日 (木)

5月末の決着?

100513okinawa_base 画像は沖縄県の公式サイトにある沖縄本島の「米軍提供施設・区域の概要」です。施設数 38、施設面積 23,753ha、米軍専用施設面積23,445ha(自衛隊共用は308ha)、軍人・軍属・家族数 合計 49,279人、他に離島の射撃場、29カ所の水域と20カ所の空域の米軍訓練区域、沖縄をすっぽり覆う米軍の管制権なども記載されています。
 これらの米軍軍事施設は、65年前のこの季節、4月から始まった沖縄地上戦で、240,856人(「平和の礎」刻銘者)の生命を無惨に奪い、永年に渉る占領継続の果てに「日本国復帰」後も残置され続けているものです。普天間海兵隊基地は沖縄から出て行ってくれ、新たな「杭打ち基地」などとんでもない、絶対に容認できない。この強い沖縄県民の意思は当然です。沖縄県外にも「移設協議」を受け入れるところはありません。米国政府は移設先住民の合意が前提だといっています。
 米国は、アフガニスタン、パキスタンでの戦略が最重要課題です。と同時に、オバマ大統領のプラハ演説で示した「核廃絶」は、ロシアを巻き込んで歩み始めています。MDシステムの再検討も進んでいます。F22の開発中止も決断しました。米国政府が抱えている軍事費の縮減は、この超大国にとっても喫緊の大課題です。東アジアに置ける戦力配備についても、国防費の削減が大きな課題です。米国の国防政策は変わりつつあります。
 このような中での「日米関係」は、新たな理念で再構築されるべきものでしょう。鳩山首相は「5月末の決着」にゆるがぬ自信をお持ちです。市井の認識とまったく違う新たな日米関係が進展しているのかも知れません。民主党政権の迷走ぶりや、マスコミの愚鈍な「移設」報道などに接していると、何かまったく違う事態が熟成されつつあるのではないでしょうか。「決着」の5月末を目前にして、さすがのマスコミ(新聞やTV)報道もぶれ出して来たようにも思えます。いくらなんでも、海兵隊基地が「移設」できないから、日本国政権が崩壊したなんて事が「日米同盟の深化」の中であり得るのでしょうか。なんとも気持ちの悪いこの半月になりそうです。

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2010年5月 9日 (日)

平塚のマルシェ

100509marche 長かった連休最後の日曜日、JRで平塚まで行きました。Sun Sun marche と名付けた「市民市場」の見学です。moto ROSSO というカフェの主催する極めて小規模の marche で、先月から始めて今日が2回目だそうです。それでも今日は11人の生産者の出店があり、狭い会場は大勢の市民でにぎわっていました。どのお店も生産者自身が、自らの生産物や加工品の説明を熱心になさっていて、とてもフレンドリーな市場になっていました。
100509marche2 この marche は小規模ではありますが、とても良く仕立てられていて、その楽しそうな雰囲気に誘われて通りがかりの方々が次々に立ち入られていました。ちょうどお昼時でもあり、ガレット風のランチを屋台サービスでいただきました。野菜類のほかに、お花や苗など、クッキーやジャムなどの加工品も人気があります。どのテントも大繁盛のようでした。もっと広い会場を確保し、さらなる工夫がされた楽しい「市場」に成長して行って欲しいものです。

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2010年5月 2日 (日)

記憶に残る5月1日でした

 昨日のこと。朝方の散策でのごみ苦行、昼前のメーデー集会、午後には新しい市民運動展開の相談、いささか疲労していましたが、夕刻には柄にもなく開会時間1時間近くも前に「講演会」に駆けつけました。予期に反してまだ空席がいっぱいで、主催者第一マネージメントの職員さんが待機されているだけ。いささか拍子抜けでしたが、大田昌秀さんが紹介された頃にはには大勢の方で席は埋まりました。隣町の町長さんはおみえでしたが、小田原市の市長さんの姿は見かけませんでした。
100502okinawawar ここに掲げた「平和の礎」刻銘者数の表は大田昌秀さん(1990〜98沖縄県知事)が、最初に示された資料の一つです。沖縄防衛戦での死者一覧です。【沖縄県】149,171人、【県外】77,114人【米国】14,009人【神奈川県】1,334人【北海道】10,800人などという数字に目がいきます。お話の中でお聞きしたことですが、1945年4月からの沖縄防衛戦の勢力概況は、沖縄住民約43万人、日本正規軍62,000人、地元動員臨時編成軍27,000人、それに対する米軍538,000人、制空権、制海権の一切を奪われて、防衛が不可能なことは明白な状況で発生した「戦争」の結果が、この死者数に現れているとのことでした。北緯30度以南の「南西諸島」は戦時下でも明らかに「本土」と差別されていた、米軍も「南西諸島」は日本固有の領土ではなく、米軍占領統治を継続する意思があったことが米国公文書館の資料で確認されている、とも言われていました。
 「小田原は研究者としてスタートした時代に訪れて以来の訪問です。今日の青空を見上げて、ここは米軍機が1機も飛んでいない、これが本当なんだ。沖縄をみなさんはどう思っていられるのでしょう」という言葉に、息をのみました。私たちには「彼の地は、本土と少し違う、中国にも近いし、本土の防衛抑止力に米軍基地用地を提供する義務が日本国にあるのなら、気の毒だがもう少し辛抱してもらおう。米軍機が頭上をかすめて飛んでいく?そんなのここではまっぴらだ、でも抑止力が必要というからうまくやってよ」そんな気持ちがあるのではないかと、身の縮まる思いでした。
 「米軍政時代、本土との密貿易船が持ち帰った「新憲法」を鉛筆で書き写したものを大学の教授からいただくことができた。戦争を永久にしないという第2章(9条)を知らされた。当時は長く絶望感に落ち込んでいたが、この憲法を日本国が定めたのだという喜びで立ち上がることができました」との話には、憲法こそ日本人の誇りの最大のものだとの思いをさらに強くしました。そして最後に戦争ではなく「愛」こそ国際紛争の抑止力とでも言われるような、キリスト者永井隆さんの詩を朗読されて終りました。
 「いとし子よ。敵も愛しなさい。愛し愛し愛しぬいて、こちらを憎むすきがないほど愛しなさい。愛すれば愛される。愛されたら、滅ぼされない。愛の世界に敵はない。敵がなければ戦争も起らないのだよ。」この日5月1日は永井さんの59回目の命日でした。
 友愛の鳩山政権、東アジア共同体とまで謳いながら、中国大陸・朝鮮半島を標的とした米軍基地を存続させるのですか。この5月末には、米軍基地に押しつぶされてしまうのですか。米軍基地撤去、安保条約廃止、新たな平和条約の締結こそほんとう「コンクリートから人へ」ではないのでしょうか。信じ難いほどの無謀な地上戦で40%近い住民を死に追いやり、戦後65年間占領と基地占拠状況に打ちひしがれて来られた沖縄の「人」に、さらなる負担を押し付けることは人道に対する犯罪です。55年体制、自民政治の後始末かも知れませんが、勇気を持って「立ち上がれ鳩山」。
100502litter3 ところで、昨日の細切れごみ、早朝に収集しました。草むらの中から細切れスチロールを拾い上げるのには、やはり15分ほどかかりました。戦利品を分別するため土間に広げてみましたが、なんとも理解に苦しむ細切れごみでした。
 これで、ごみ拾い再開になります。

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2010年5月 1日 (土)

ごみ問題

 第5次小田原市総合計画素案が先月初めに公開され昨日まで「市民意見聴取」が行なわれていました。素案の基本計画に示された「施策23生活環境の保全」には、こう記載されています。【目指す姿】まちには花と緑があふれ、いつもきれいで住みよい状態に保たれています。【基本方針】市民、事業者、行政とのパートナーシップにより、まちの美化や講演の維持管理を進めるとともに、良好な生活環境を保持するための取り組みを進めます。【詳細施策】恊働による美化の推進 市民の環境美化意識をさらに高め、市民、事業者、行政が連携して、不法投棄、ポイ捨て、落書きなどのないきれいなまちづくりを進めます。
100501litter1 画像は、今朝の愛犬散策時に撮影したものです。これまで毎朝の日課として自宅から城址公園周辺までポイ捨てごみの回収をしておりましたが、だんだん範囲が狭まり、今では僅かな範囲に縮まってしまいました。しかも、先週20日の眼球水晶体の手術で、4週間は「野良仕事・ごみ拾い禁止」を申し渡され、以来自粛をしておりました。4、5日前から不法投棄されていたごみ袋が気になっていましたが、遂に昨日の朝このような惨状になっているのを発見しました。競輪場開催日には、閉場後は受託業者が競輪客がポイ捨てのゴミ回収をしていますので、競輪ゴミとあわせて回収してくれるものと思っていましたが、当てが外れました。確かにこのゴミは生活系ごみですので、この回収は受託業務外ということなんでしょうか、放置されたままでした。
 市民、事業者、行政が連携してというのには、路上ごみの回収などは入らないのでしょうか。「いつもきれいで住みよい状態」にするのは市民だけの義務なんですか。確かにこのごみ袋は市民が捨てたもの、市民が処理すべきと納得すべきなんでしょうか。「施策22資源循環型社会形成の推進」なんともアカデミックなネーミングのお仕着せ事業名ですが、その【詳細施策】ごみの適正処理 ---ごみ処理の広域化を視野に入れながら、新たな施設整備やごみ処理体制の方向性を検討します。こう記述されています。
 「小田原市・足柄下地区ごみ処理広域化協議会」が平成18年に設置され、担当職員(多分5名ほど)が「広域化の検討」や市民説明をなさっています.この1市3町の前には、平成10年の神奈川県の関与で2市8町で広域協議をしています。20年も「検討」し、いまだに「視野に入れ」続けられているのです。この「広域化」は、ごみ焼却炉を「熱回収施設」命名して、あらゆるごみを高温連続焼却して「熱資源」にするという循環思想です。200億円ほどかかるそうです。高温で一切合切燃やしてしまうと、焼却残滓が少なくてハッピーと説明されました。質量不変の法則から考えると、少量になった残滓以外はすべて大気中に炭素系ガスなどとして放出されることになります。分別の手間ひまがかからずたいへんハッピーですが、地球温暖化推進政策はまずいのでは。いっぽうで、「3Rを基本としたライフスタイルへの転換」を市民に求めています。右手と左手が真反対の方向を差しているように思えます。
100501litter2 今朝のごみ袋回収は、15分ほどかけて拾い上げましたが、この不法投棄者はどういう方か、紙類、トレー類を実に細かく切り刻まれていて、トングでの回収を数百回繰り返しても終了できませんでした。残りは明日朝の仕事にしました。


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小峰発電所(8)4月の発電量304kWh

100501hatsuden 4月の太陽光発電記録です。4月25日の19.2kWhはこれまでの最高です。月間発電総量の304kWh、売電量141kWh、自給率46%も最高です。累計1,338kWhとなりました。夏場に向かうにしたがって発電量も増えてくることでしょう。今日の5月1日は見事な快晴です。競輪場前広場でメーデー集会があるとかお聞きしました。久しぶりの日光浴に出かけてみます。


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