« 5月末の決着? | トップページ | 沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ »

2010年5月14日 (金)

八幡山古郭東曲輪歴史公園

100514view04 この画像は2004年12月に、小田原城天守閣展望台から撮影した「八幡山古郭東曲輪」跡地の当時の状況です。この一帯は「天守裏」と称されていて、近世小田原城跡の整備保全とかなり違い、史跡として「小田原城古郭」として認識されてはいるものの、なんらの整備指針も示されていませんでした。ゾーニング規制は、この当時、路線第2種住居地域(後背地は第1種中高層住居専用地域)で、建物の絶対高さ制限のない地域でした。後背地は住宅と専門学校などの業務施設との混在開発がなされています。路線部分の街並みはこの画像にある2つの中層ビルと低層住宅でできております。
100514chikenmansion 2004年10月に、小田原市開発審査課に事前相談が持ち込まれ、この巨大マンション開発事業が姿を現しました。路面から5mも高い台地状用地に42.47mの建築物を分譲事業として建設するというものでした。この事情、その後の経緯は私の別サイト「天守閣前高層マンション退治記」に記載してあります。この画像は2004年12月15日に開かれた第1回の「住民説明会の際にいただいた立面図を合成したものです。住民の環境保全活動、文化財保護の活動、行政の努力等によって高度地区の指定が1ヶ月早まり、施行が2005年6月15日と決まりました。このことで開発業者は時間切れに焦ったのでしょうか、傲慢な姿勢を急変させ小田原市の公有地化条件に応諾することになり、「マンション退治」は終結しました。マンション紛争を、開発用地の公有地化で解決した事例は全国でもたいへん希有なもので、議会からの異論を振り切っての小田原市の決断は今後も高く評価され続けるでしょう。これによって「小田原城古郭」の保全整備に足がかりができた事は、歴史都市としての再スタートといっても良いのではないでしょうか。
100516view その後3年度にわたって「公園工事」が進められ、本年3月29日に開園しました。幾度も工事説明会があり、その都度公園整備についていくつかの意見を申し上げましたが、なんらお聞き届けてはいただけませんでした。今朝はじめてこの歴史公園に「登って」みました。路面からは20m以上はありそうな台地が野柴で整地され、文化財「説明板」が1枚、石のスツールが3つ立っているだけのとてもシンプルなものでした。たびたびお願いしました斜路への配慮はまったくなされていませんでした。私自身ここに登るのは最初で最後になるでしょうが、何とかもう少しは高齢者や歩行弱者への配慮が欲しかったと強く思います。かなりの年月と費用をかけ、住民に説明し、意見を聴き完成したこの「歴史公園」、市民参画無視の記念公園になってしまいそうです。(追記 この画像は2日後日曜日の午前9時に天守閣から撮った現在の姿です。12月と5月の季節差が大きく出ています。天守閣には久しぶりに登りましたが、高齢者にはかなりの労苦です。たぶん最後の登頂と思い、ついでに我家の太陽光発電パネルが14枚あるのを確認し、遠望ですが1枚撮りました)
100514higashikuruwa なんとも寂しい思いと疲労感で、ポイ捨てごみを拾い集めて、携帯カメラで記録しました。近隣住民の方々の清掃が行き届いているようで、意外に少ないのは嬉しい事でした。外れ車券はありませんでした。
 市民が日常的に、美しい公園で談笑し時間を過ごせるような都市になるのは、この小田原では夢の夢なんでしょうか。


|

« 5月末の決着? | トップページ | 沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/139245/48354057

この記事へのトラックバック一覧です: 八幡山古郭東曲輪歴史公園:

« 5月末の決着? | トップページ | 沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ »