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2010年7月 8日 (木)

7月11日・なぜ強くなければならないのか

100125futenma 6月22日に救急車で市立病院に搬送され、7月6日まで小田原市立病院での入院生活を体験しました。この体験はいずれ記事にしたいと思っています。
 65年前のこの日1945年6月22日、「大日本帝国大本営」は沖縄諸島での戦闘が終結したと発表しました。その翌23日、第32軍の司令官と参謀長は自決しています。軍令下での組織的戦闘は終了しましたが、生存兵士たちによる絶望的戦闘は8月4日まで継続していました。7月12日は、私の長兄が戦死したとされている日です。25歳という短い生涯でした。私は10歳でした。その死のわずか33日後、大日本帝国は無条件降伏をしました。占領軍による日本国の民主化は、冷戦の激化とともに姿を消し、その5年後、1950年6月25日、朝鮮半島での惨憺たる戦争が始まるとともに、旧軍復活・再軍備の道を歩き始め、ささやかに命ををつないできた戦後民主主義はますます命脈を細めます。その中での1951年9月8日、「単独講和」平和条約が、日米安保条約とともに吉田茂首相によって調印されています。日本経済は朝鮮戦争「特需景気」で息を吹き返しました。
 1960年6月23日には「安保改定」が発効し、今日の「日米同盟」が固定化されました。そして、「トランジスターのセールスマン」と揶揄された池田首相時代からの高度成長指向によって「国際社会において、名誉ある地位を占めたい」という願いがかない、世界第2位の経済大国と自負する時代を持ちました。
 7月11日の参議院議員選挙投票日に向けて、「強い経済」「一番を目指す」「日本復活」などというかけ声が飛び交っています。沖縄の悲惨、米軍基地の居座りは忘れ去られたかのようです。強くなるためには、沖縄には辛抱してもらおうということでしょうか。琉球処分以来、日本国であるようなないような「沖縄県」、1972年5月15日の「復帰」によって、米国世界戦略の拠点の一つとされ、「思いやり」深い日本国に支えられて今日まで、地上戦の記憶を抱きしめている住民の地に、この65年間居座り続けている「米軍基地」、一歩も前に進めない「日本国政府」。どのようにして、強くなれるというのでしょうか。自国民を悲惨の中において、国家だけが強くなるという「戦前回帰」はもう通用しませんよ。
 「日米同盟(いつの間にか普通につかわれていますが)」でいつまで、脱亜入欧が「いちばん」と信じ続け行くのでしょうか。鳩山さんの「東アジア共同体」はどこに隠れたのでしょう。
 6月から7月、8月はつらい月です。8月14日と15日には、例年通り市民の集いを持ちます。


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