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2010年8月

2010年8月27日 (金)

小田原市自治基本条例(1)松下啓一委員長

100826matsusita 小田原市の公式サイトで「昨年5月のキックオフフォーラム以来、延べ1,200人以上の方にご参加をいただきながら進めてきた、小田原市の自治基本条例づくり。自治基本条例検討委員会で検討を進めてきた骨子案が完成し、8月23日加藤市長へ報告書として提出されました。今後、本市では、この骨子案を基に自治基本条例案を作っていきます。」として、その報告書が公開されました。
 昨年5月のキックオフフォーラムに参加し、「プレ検討委員会」なるものにも数回参加させていただきましたが、松下啓一氏のお考えには、かなり違和感を持ちました。その後11人の委員により検討委員会が組織され、10ヶ月の間に25回の会議を持って「提言(骨子案)」がまとめられたとのことです。かなりお急ぎになる事情があったのでしょうが、会議以外にも10回のオープンスクエアを開催という高密度?の作業の成果のようです。
 報告書には、松下啓一委員長の「はじめに」が付されています。「この提言は、そのつくり方、内容とも、他とはずいぶんと違うものとなっています。まず、この提言は、他の自治基本条例を一切見ないでつくりあげました。」「オープンスクエアという小田原方式を編み出し」「市民自治というと、なにか遠いことのようですが」「行政、議会にだけ公共を委ねるのではなく、市民、自治会・町内会、市民活動団体等も、公共を担っていく」このようなお考えで委員会は作業を進められたとされています。
 小田原市に限らず、どこの町の「自治」も、法に基づく自治の制度が定められ、長年にわたってその町の姿を定めてきています。行政・議会の制度が時代の変化とともに、「自治」の足かせになって来ているからこそ、さまざまな町で「自治基本条例」という新たなアドレスを定め出したのではないでしょうか。先行事例の一切を「見ない」ということにどんな意味があるのでしょうか。「小田原方式」は市民発議で出現したのでしょうか。松下氏や「ファシリテーター」氏の発明なんでしょうか。
 市民自治が、現行の制度によって十分に保証されているならば、あらためて「基本条例」などは不要なものです。制度が市民の自治を妨げている、情報の公開も、住民投票も、会議の公開も、議会の制度も、行政の組織も、そんな制度を「市民が主人公」の理念で方向付けをするというのが、この「基本条例」の役割ではないでしょうか。「協働」によって「公共を担っていく」ことは、市民側に負担をかけることではなく、「自治」の制度を民主主義の思想で進化させることにあるのです。
 委員長は、地方自治の「専門家」と言われますが、何か大きな勘違いをなさっているように思えます。「自治基本条例の策定」は、この小田原の新しい地平を開くものとして、市民の大きな期待を持ってスタートしたものです。この「提言」が小田原市民の総意であるとして、今後首長(職員)や議会で「真摯な議論と地道な実践」がなされるそうですが、「自治」の後退にだけはなって欲しくないものです。

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2010年8月26日 (木)

玉子

100826eggs まったくの農業音痴の当方ですが、山形県長井市の「自然卵養鶏家」菅野芳秀氏に先週土曜日にお会いしました。その席で「腰に感謝しつつ---」という献辞つきで自著『玉子と土といのちと』をいただきました。この献辞の所以は、数年前、脊柱管狭窄症に悩まされていた菅野さんと外科手術をやるべきか否かで、当方の手術経験などを参考に供したことがあったからです。たまごのことなどまったく無知のままで生きてきましたが、小田原市久野の笹村氏から笹鶏たまごをお見舞いにいただいた際、比較記録を残したのがこの画像です。左側の黄色い方が笹鶏たまごです。菅野さんの本で知りましたが、消費者は「卵色」の濃いものをありがたがるので、生産者(流通者)は薬剤による着色の工夫をするのだそうです。さまざまな色見本があって、好みの色合いを選択できるとか。自然卵、着色加工しないたまごは、「卵色」ではないのだという話、納得と驚きです。右側の大きい卵は生協で購入しているかなり高価な卵です。「自然」であることの厳しさを学習しています。
 ところで、菅野さんの席で当方のおしゃべり(沖縄の話だったか)に応えて、寺山修司氏の「語り」の一節を披露されましたが、その正確な記憶に驚嘆しました。「玉子」のなせるわざなのでしょうか。以下、その一節を転記します。『アメリカ地獄めぐり(1969)』-------中学校の頃、公園でトカゲの子を拾ってきたことがあった。コカコーラの瓶に入れて育てていたら、だんだん大きくなって、でられなくなっちまった。コカコーラの瓶の中のトカゲ、コカコーラの瓶の中のトカゲ。おまえにゃ、瓶を割って出てくる力なんてあるまい、そうだろう、日本。おれがどこから来てどこへ行こうとしているのかを、教えてはくれぬ日本。-----
 寺山氏の語りから41年、瓶の中の肥満のトカゲはこれからしぶしぶ身を細らせるのだろうか。それとも、いよいよ「コカコーラの瓶」を割るのか?それとも-----?

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2010年8月25日 (水)

城跡も城址公園も大切にしたい(2)

100825newfence 8月17日の記事lで「醜い仮設フェンス」のことを「3年以上放置」と書きましたが、1年程度だそうです。毎日目にしていると、錯誤するのでしょうか。それとも残り少ない日々からの焦り?それにしても、あっという間にこのよしずで目隠ししてくれました。今朝確認しましたが、取り敢えずの処置としては納得です。ありがとうございました。できるだけ早くこの仮設物は撤去して欲しいですね。
100825camphortree ところでこの画像、これも頼りない記憶ですが2年ほど前に、菖蒲園近くのクスノキの大木が2本伐採されて、痛々しい切り株が二つ残されていました。今はその両方とも、このような新芽がびっしりと伸びて来ています。我が家でも、8年前に城山四丁目の古家の改装工事をした際、隣家との間にクスノキの種子が根付いたようで、幹径8cm、樹高3mほどに育ってきましたが、この春、隣家のご希望を入れて伐採してしまいました。それからわずか3ヶ月ほどの昨今、可愛らしい新芽が誕生。その生命力、復元力に驚きとともに、感動しています。


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2010年8月24日 (火)

小田原市総合計画(2)審議会傍聴者1名!

100622soukeishin 第5次小田原市総合計画審議会の会議開催状況をあらためて拝見しました。●第1回 6月22日(火)10:00~12:00 概要・審議日程(委員欠席2人、傍聴者 1人)●第2回 7月 8日(木)18:30~20:30 基礎条件・基本構想(委員欠席2人、傍聴者 2人)●第3回 7月15日(木)10:00~12:00 福祉・医療(委員欠席4人、傍聴者 7人)●第4回 7月22日(木)18:30~21:30 子育て・教育(議事録未公開)●第5回 7月29日(木)13:30~15:30 地域経済(議事録未公開)●第6回 8月 5日(木)13:30~15:30 歴史・文化(議事録未公開)●第7回 8月12日(木)13:30~16:30 自然環境・都市基盤(議事録未公開)●第8回 8月24日(火)14:00~16:00 市民自治・地域経営(議事録未公開)●第9回 8月30日(月)10:00~12:00 総括審議(未開催)●第10回10月22日(金)13:30~15:30 答申協議(未開催)
 6月22日(火)に第1回会議開催、8月末までに9回の会議を開催して審議、10月22日に審議会会答申、それを受けて12年間の小田原市総合計画の基本構想、6年間の基本計画を策定するのだそうです。たいへんなスピード行政で敬服します。でも、傍聴者が1名というのは、この会議が公開されたことになるのでしょうか。平日の昼間に開催して、「市民が主役の小田原」の市民へ「会議公開」したことになるのでしょうか。傍聴者1名というのは、実質非公開です。
 「公開」ということを、小田原市は(市長も職員も)誤解しているのではないでしょうか。傍聴が可能ですということであれば、非公開ではないと信じているのですか。会議開催の15分前に傍聴受付をしなければ傍聴させないという不当なことが通用していることに、庁内で糾弾の声が上がらない。「市民が主役の小田原」「情報共有の推進」というのは、単なる美辞麗句、そんな物騒なことがある訳ないでしょう、委員が主役、市長が主役、議会が主役、職員が主役だからこそ、促成計画ができるのだ、市民が主役なんて行っていたら、何年掛ってもできる訳ないでしょう、こんなことかな。
 総合計画が、体裁よくできることなど、小田原市民は望んでいません。一歩でも二歩でも、「安全安心で生きながらえることができるまち」へ近づける具体的な施策の実現を求めているはずです。セレモニーはもうたくさんです。

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北条早雲杯争奪戦

100824sounhai 今日で、4ヵ日間続いた「第5回小田原市営(GⅢ)開設61周年記念 北条早雲杯争奪戦」が終ります。画像は今朝9時51分の写真です。大勢のガードマンにお聞きしましたら、好天に恵まれ好成績だとのこと。熱射病犠牲者も出なかったようで、ご同慶の至りです。二宮神社祈願のご利益でしょう。賞味期限の切れた「競輪賭博」ですが、小田原市61年間の苦労をせめて、この記念レースで目にもの見せたいとの思いで奮闘されている事業部職員の方々には、慰めの申し上げようもありません。もうそろそろ、地域負担と事業利益の損益を冷静に判断してください。
100824litter この画像は今朝7時36分の写真です。(以下翌日8/25の追記 昨日の24日火曜日で記念レースは終りました。当方は午前中に眼科手術でしたが、夕刻とまどいながらも、総合計画審議会の傍聴に出かけましたら、会議室は真っ暗。ばったり出会った元事業課の職員から、会議は午後の時間で終了したはずですとのこと。そそっかしさに赤面しながら、記念杯の売上成績何か聞いていますかと尋ねましたら、親切なその職員さん、「昨年並みとかお聞きしました」とのお答え。それにしては、外れ車券ごみは多かったですね。炎熱の中奮闘した事業課職員さん、お仕事とはいえ、むなしいですね。明日の1000年都市小田原は、まだまだ賭博収益をあてにし続けますか。)


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2010年8月23日 (月)

お城の整備

100823kihonkousou 平成5年3月に策定された「整備基本構想」があります。その後、基本計画、実施計画など策定されているのかもしれませんが、公式サイトでは見当たりません。構想はかなり踏み込んだ記載になっていますので、これに従って実施計画が年度ごとに決められていくのでしょうか。この画像は、城跡各部の呼称整理のためにつくられたものですが、整備の全体像を理解するには、大変分かりやすい図です。
 この構想には、当面計画(銅門他)、短期計画(本丸・二の丸主部.御用米曲輪・屏風岩他)、長期計画(馬屋曲輪・他の曲輪・堀などすべて)が、つけられています。馬屋曲輪が御用米曲輪に先行したようですが、短期計画中遅れていた御用米曲輪の整備が始まるようです。「構想」には、整備行程表はありませんので、あと何年、何十年、何百年掛るのか分かりません。でも、お城が少しずつでも奇麗になっていくのは嬉しいものです。
100823desertedhouse この廃屋は、かつて2軒ありましたが、5年ほど前に1軒が解体され砂利敷の更地になりましたが、残り1軒は文化財的な価値があるのでしょうか、それとも「原生林回帰」を待っているのでしょうか、東側外壁面はゴミ捨て場になり、とても手が付けられません。お城にも「御感の藤」にも、ごみ屋敷は似合わないと思いますが。この2軒とも市の財産を賃借契約で貸しているのだそうですが、なんともこの醜い状況の放置は理解できません。
 御用米曲輪整備に先駆けて、このお城の植栽管理計画が公開され、市民の皆さんはびっくりされています。樹木の伐採の前に、このような「管理放棄」状況を解消して欲しいものです。この写真は今朝の散策の際に撮影しましたが、夕刻にはこの砂利敷更地でロケ撮影の準備がされていました。

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2010年8月21日 (土)

官幣大社朝鮮神宮

100821chosenjingu この画像から、国民学校5年生の記憶がしっかり蘇ってきます。朝鮮神宮は「併合」後の1919年に「官幣大社朝鮮神社」が、天照大神と明治天皇を祭神として創立され、翌年から大工事が始まり朝鮮神宮と改称して1925年10月に鎮座しています。その10年後からの10年間は、私もこの神宮の「氏子」だったのでしょう。市電「朝鮮神宮前停留所」の停車では、乗客全員起立して車内から最敬礼していました。朝鮮総督府の皇民化政策として、朝鮮神宮参拝と家庭での神棚設置はあからさまに強制され、そのことを子どもの私は日常の中で何の違和感もなく受け入れていました。神道はこの日本列島の原始宗教として「民俗」と受け入れられていますが、国家神道が「大東亜」制覇のための先兵の役割を引き受けていたこと、神道自身で精算すべきことではないかと思います。
 「海外神社」については、神奈川大学教授(学長)中島三千男氏による貴重な研究論文があり、この記事もその成果に依拠しています。(神奈川大学のサイト 21世紀COEプログラム「人類文化研究のための非文字資料の体系化」から、pdf資料を読み出すことができます)
 朝鮮半島はもちろん、台湾、樺太、関東州、南洋諸島、満州、中華民国(当時呼称)には、「神社・社・神祠」が1,640もつくられたそうです。これらは、65年前の敗戦によって放置され、破壊・撤去されたものもあれば、いまだにその残骸が曝されているものもかなりあるようです。中島教授とそのチームの調査論文は丁寧なフィールドワークで、その「非文字資料」に接することができます。
100822youhai 天照大神を祭神とした「信仰」を、日本列島以外の地でその住民に強制することが、国家の政策として存在し、敗戦後も「靖国問題」を筆頭にさまざまな軋轢が生まれています。国内でもアジアでもいまだに国家神道の過去は精算されていません。今日の報道でも、「併合の有効?無効?には蓋をします」「もはや無効」でいいでしょう、などという相変わらずの曖昧政府見解が明かされました。神道は曲がりなりにも「宗教」の姿で他国民に強制したこと、強制された側は、決して「蓋を」してはくれないでしょう。

100822anjunggeun 朝鮮神宮の跡地には、安重根義士記念館が1970年に設けられ、今は新たな大規模施設の建設工事が昨年から始まっています。日本国の隣国外交建て替え工事はいつまで続くのでしょうか。
(上段の画像は中島三千男氏の論文に掲載された写真ー原典は朝鮮神宮奉賛会1937年記念誌、中段の画像は独立記念館から、下段の画像はソウルナビから)

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7兆7400億円 ゆうちょ銀行

100820lostsavings 昨日の神奈川新聞、一寸気になる記事です。日本国旧植民地の郵便局の1900万口座に放置されている郵便貯金残高の総額が43億円になるという報道です。敗戦後の引き揚げ、あるいは預金者の死滅などで夥しい喪失口座が発生したのでしょう。沖縄で集団自決した住民一家の貯金口座もあるのでしょうね。当時の43億円を現在の貨幣価値に換算するとどうなるのか、試算してみました。日銀と総務省の換算指数を援用して計算すると、1935(昭和10)年と2008(平成20)年比で約1800倍、7兆7400億円。1945(昭和20)年と2008(平成20)年比で140倍、6020億円。預金者の感覚でもこの中間値くらいにはなるのでしょう。大きな金額です。大日本帝国逓信省が喪失するとはどの預金者も想定していなかったのでしょう。これは、保険についても同じ、あるいはこれ以上かもしれません。
 長期にわたる「貯金・保険」は、預託先の永続を信じなければできません。預け先植民地の「郵便局1600局」は喪失したけど、本土の郵便局は生きながらえ、なんと日本一の金融機関商業法人になっている、あまり愉快な話ではないですね。戦後は永久に終らないようです。

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2010年8月20日 (金)

小田原市総合計画 (1)「新しい公共」?

100820sougoukeikaku  一昨年の新市長登場以来、新総合計画の策定について、最重要課題として「おだわらTRYフォーラム(無作為抽出によって 選ばれた市民、200 人)」「市民アンケート(4,401回収)」などを経て、本年4月には「(庁内で取りまとめた)基本構想、基本計画素案(60頁)」が出現、「パブコメ(25 人)」を経て、去る6月22日の小田原市総合計画審議会(第1回)において、「第5次小田原市総合計画行政案」が公開されました。-----私事ですが、この日午前9時に自宅で不調となり、救急搬送で市立病院に入院しました-----
 今日久しぶりに、小田原市公式サイト(新しい総合計画)にアクセスし、「第5次小田原市総合計画 基本構想・基本計画 行政案(72頁)」を拝見しました。これまでに7回の審議会が開かれ、10月22日の第10回審議会で答申を決定する予定のようです。6月の行政案と4月の素案をざっと対照してみましたが、大きな変更事項はないようです。パブコメの際に私も10項ほどのささやかな市民意見を提出しましたが、反映された様子は発見できませんでした。「施策の展開」32項が4項増えて、36項立てとなっています。4項は「市立病院」「小田原のものづくり」「市民活動」「職員の育成」に関するもので、「共生社会の実現(人権・男女共同・平和施策・多文化)」の項が「暮らしと防犯・防災」政策分野に移動しています。一寸奇妙な感じですが、審議会でも指摘されています。平和施策が防犯防災の政策とは思えませんが。
 「市立病院の機能拡充と健全経営」が大きな政策課題になったことは、納得できますが、市立病院入院体験者の感想としては、「高度で専門的な医療」も重要事項ですが、施設の良好な維持管理も利用市民、患者・弱者にはとても重要なことです。管理欠落のような施設に直面して驚愕しました。
 総合計画は、「ビジョン21おだわら」以来、何となく飾り物のように感じていましたので、「新計画」の詳細施策は、もう少し「詳細」に示していただけるのかなと期待していましたが、さほどの変化は見出せません。「詳細施策・情報共有の推進・広報紙、ホームページ、ラジオ、テレビなどを活用し、事業や施策の情報発信を充実させます。また、行政が 行う事業やさまざまなデータなどの情報を積極的に公表・提供し、活用できる仕組みや環境を整えます。」などという記述を目にすると、膨大な労力(市民・委員・職員)を重ねて策定する意味があるのだろうかと、とても空しく感じます。
 本年3月には、地方自治法の改正が政府提案され、地方公共団体への「義務付けの撤廃」が成立する見込みです。市町村基本構想は、今後は策定義務は無くなるのでしょう。何かさらなる空しさを覚えます。仰々しい計画策定より、「新しい公共」が見えるような具体的な事業を一つでも実現することが求められているはずです。

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2010年8月19日 (木)

小田原城址公園は誰のものか

100819shokusaizu_3 平成5年3月に「史跡小田原城跡 本丸・二の丸整備基本構想」が策定され、それ以後この構想に従って住吉堀、銅門、馬屋曲輪の整備事業が進められてきました。今年度は御用米曲輪(旧野球場・臨時駐車場)の整備が始まろうとしています。駐車場の移転に先立って繁茂した樹木の伐採から開始されています。この場所は、小田原城を訪問する観光客や小田原駅から所用に出かける市民たちに重宝されていた「城内駐車場」ですので、お困りになる方も多いのではないでしょうか。小田原城址の土地は国有地と県有地がほとんどだったように思いますが、この駐車場は日本国から借用していたのでしょう。もう数年前から「駐車場臨時利用」の借地契約?は終了していたようで、ここの史跡整備の引き延ばしは限界に来た、それで整備せざるを得ないのだなどと言われています。
 小田原城周辺まちづくり計画のうち、小田原駅東口の1ヘクタールほどの土地(ここも臨時駐車場)を再開発して、城内駐車場の肩代わりをさせる計画があるように思えます。この再開発事業は、懐かしい思いのする「民活」手法のようで、業者募集が明日20日期限で行われています。
 御用米曲輪の整備事業は、まず最初に土塁などの発掘調査が必要なのでしょうか、土塁上に繁茂しているクスノキやスギなどの伐採から始めるとお聞きしました。計画では100本ほどの巨木が伐採されることになっております。計画書では『曲輪北東側土塁のクスノキ40本・その他30本。(天守閣の視界を遮り、土塁上にあり史跡整備にも支障をきたす) 曲輪南側のスギやクスノキなど。(天守閣の視界を遮り、曲輪取りも不明瞭にしている)』と記載されています。この伐採で、駅前からの天守閣眺望が改善されるそうですが、ビル屋上の広告塔などはどうなるのでしょうか。
 御用米曲輪を皮切りに、城址公園全域にわたって300本(一説265本、正確な算定はなされていない)ほどの巨木を伐採する計画が明かされました。確かにこの城址は計画書がいみじくも指摘するように、「原生林回帰的」植栽状況ではありますが、長期間にわたって管理放棄してきたことについては、何らの言及はありません。長年にわたってこの「原生林回帰的状況」は市民に親しまれてきています。突然のように「安全」「遺構保全」「眺望」などのために、300本近い巨木を切り倒すことは、市民のこころには大きな違和感を抱かせることになります。
 国有地といえども「小田原城址」は小田原市民にとっては、巨木の木陰がある大切なオープンスペースであり、遺構破壊を防ぐためとは言え長い生命を保ってきた老木が無惨に切り倒されることは、史跡保全という論理を超えて、堪え難い思いを抱かれるのではないでしょうか。
 やっと計画のデータが公開されましたが、市民のこころに響くような「管理計画」の説明を速やかに実施すべきと強く思います。行政対応が「原生林回帰」にならないことを強く望みます。小田原市議会でも、委員会による現場実査があるとのこと。(画像は8月16日に公開された管理計画植栽管理図に曲輪やその他の場所名を付記したものです。黄色い部分が伐採されます。御用米曲輪ですと48と49の樹木群、100本近くが伐採されます。緑色の部分の樹木群は枝落とし、ピンク色の桜は残るようです。)

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2010年8月17日 (火)

城跡も城址公園も大切にしたい

100815uglyfence やっとこのところ、リハビリの指導を受けて城址公園の散策を再開しました。炎熱の季節ですから、日の出とともに出発し6時前には帰宅します。「史跡小田原城跡・小田原城址公園」の存在は嬉しい。8年前に「城内」と呼べるような至近に転居してからは、暮らしの基底になっています。都市公園が少なく、中心部には皆無といって良いようなこの町にとって、「史跡小田原城跡」は干天の慈雨といって良いような貴重なものです。
 画像の醜い仮設フェンスは、箱根口からお茶壺橋をわたって郷土文化館前、銅門の広場に入る通行者の多い場所にあります。以前にも指摘しましたが、もう3年以上放置されているでしょうか。車両出入り用の仮設舗装をされています。馬出し曲輪の工事のためだったのでしょう。工事はかなり前に終了していますが、まだまだ「史跡整備工事」が継続するので必要な「施設」といわれるのでしょうか。
100802lotus この仮設フェンスの前には、蓮池があり、今年は美しく咲きそろっています。早朝の姿は特に美しく、大勢のカメラマンが器材を抱えて集まっています。この写真は8月14日早朝撮影のものです。
 史跡の整備も、公園の整備も、大勢の来場者の中で行なわれます。工事仮設物も公園景観の大きな要素です。もう少し気遣いをしていただいても良いのではないでしょうか.これからの都市間競争、観光事業競争は、いかに美しいかで競われます。これから予想される「御用米曲輪」の復元整備工事については、史跡保全、観望のための樹木伐採も大きな課題でしょうが、「来場者への気遣い・心配り」を最優先にして、「美しい史跡小田原城跡・小田原城址公園」を目指して欲しいと切望します。小田原「市力」を見せてください。「市民力」は動き出しています。
(「史跡小田原城跡本丸・二の丸植栽管理計画(平成22年5月31日策定)」は昨日8月16日に、小田原市サイトに初めてアップされました。ぜひアクセスしてみてください。植栽管理計画図は、曲輪名や地区名などを付記して分かりやすくした概略図を、市教育委員会の策定図pdfから作成しましたので、
添付します。)

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2010年8月16日 (月)

光化門の復元と光復節

100815gwangh 8月15日、光化門(クヮンファムン)の復元が完成し、日本の植民地支配からの解放65年を祝う『光復節』記念式典が行なわれたと報じられています。光化門(こうかもん)は、私にとってはとても思い入れの深い「地名」です。1935年から45年までの10年間を韓国ソウル(当時は朝鮮京城府)で暮らし、住まいも国民学校もこの地に近く、市電「光化門停留所」は良く利用しました。私が知っている光化門は、100年前の韓国併合後、朝鮮総督府が解体して、1Kmほど西に移築したものです。総督府は解体撤去する方針でしたが、柳宗悦などの強い保存意見(「失われんとする一朝鮮建築のために」を書いて内外に訴えた)に曝されての移転保存(1950年朝鮮戦争で焼失)になったと聞いてます。この門が解体された跡地を前庭として景福宮の中に朝鮮総督府庁舎(1926年)が造られたのです。この画像のちょうど中央部分の地です。
 朴正煕政権時代、1972年には、旧総督府庁舎の前に光化門(RC造・位置もずれていた)を再建し、政治的メッセージとしましたが、金泳三政権時代に旧総督府庁舎が解体撤去され、光化門と景福宮が一体のものに近づきました。今回の復元は、長期にわたって工事が進められて来た、たいへん丁寧な本格的復元で、ソウル市民、韓国民にとっては、大きな宿題の一つを終えた、あるいは喉の骨が取れたという思いではないでしょうか。
100816gyeongbokgung 画像で分かるように、光化門の復元完成で景福宮は、興礼門、勤政門、勤政殿と整然とした軸線が復元されました。今後も景福宮の復元は2025年目標で続けられています。8月15日の65年目の『光復節』で、この場に集まったソウル市民のこころと、日本各地で行なわれた65年目の戦没者追悼式参列者たちのこころが、「一衣帯水」となる日は近づいて来たのでしょうか。65年という長い時間、私の人生の86%を占める長い時間を費やし、なおこの時間が流れていくのでしょうか。(光化門画像は[AFPBB News]から)

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2010年8月15日 (日)

「戦争」と「平和」を考える

100814sympo 昨日、8月14日、ささやかなシンポジウムが開かれました。「ギャラリー新九郎」という柔らかな会場が、予想を超える参会者を得て、熱気のある論議で満たされました。敗戦後既に65年という長い時間を費やしてきましたが、私たちはこの国の「戦争」を精算していないこと、朝鮮半島の「平和」への加害責任を隠蔽し続けていること、広島・長崎の「核被爆」による人類初の被害、これらが指し示している大きな諸問題がさまざまな形であぶり出されました。
 今日8月15日は、参会者による「交流会(13:30)」が持たれます。写真展では、小田原の空襲、広島の核被爆、沖縄の地上戦・米軍基地など、新たな資料、遺品などを展示してあります。ご来場ください。

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2010年8月13日 (金)

ポッダム宣言受諾

100814hirohitoshou 明日は、65年前に大日本帝国が、ポッダム宣言の受諾を通告した日です。宣言受諾の申入れと、連合国に対する通告、画像に示した昭和天皇の終戦の詔の全文を記載しました。
ポツダム受諾に関する八月十日付日本国政府申入
(訳文)
帝国政府ニ於テハ常ニ世界平和ノ促進ヲ冀求シ給ヒ今次戦争ノ継続ニ依リ齎ラサルヘキ惨禍ヨリ人類ヲ免カレシメンカ為速ナル戦闘ノ終結ヲ祈念シ給フ
天皇陛下ノ大御心ニ従ヒ数週間前当時中立関係ニ在リタル「ソヴィエト」聯邦政府ニ対シ敵国トノ平和恢復ノ為斡旋ヲ依頼セルカ不幸ニシテ右帝国政府ノ平和招来ニ対スル努力ハ結実ヲ見ス茲ニ於テ帝国政府ハ
天皇陛下ノ一般的平和克服ニ対スル御祈念ニ基キ戦争ノ惨禍ヲ出来得ル限リ速ニ終止セシメンコトヲ欲シ左ノ通リ決定セリ
帝国政府ハ一九四五年七月二十六日「ポツダム」ニ於テ米、英、支三国政府首脳者ニ依リ発表セラレ爾後「ソ」聯政府ノ参加ヲ見タル共同宣言ニ挙ケラレタル条件ヲ右宣言ハ 天皇ノ国家統治ノ大権ヲ変更スルノ要求ヲ包含シ居ラサルコトノ了解ノ下ニ受諾ス
帝国政府ハ右了解ニシテ誤リナキヲ信シ本件ニ関スル明確ナル意向カ速ニ表示セラレンコトヲ切望ス
米英蘇支四国ニ対スル八月十四日附日本国政府通告
「ポツダム」宣言ノ条項受諾ニ関スル八月十日附帝国政府ノ申入及八月十一日附「バーンズ」米国国務長官発米英蘇華四国政府ノ回答ニ関聯シ帝国政府ハ右四国政府ニ対シ左ノ通通報スルノ光栄ヲ有ス
一 天皇陛下ニ於カセラレテハ「ポツダム」宣言ノ条項受諾ニ関スル詔書ヲ発布セラレタリ
二 天皇陛下ニ於カセラレテハ其ノ政府及大本営ニ対シ「ポツダム」宣言ノ諸規定ヲ実施スル為必要トセラルベキ条項ニ署名スルノ権限ヲ与ヘ且之ヲ保障セラルルノ用意アリ又 陛下ニ於カセラレテハ一切ノ日本国陸、海、空軍右官憲及官憲ノ指揮下ニ在ル一切ノ軍隊ニ対シ戦闘行為ヲ終止シ、武器ヲ引渡シ、前記条項実施ノ為聯合国最高司令官ノ要求スルコトアルベキ命令ヲ発スルコトヲ命ゼラルルノ用意アリ
終戦の詔
朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非 常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲ニ忠 良ナル爾臣民ニ告ク 朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ 其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタ リ 抑々帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ萬邦共榮ノ樂 ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々 措カサル所曩ニ米英二國ニ宣戰セル所以モ 亦實ニ帝國ノ自存ト東亞ノ安定トヲ庶幾 スルニ出テ他國ノ主權ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キ ハ固ヨリ朕カ志ニアラス然ルニ交戰已ニ四歳 ヲ閲シ朕カ陸海將兵ノ勇戰朕カ百僚有司 ノ勵精朕カ一億衆庶ノ奉公各々最善ヲ盡セル ニ拘ラス戰局必スシモ好轉セス世界ノ大勢亦我ニ利ア ラス加之敵ハ新ニ残虐ナル爆彈ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ惨害 ノ及フ所眞ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戰ヲ 繼續セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招來スルノ ミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯ノ 如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖 皇宗ノ神靈ニ謝セムヤ是レ朕カ帝國 政府ヲシテ共同宣言ニ應セシムルニ至レル所 以ナリ 朕ハ帝國ト共ニ終始東亞ノ解放ニ協力セ ル諸盟邦ニ對シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得 ス帝國臣民ニシテ戰陣ニ死シ職域ニ殉シ非 命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五 内爲ニ裂ク且戰傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業 ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念ス ル所ナリ惟フニ今後帝國ノ受クヘキ苦難ハ 固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情モ朕善 ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪エ 難キヲ堪エ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ爲ニ 太平ヲ開カムト欲ス 朕ハ茲ニ國體ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣 民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ 若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或 ハ同胞排擠互ニ時局ヲ亂リ爲ニ大道ヲ誤 リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒 ム宜シク擧國一家子孫相傳ヘ確ク神州ノ 不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ總力ヲ將來ノ建 設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ國體 ノ精華ヲ發揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣 民其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ
裕仁 天皇 御璽
昭和二十年八月十四日

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2010年8月11日 (水)

世界から核兵器の廃絶を

100811kakuhaizetsu 今日は箱根病院でのリハビリの帰路に、ふたたび懸垂幕確認に市役所正面まで足を運びました。「世界から核兵器の廃絶を 平和宣言都市 小田原市」とのメッセージが大きく掲げられていました。小田原市は1997年に平和都市宣言を制定し、本年1月1日には「平和市長会議」に加盟しました。1982年に設立され、世界134ヶ国・地域の3,488都市が加盟しているとのことです。
 オバマ氏のプラハ演説以来、核廃絶の微かな希望が次第に大きくなり、本年5月のニューヨークNPT再検討会議では、さらに前進を見せました。8月6日の広島では、「世界から核兵器の廃絶を」実現させる道程まで示されるようになりました。
100101peace_mayors 唯一の被爆国日本は、核兵器廃絶の強力な牽引者になるべきですが、広島・長崎という被爆「都市」の努力の陰に隠れて、いまだに「核兵器の抑止力」を引きずっています。「国家」が動けないのなら、まさに平和都市が、この努力を高めて「廃絶」を実現させるべきなのでしょう。
 8月14日には、先に案内しました伊勢治書店本店ギャラリー新九郎でのシンポジウムのパネリストの一人、米田佐代子氏から、ニューヨークNPT再検討会議の話も披露されます。炎熱の毎日ですが、ぜひお出かけください。午後1時30分開会です。

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道の日?空の日?

100810michinohi 昨日、小田原市立病院外来診察の帰路、小田原市役所の懸垂幕(平和推進事業)を拝見しようと立ち寄ったところ、あれあれ、[8月10日は「道の日」道路ふれあい月間]という懸垂幕。核廃絶懸垂幕はもう外してしまったのかと担当に確認しましたら、今日だけこれを掲示し、明日からは元に戻すとのことでした。
 道の日、国交省は結構宣伝していますが、この懸垂幕で市民の皆さんに何を伝えたいのでしょうか。「道路の意義・重要性に対する国民の関心を高めるため」とのことですが、市町村に周知方を強制するなんて、時代錯誤も甚だしいし、それを受ける小田原市もいかがなものでしょうか。
 ところで、明日8月12日は、日本航空123便の悲劇から25周年です。以前にも「123便の背景」という記事をアップしましたが、この航空機事故は、信じ難い、あり得ないような事故として、さまざまな疑念があります。事故発生時から「圧力隔壁破壊」結論に至るまで、極めて不可解な事象が指摘されています。米田憲司氏の「御巣鷹の謎を追う」は、しっかりした調査に基づく労作で、読み応えのあるものです。秘匿されている事実が明かされるまでには、まだ長い時間を要するのでしょうか。
 国交省は8月12日を「空の日」として、航空機安全の重要性を周知させる努力をして欲しいものです。

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2010年8月 9日 (月)

この8月とこれからの私たち

100815leaflet 例年のこととは言え、8月は厳しい時間が過ぎます。「先の大戦」がこの国に残した負の遺産は、65年経った今も精算されずに私たちの立ち位置を蠢動させ続けています。
 核廃絶への国際的行動は、プラハ、ニューヨーク、広島と高まりを見せていますが、一方日本国首相の口からは、日米同盟による「米軍基地・核抑止力」が、この国には欠かせないものだと、核被爆の町で平然と語られました。
 8月15日、65年目のこの日を私たちはどのように迎えれば良いのでしょうか。65年前のあの日の記憶は、この国にどのように残っているのでしょうか。この国は、あの無惨な敗北と混乱・屈辱・無道を忘れ去り、米英を鬼畜の国と民草に教え込んだ「大臣」たちの手で、鬼畜の国、米国の傘の中で敗戦を巧くやり過ごしたとでも言うのでしょうか。
 私たちは、根源的な欺瞞・擬勢に寄りかかったこの「戦後」65年間、唯一の誇りは「日本国憲法」の理念が存在していることです。「---われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。---」私たちは、このような「日本国」の熱い願いを世界に、アジア諸国に、北東アジアの国々に宣言しているのです。
 8月22日、朝鮮半島からは、私たちが高らかに宣言したこの理念が、日本国の外交にどう生きているのか、厳しく問われるでしょう。「名誉ある地位を」どうやって保持していくのでしょうか。

 65回目の8月15日、6人の女性の呼びかけによって、画像にあるような小さな催しが開かれます。「8月15日を考える会」の主催、会場は伊勢治書店3階(ギャラリー新九郎)です。平和写真展、シンポジウムなどがあります。「先の戦争」の被害と加害を考え、その中から「核廃絶」「平和」への道を見出し、行動していくための時間を過ごしたいと企画しました。8月14日は午後1時半から3時半まで「シンポジウム」、写真展などは午後7時まで。15日は、午前10時から写真展や自由トーク・交流会などで、午後4時半までです。
 ぜひお出かけください。「戦争」と「平和」をご一緒に考えましょう。

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2010年8月 1日 (日)

小峰発電所(12)7月の発電量396kWh

100801hatsuden 7月の太陽光発電記録です。月間発電総量は396kWh(累計2,481kWh)、自給率66%でした。7月の猛暑日を考えると、意外に発電量が低いのですが、雨天の日が6日もありましたので、こんなものなんでしょうか。6月には19.5kWhの日がありましたが、7月はそれに反し最高値が18.2kWhでした。その上、クーラーの電力使用量が増えて、自給率は低迷しました。発電量については、8月もこんなものになるのでしょうか。自給率100%までにはかなり努力が要りそうです。

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