« 「戦争」と「平和」を考える | トップページ | 城跡も城址公園も大切にしたい »

2010年8月16日 (月)

光化門の復元と光復節

100815gwangh 8月15日、光化門(クヮンファムン)の復元が完成し、日本の植民地支配からの解放65年を祝う『光復節』記念式典が行なわれたと報じられています。光化門(こうかもん)は、私にとってはとても思い入れの深い「地名」です。1935年から45年までの10年間を韓国ソウル(当時は朝鮮京城府)で暮らし、住まいも国民学校もこの地に近く、市電「光化門停留所」は良く利用しました。私が知っている光化門は、100年前の韓国併合後、朝鮮総督府が解体して、1Kmほど西に移築したものです。総督府は解体撤去する方針でしたが、柳宗悦などの強い保存意見(「失われんとする一朝鮮建築のために」を書いて内外に訴えた)に曝されての移転保存(1950年朝鮮戦争で焼失)になったと聞いてます。この門が解体された跡地を前庭として景福宮の中に朝鮮総督府庁舎(1926年)が造られたのです。この画像のちょうど中央部分の地です。
 朴正煕政権時代、1972年には、旧総督府庁舎の前に光化門(RC造・位置もずれていた)を再建し、政治的メッセージとしましたが、金泳三政権時代に旧総督府庁舎が解体撤去され、光化門と景福宮が一体のものに近づきました。今回の復元は、長期にわたって工事が進められて来た、たいへん丁寧な本格的復元で、ソウル市民、韓国民にとっては、大きな宿題の一つを終えた、あるいは喉の骨が取れたという思いではないでしょうか。
100816gyeongbokgung 画像で分かるように、光化門の復元完成で景福宮は、興礼門、勤政門、勤政殿と整然とした軸線が復元されました。今後も景福宮の復元は2025年目標で続けられています。8月15日の65年目の『光復節』で、この場に集まったソウル市民のこころと、日本各地で行なわれた65年目の戦没者追悼式参列者たちのこころが、「一衣帯水」となる日は近づいて来たのでしょうか。65年という長い時間、私の人生の86%を占める長い時間を費やし、なおこの時間が流れていくのでしょうか。(光化門画像は[AFPBB News]から)

|

« 「戦争」と「平和」を考える | トップページ | 城跡も城址公園も大切にしたい »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/139245/49164984

この記事へのトラックバック一覧です: 光化門の復元と光復節:

« 「戦争」と「平和」を考える | トップページ | 城跡も城址公園も大切にしたい »