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2010年9月19日 (日)

牽牛子塚古墳

100918kengoshi_tumulus 先週、奈良県明日香村越の「牽牛子塚古墳」の発掘調査が進み、八角形墳が確認されたことなどから濟名天皇陵(間人皇女、建王合葬)であることが、確定的になったことが、さまざまに報道されました。
 宮内庁の天皇陵簿では、「神武天皇」から昭和天皇に至る124代(122人、濟名天皇と稱徳天皇は重祚)の天皇陵はすべて明確にその所在は、東京都(2)、滋賀県(1)、京都府(42)、奈良県(30)、大阪府(16)、兵庫県(1)、香川県(1)、山口県(1)における91陵が確定されています。
 齊明天皇の稜は、文久年間に奈良県高市郡高取町大字車木の越智崗上陵(おちのおかのえのみささぎ)とされて、書陵部で監墓されてきました。ご承知のように、35代皇極天皇として即位し在位4年で弟の軽皇子(後の孝徳天皇)に皇位を譲り、その死後再び37代齊明天皇として重祚しています。この時代皇族内の騒乱がはげしく、陵墓を特定できる記録などが散逸してしまったのでしょうか。書陵部は 「たとえ誤って指定されたとしても、祭祀を行っている場所が天皇陵である」としていますし、今回も「墳形だけで天皇陵とは見なせな い。現段階では決定的とはいえず、現在の越智岡上陵を管理していく」としているようですが、対応が注目されます。
 明治22(1889)年の伊藤博文による「明治天皇紀」への記載です。『是より先、条約改正の議起るに際し、伯爵伊藤博文以為らく、万世一系の皇統を奉戴する帝国にして、歴代山陵(天皇陵)の所在の未だ明らかならざるものがある如きは、外交上信を列国に失うの甚だしきものなれば、速やかに之を検覈し、以て国体の精華を中外に発揚せざるべからずと、廟儀亦之を可とす』とあるように、明治天皇も臨席した廟儀で、天皇陵の所在確定が、この国の国際的地位の保全に資すると判断したのです。
 天皇陵については、書陵部以外による学術調査は一部例外的調査を除いて、一切許されていませんが、天皇陵とされていなかった牽牛子塚古墳の調査によって、天皇陵の姿を明らかにすることができたのは、明日香村の大きな成果です。天皇陵は「聖域」として古代史調査が行なえない、こんな歴史を秘匿するような状況をいつまで続けるのでしょうか。まったくの門外漢の当方でさえ、不可解に思っています。
(この項は、宮内庁の公開資料と外池昇氏の「天皇陵論」を参考にしています。画像は共同通信web site から)

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