« 小峰発電所(21)8月の自給率76% | トップページ | ヒルトンホテルの倒産 »

2011年9月 9日 (金)

60年前のサンフランシスコ・プレシディオ

110908presidio_sf 60年前の9月8日、サンフランシスコのオペラハウスで「サンフランシスコ平和条約(Treaty of Peace with Japan)」が締結されました。ソ連、ポーランド、チェコスロバキアが調印拒否した単独講和、米ソ冷戦のただ中での日本国にとって、米国の庇護のもとでの占領集結「独立」の条約でした。日本国の全権団は首席全権の吉田茂(首相)、全権委員の池田勇人(蔵相)・苫米地義三(国民民主党最高委員長)・星島二郎(自由党常任総務)・徳川宗敬(参議院緑風会議員総会議長)・一万田尚登(日銀総裁)の6人、3国を除く49カ国が調印しました。(翌年の1952年4月28日)
 この日の午後、オペラハウスから「プレシディオ米陸軍基地」の下士官集会所において、「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」の調印が行われました。日本国の全権団でこの条約調印を承知していたのは吉田茂主席全権だけだったのです。
 旧国家体制を温存したまま敗戦国日本が「独立」を許されるというのは、戦争史的にはかなり異例のことだったのですが、冷戦拡大期の国際情勢の中での米国の戦略として出現したのです。天皇免責、国体維持と引き換えの日米条約だったのです。吉田全権は、補佐役だった池田蔵相にも「君は将来のある政治家だから、このことにはかかわるな」と言って、ただ自分一人だけで条約調印しているのです。「これで日本はアメリカの植民地になるのだな」と嘆息したと伝えられています。翌年6月25日には日本国から分離独立したはずの朝鮮半島で、米軍(国連軍)参戦に対抗して独立したばかりの中国軍(義勇軍)も加わっての悲惨な戦争が始まっています。(日本経済はこれを特需ブームとして、したたかな景気高揚をしました。私の高校時代の鮮明な記憶です)。
 画像は、「プレシディオ米陸軍基地」ですが、美しい町サンフランシスコの中でも、ひときわ美しい地域です。私が滞在していた1980年代は完全にレクリエーション公園として機能していました。日本国の歴史記憶と眼前の美しい景観とさわやかな空気に触れて、「日米同盟?従属?」を痛いほど感じたものです。私たちにとって、この国の自主独立は無い物ねだりなんでしょうか。
 吉田茂氏は、常に「臣茂」と自称されていたとか聞きますが、私たち下々の「民」とは覚悟が違うのでしょう。この吉田路線は、日本国の政権が交代しようが、変えることができないようです。普天間もTPPも、そして原発も、対米従属の軛から逃れられないのでしょうか。60年安保改定では、地位協定が固定化され、米軍基地の存在による日本国民の苦渋はいったいいつまで続けようと言うのでしょうか。
 プレシディオの美しい光景の中から、「臣茂」の覚悟が誕生したことで、私たちの国は米国の理不尽の中で生き続けていくのでしょうか。(画像はWikipedia)

|

« 小峰発電所(21)8月の自給率76% | トップページ | ヒルトンホテルの倒産 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/139245/52683899

この記事へのトラックバック一覧です: 60年前のサンフランシスコ・プレシディオ:

« 小峰発電所(21)8月の自給率76% | トップページ | ヒルトンホテルの倒産 »