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2011年9月12日 (月)

大友亀太郎を追って

110912kametaro1 小田原ではご承知の方も多いことと思いますが、私は札幌に放射能汚染で避難した友人から、初めてその名をお聞きしました。市立図書館の方などからお借りした資料を拝見して、その偉業に目を見張りました。1834年(天保5年)小田原市西大友に生誕ですので、ちょうど百歳違い。その業績などについては小田原でもかなりの著述が見られますが、札幌での調査研究は、市民郷土史研究が熱心に続けられてきたことには感嘆しました。先週の北海道訪問の際にゆかりの地を半日ほど回ることができました。
110912kametaro2 上の画像は、創成川に新しく誕生した大友亀太郎記念スクエアです。この碑文に記されているように、報徳仕法による札幌村開拓の業績が称えられています。碑文では業績の姿が見えませんが、幕府崩壊、明治政府の武士対策など、大変な政治混乱期に、農村興隆の仕法に合理的で的確な施策を、自らの汗で作り上げていった努力、この姿が石狩地方の貧窮に喘いでいた開拓民たち、あるいは送り込まれた下級武士たちの思いが、この地にしっかり根付いていったようです。
 その思いは近年の市民社会にも引き継がれ、大友堀と呼ばれている用水路(南3條から北6条まで約4Km)は多くの郷土史家、市民、それに行政も協働して、その位置がほぼ明らかになっています。札幌市東区役所が1982年に発行された「東区今昔 大友堀」は、市民郷土史家たちの熱烈な研究探索が記録されていて、夢中で読んでしまいました。
110912soseikawa このスクエアがある創成川は、大友堀を起源とするもので、札幌市の東西の境界線となっています.2005年ころから、既に道路化されていた創成川に本格的なアンダーパスの工事が始まり、1986年に設置されていた大友亀太郎の像は移転させられてしまいました。約1Kmほどの地下自動車道路が今年の春開通したようです。大雨の日でしたが、タクシーの運転手さんは高く評価されていました。
110912kametaro3 像の移転先がこの札幌村郷土記念館でした。現在は仮設置した像は元の創成川にお返しし、そのレプリカをこの場所に再建しています。碑も復刻して設置しました。
 この記念館は、1867年に大友亀太郎役宅が建設された場所に1977年4月、郷土の歴史を保存するため、地域住民によって開設された記念館なのです。コミュニティー立の施設です。来訪者は決して多くないようですが、地域住民の方たちの努力で立派に運営されています。大友亀太郎の縁族の方が新婚旅行で立ち寄られたとか、毎年年賀状をいただいているとか、小田原市との縁をとても誇りにしていられました。
110912museum 館内はこのような当時の「農具」であふれています。私のような農業無知人でさえ、こころ騒ぐ館内でした。
 この地は、風の吹き抜ける土地で「タマネギ栽培」に最良として、アメリカ農業の技術なども導入したようですが、当時の開拓民たちの熱いこころと、新しい技術革新への意欲、そして巧みな技には感嘆いたしました。これらの郷土遺品は、すべて地域住民の提供になるもの、本当の地域立ミュージアムです。小田原の大友家にあった算盤が大切に展示してありました。測量器具などはこの館には置けていないが、算盤は大友家にご提供いただいたものだそうです。親切にご説明いただいたご婦人は、小田原との交流の旅を懐かしげに語ってくれました。札幌との縁がこんなところにあることを発見した貴重な半日でした。

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