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2011年10月17日 (月)

1989.10.17.ロマプリータ地震

 22年前、1989年はいろいろなことがありました。1月には昭和が終わり、パパブッシュがアメリカ大統領就任、4月にはついに消費税登場(3%)、6月には天安門事件、11月には坂本弁護士一家3人行方不明が判明という物騒な年でした。
 その年、10月17日午後5時4分(PST/日本標準時18日午前9時4分)、カリフォルニア州北部サンタクルスで、マグニチュード6.9の地震が発生しました。震源地の山頂名にちなんで『ロマプリータ地震』と命名されています。
1989bid 1988年に、サンフランシスコ市パシフィックハイツに1904年創建の「豪邸(4層 約1,000㎡)」を取得し、デザイン学校の留学拠点にするためのリノベーションプロジェクトに住み込みで取り組んでいました。連日未経験の問題解決に追われながらも、充実した毎日でした。その中での、まさに未経験の大地震でした。ユタ州の最高裁で使われていたという、樫の木の重厚なデスクで執務中でしたが、前触れなど全くなしの強力な横揺れ10秒ほどの間身動きできずにいました。室内の壁が(長方形ではなく)平行四辺形に変形するのを、デスクにしがみついて呆然と眺めるだけでした。プラスター仕上げの壁と天井の入隅から剥落した砕片が落下して、室内は白濁しだしました。
 全館点検しましたが、大きな損傷はみられませんでした。この建物は木骨レンガ組積造ですが、1906年のサンフランシスコ大地震にも堪えてきた建物です。小さなエレベーター(Otis)もついていますが、ここにも異常はありませんでした。
 問題は停電でした。この大都会のすべての電気が止まってしまったのです。1時間もすると薄暗くなりだし、すぐに漆黒の闇になりました。市街地すべて自動車のライトだけという異常な光景を眺めていました。室内はすべてロウソクの明かりだけです。この状態が3日続きました。TV情報ももちろん入りません。市内の被害状況などは、東京からの見舞い電話で初めて知りました。高速道路の崩壊、ベイブリッジの路盤落下、マリーナ地区住宅の倒壊など、大きな被害がでていました。高速道路での死者は41人で、死者総数61人とされています。
19891023mainichi2 当日の夜は、なす術も無く不安な一夜を過ごしました。翌日の早朝から、周辺状況把握に自動車を走らせましたが、交通信号は完全に停止しています。それでも20m幅以上ある幹線道路の交差点が、なんとか穏やかに交互に通行できているのです。一時停止、先行車優先、発進という一連のながれが、混乱無く通用しているのにはひどく感心してしまいました。かなり大きな交差点でも信号機はありません。一時停止、先行車優先、発進がしっかり守られ、ドライバーの身に付いているからなのでしょう。6m道路にも信号機があるような我が国で、信号機停止になったらどうするのだろうと考えてしまいました。
 被害のひどかったマリーナ地区では、被害建物の危険度表示がはじまっていました。AIA(American Institute of Architects)のS.F.chapter の自主的緊急行動です。手書きの warning(赤・黄・緑)が張られていました。
 これは我が国では、行政の制度として採用され、神奈川県では「応急危険度判定士」なるものを認定しています。平成4(1992)年度施行の神奈川県の要項では「危険(赤)」「要注意(黄)」「調査済(緑)」の表示をするなどが定められています。小田原市では、平成6(1994)年から「判定士」登録制度を始めています。判定士は、震度6弱以上の地震発生の翌日午前9時に、小田原市役所応急危険度判定本部に「自動参集」することになっているようです。まだ、赤紙や青紙を目にすることはありませんが、この制度が機能することを祈っています。
891017la_times 被災後、道路被害の復旧、特にサンフランシスコベイブリッジの復旧が、最大の緊急課題になりました。画像にみるように、路盤落下はベイブリッジ(全長7.18キロ 2層5車線)のオークランド側のE9トラス支柱の上階路盤(15m)が落下して下階路盤も脱落という大被災でした。上階5車線はオークランド方向、下階5車線はサンフランシスコ方向、一日の通行量27万台という大動脈です。ベイ東部(オークランド市など)に行くには、ゴールデンゲート橋を北上してリッチモンド橋を渡るか、南下してサンマテオ橋を渡るしかありませんが、大変な遠回りです。
 画像で分かるように、大型クレーン船で崩落した路盤をつり上げて、湾内に投棄し、新たに工場生産された路盤を取り付けるという工法をとったようです。工場でも現場でも、緊急事態と言うことで労働法の一時停止を労使で協約したというニュースも流れていました。翌11月18日に、見事に復旧開通させたのです。オープンの日のセレモニーは、ベイエリア全域が感動と祝福で沸き返りました。
 もうひとつ大切なこと。フリーウェイ101は高架で市街地まで入り込んでいましたが、被災崩壊した高架高速道路を撤去し、廃止したのです。このおかげでベイに面する市街地の景観は一変しました。
 この被災と復興の体験は、私の忘れがたい記憶のひとつです。

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