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2011年10月

2011年10月28日 (金)

小田原市は一刻も早く外部監査を!

111028ev_nhk 二日ほど前のニュースです。NHKTVで「震災でエスカレーターが落下」と報道されました。『3月11日の巨大地震とその余震の際、宮城県と福島県の大手スーパーの店舗で、エスカレーターが下の階まで落ちる事故が3件起きていたことが、NHKの取材で分かりました』とのことです。人身事故がなかったので、この事業者「イオン」は情報を開示しなかったのでしょうか。この事故後229日が経過しています。この間大きな余震もたびたびありました。この事故の公表は欠かせないものであったにもかかわらず、NHKが取材するまで、どこの報道機関も情報を取得していなかったのでしょうか。信じがたいことです。情報を秘匿していたと言うことなのでしょうか。
111027yomiuri_3 NHKの報道後も、新聞報道は読売新聞(10/27)の小さな記事だけのようでした。わが家で購読している2紙でも、ニュースウェブサイトでも報道されませんでした。
 NHKの続報、「エスカレーター耐震対策見直しへ」で『事態を重く見た国土交通省は、ほかにも同様の事故がなかったか、確認を進めるとともに、耐震対策を法令で義務づけることも視野に来月にも検討を始める』と伝えています。エスカレーターの脱落落下事故は、大惨事を招きます。どうしてこの事故が229日も秘匿されていたのでしょうか。日本国の「報道力」日本国政府・地方政府の「情報対処能力」はどうなっているのでしょうか。既に「崩壊」してしまったのでしょうか。身近な地方政府も惨憺たるものです。
111027kanagawa_2 同じ日の報道です。何とも情けない「事件」です。小田原市政府の病状は、かなり深刻なようです。市立病院は、その中でも突出して無管理、無監査、思考停止状態なのでしょうか。9月議会での決算認定では、どのような監査が報告されたのでしょうか。現在の市政府の理事者では、管理監督ができていかない事態が露呈されています。
 小田原市議会9月定例会で承認された「権利の放棄」議案、ヒルトン事件は、このような体質の中から発生したのでしょう。一民間事業者のために、契約で定められている1億円を超える支払い義務を免除するなどということ、まともな事業体では考えられないことです。市民の付託を受けた議会が、何事もなく承認してしまう(反対議員は8人のみとか)というのも、信じがたいことです。議会権能の放棄です。
 平成22年度の決算によると、一般会計、特別会計、企業会計(水道と病院)の支出済合計は、1330億円です。決して小さな事業体ではありません。公益性の高い事業体には、監査法人による監査が義務づけられています。都道府県、政令指定都市、中核市も、外部監査を1年に必ず1度受けることが義務づけられています。その他の市町村も外部監査が求められていますが、未だに義務づけではないとして、監査委員監査(小田原市の監査委員は現在、岡本重治、井上久嘉、横田八郎の3氏)という、内部による監査のままで不正事件の未然防止ができずにきています。非常勤の監査人3氏で、1000億を超える監査がどうやってできるのでしょう。不正事件の責任を問うことなどできる訳もなく、監査委員は単なるアリバイづくりに利用されているだけといえるでしょう。どうしてこのような不公正なことが、いつまでもまかり通るのか。ヒルトン事件などはもちろん、病院の不正金銭処理など、外部監査であれば間違いなく不適正意見がつくでしょう。外部監査の費用は1500〜2000万円(決算総額の0.1〜0.2%)程度でしょうから、それを避けているというのは内部不正を隠蔽しようという意図としか考えられません。
 担税者の市民には、「住民監査請求」という制度がありますが、この請求を審査するのが監査委員ですから、請求が通ることはまずありません。住民訴訟を起こすことで、結論を得ることになりますが、これには市民にとって大きな費用負担が発生することになります。
 行政の公正を担保するものは、セレモニーではありません。一刻も早く「外部監査」を実施することの検討を開始し、速やかに最低限の公正を市民に示してください。ヒルトン事件は、当然のこととして住民監査請求になるでしょう。

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2011年10月19日 (水)

ポーラ美術館

111018pola_m 箱根仙石原の「ポーラ美術館」に初めて行きました。1990年代の末に、小塚山の自然環境破壊が問われて長期の反対運動が続いていました。2002年に開館しましたが、この美術館だけは足が向きませんでした。今年の3月から開催されている藤田嗣治展に、意を決して出かけました。
 この美術館、自然破壊を最小限にとどめると言うことで、建物は地上部分を最小限にし、用地内に円形の壕を掘り下げその中に、ギリシャ十字形の施設を納め、4つの三円角ドライエリアを持たせるという構成をとっています。広大で美しいヒメシャラなどの自然林の中に、大きな円盤UFOが降り立ったような美術館です。深海の中の円形潜航艇のようなイメージでしょうか。
 日建設計の安田幸一氏の設計で、建築学会賞、BCS賞を得ています。環境保全論争の回答としては、開き直ったような建物ですが、せっかくのこの美しいヒメシャラ林にはいっさい手を出さないという孤立感が、この美術館のストイックさを強調しています。
 藤田の企画展は、新しいコレクションなどがあり、かなり丁寧な展示で快適に観ることができました。ただ、保存照明とかで、高齢者には光量不足でやや疲れました。難しい問題ですね。(高齢者割引200円でしたが)
 藤田については、さまざまな思いがありますが、希有のアルティザンとして、今後も高く評価されていくことでしょう。この美術館の収蔵品の主要部分になっていくのではないでしょうか。身近にある美術館が充実していくこと、嬉しいことです。今回は企画展だけしか観る時間がありませんでしたので、ゆっくり時間をとって、常設展示のコレクションを拝見したいものです。良い美術館です。

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2011年10月17日 (月)

御用米曲輪クスノキの森

111017forest1 小田原城址、御用米曲輪北土塁とされているところは、見事なクスノキの森です。地方都市といえども、市街地の真ん中に昼なお暗い森があること、誠に得難いことです。史跡整備と緑の保全というナーバスな問題をはらんだまま、この森の枝落とし作業が先週の木曜日から始まりました。画像中央の高所作業バスケットにはお二人の作業員の姿が見えます。ここのクスノキは30mを超えていますので、伐採作業は目もくらむような高さでチェーンソーを使って行わなければなりません。
111017forest2 地上の監理者からの指示を聞き取りながら、一本、一本巧みに枝を落としていきます。「植栽専門部会」での合意にそって、森全体の姿、スカイライン、空間バランスなど慎重なもくろみの中で枝が詰められていきます。伐られた枝は、悲鳴を上げるかのようにうなりながら落下します。
111017forest3_2 枝によっては、切り落としたあと、静かに地上に降ろされるものもありました。バルーンに乗って空中を散策しているような錯覚を覚える光景です。クレーン操作員の巧みなハンドルさばきで、滑らかに移動がおこなわれていました。これまで全く人の手が入っていなかった高所に、大型重機による剪定作業が続いていきます。
111017crane 「剪定」という人為作業が加わると森の姿は変わってきます。軽快感、親しみ易さのようなものも出てきますが、この森の重厚感は失われていきそうです。樹木自身にとっては、のびのび、せいせいという感じなんでしょうか。今後、史跡整備と緑環境の共生というテーマの実現が市民合意のもとに進展していくことを願わずに入られません。
 それにしても、この高所作業のためのクレーン、見事な高さです。3枚の写真を合成してのっぽ画像をつくってみました。高所恐怖症の当方、恐る恐る写真を撮りましたが、ぞくぞくし始めてあわてて終了しました。こんなクレーンにぶら下がって作業する方の平静さに敬意を持ち続けて帰宅しました。
(この枝降ろし作業は、しばらく続きます。ぜひ作業見学にお出かけください。「植栽専門部会」の本年度第2回の会議が、11月7日に開催されるようです。史跡整備、城址公園整備、ともに大切な市民課題です。ぜひご関心を持って、会議の傍聴などにもお出かけください。)

 こののっぽクレーンの「jpg画像」も添付しておきます。お使いください。

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1989.10.17.ロマプリータ地震

 22年前、1989年はいろいろなことがありました。1月には昭和が終わり、パパブッシュがアメリカ大統領就任、4月にはついに消費税登場(3%)、6月には天安門事件、11月には坂本弁護士一家3人行方不明が判明という物騒な年でした。
 その年、10月17日午後5時4分(PST/日本標準時18日午前9時4分)、カリフォルニア州北部サンタクルスで、マグニチュード6.9の地震が発生しました。震源地の山頂名にちなんで『ロマプリータ地震』と命名されています。
1989bid 1988年に、サンフランシスコ市パシフィックハイツに1904年創建の「豪邸(4層 約1,000㎡)」を取得し、デザイン学校の留学拠点にするためのリノベーションプロジェクトに住み込みで取り組んでいました。連日未経験の問題解決に追われながらも、充実した毎日でした。その中での、まさに未経験の大地震でした。ユタ州の最高裁で使われていたという、樫の木の重厚なデスクで執務中でしたが、前触れなど全くなしの強力な横揺れ10秒ほどの間身動きできずにいました。室内の壁が(長方形ではなく)平行四辺形に変形するのを、デスクにしがみついて呆然と眺めるだけでした。プラスター仕上げの壁と天井の入隅から剥落した砕片が落下して、室内は白濁しだしました。
 全館点検しましたが、大きな損傷はみられませんでした。この建物は木骨レンガ組積造ですが、1906年のサンフランシスコ大地震にも堪えてきた建物です。小さなエレベーター(Otis)もついていますが、ここにも異常はありませんでした。
 問題は停電でした。この大都会のすべての電気が止まってしまったのです。1時間もすると薄暗くなりだし、すぐに漆黒の闇になりました。市街地すべて自動車のライトだけという異常な光景を眺めていました。室内はすべてロウソクの明かりだけです。この状態が3日続きました。TV情報ももちろん入りません。市内の被害状況などは、東京からの見舞い電話で初めて知りました。高速道路の崩壊、ベイブリッジの路盤落下、マリーナ地区住宅の倒壊など、大きな被害がでていました。高速道路での死者は41人で、死者総数61人とされています。
19891023mainichi2 当日の夜は、なす術も無く不安な一夜を過ごしました。翌日の早朝から、周辺状況把握に自動車を走らせましたが、交通信号は完全に停止しています。それでも20m幅以上ある幹線道路の交差点が、なんとか穏やかに交互に通行できているのです。一時停止、先行車優先、発進という一連のながれが、混乱無く通用しているのにはひどく感心してしまいました。かなり大きな交差点でも信号機はありません。一時停止、先行車優先、発進がしっかり守られ、ドライバーの身に付いているからなのでしょう。6m道路にも信号機があるような我が国で、信号機停止になったらどうするのだろうと考えてしまいました。
 被害のひどかったマリーナ地区では、被害建物の危険度表示がはじまっていました。AIA(American Institute of Architects)のS.F.chapter の自主的緊急行動です。手書きの warning(赤・黄・緑)が張られていました。
 これは我が国では、行政の制度として採用され、神奈川県では「応急危険度判定士」なるものを認定しています。平成4(1992)年度施行の神奈川県の要項では「危険(赤)」「要注意(黄)」「調査済(緑)」の表示をするなどが定められています。小田原市では、平成6(1994)年から「判定士」登録制度を始めています。判定士は、震度6弱以上の地震発生の翌日午前9時に、小田原市役所応急危険度判定本部に「自動参集」することになっているようです。まだ、赤紙や青紙を目にすることはありませんが、この制度が機能することを祈っています。
891017la_times 被災後、道路被害の復旧、特にサンフランシスコベイブリッジの復旧が、最大の緊急課題になりました。画像にみるように、路盤落下はベイブリッジ(全長7.18キロ 2層5車線)のオークランド側のE9トラス支柱の上階路盤(15m)が落下して下階路盤も脱落という大被災でした。上階5車線はオークランド方向、下階5車線はサンフランシスコ方向、一日の通行量27万台という大動脈です。ベイ東部(オークランド市など)に行くには、ゴールデンゲート橋を北上してリッチモンド橋を渡るか、南下してサンマテオ橋を渡るしかありませんが、大変な遠回りです。
 画像で分かるように、大型クレーン船で崩落した路盤をつり上げて、湾内に投棄し、新たに工場生産された路盤を取り付けるという工法をとったようです。工場でも現場でも、緊急事態と言うことで労働法の一時停止を労使で協約したというニュースも流れていました。翌11月18日に、見事に復旧開通させたのです。オープンの日のセレモニーは、ベイエリア全域が感動と祝福で沸き返りました。
 もうひとつ大切なこと。フリーウェイ101は高架で市街地まで入り込んでいましたが、被災崩壊した高架高速道路を撤去し、廃止したのです。このおかげでベイに面する市街地の景観は一変しました。
 この被災と復興の体験は、私の忘れがたい記憶のひとつです。

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小田原城八幡山古郭字八幡堀枝堀第Ⅳ地点

111016research 昨日16日の日曜日は、10月とは思えない夏日でした。城山3丁目で戦国時代の堀跡の発掘調査の見学会があると知らせていただき、午前10時に訪ねました。昨年まで「学校法人川瀬学園」の専門学校校舎があった用地です。昨年6月にこの法人が破産決定した後、施設が売却され新たな開発(多分マンション)が始まるということのようです。ここは、八幡山と呼ばれる城跡の急傾斜地に住宅地開発が進んだ地区です。眺望は良いのですが、歩行弱者、高齢者が暮らすにはかなりきつい環境です。区画整理などの施策対象になったことはないようで、昨今建替えがかなり進んでいるようですが、このままで良いのでしょうか。
 発掘調査は、建替えに伴ってこの地域でも少しずつ行われているようで、ここの堀跡だけでも今回が4回目だそうです。調査対象地は257㎡とさほど大きくなく、域内での6mの掘削では堀底に達せず、これ以上の掘削を断念したとのことでした。堀の法面が確認されたことで調査は終了と言うことのようです。小宅地の発掘調査の限界がみえます。
 温暖な快晴の日曜日とはいえ、大変多くの見学者が詰めかけられ、かつて忘れ去られていた「八幡山古郭」がしっかり市民権を得た様子が感じられました。今後の調査整備計画に、市民「協働」が活かされ、市民生活と「史跡整備」が調和した施策の展開に真剣に取り組んで欲しい、そんな思いで「東曲輪歴史公園」を見上げながら帰宅しました。

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2011年10月16日 (日)

高齢サクラの再生

111016sakura サクラが咲きました。今日10月16日午後1時59分の撮影です。先月21日の台風15号で、わが最愛のサクラの大枝が2本折損したことは既に記事にしましたが、その高齢サクラが開花しました。
 季節外れな開花情報がいくつか報道されていましたが、わがサクラが開花することは「想定外」でした。大きなダメージを受けたことへの応答がこの開花なのでしょうか。老木のたくましさに驚いています。

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2011年10月12日 (水)

小峰発電所(22)9月の自給率81%

111012hatsuden 遅くなりましたが、9月の小峰発電所事業報告です。9月には、二つの台風があるなど、天候には恵まれませんでしたが、なんとか自給率81%を達成しました。昨年の9月は消費量461kWh、発電量304kWh,自給率65%でしたので、この81%は節電15%の効果です。
 原発推進派が言われるように、太陽光発電は天候次第という頼りなさを持っていますが、太陽は人類にとって根源的なエネルギー源ですから、小規模発電(home plant)の基本システムにしたいものです。発電効率の向上は今後も進むでしょうから、開発投資を拡大していくべきです。
 小田原市政府が取り組むとした「クリーンエネルギー導入推進事業」の進展を見守りましょう。

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2011年10月 9日 (日)

東海・浜岡・ふげん原発の廃炉

 日本の原発第1号は1957年11月に、政府出資で設立した「電源開発」20%、沖電以外の電力9社80%の出資でできた「日本原子力発電」という卸電気事業者によって開発された「東海原発」です。正力松太郎氏と河野一郎氏の妥協の上で成立した事業会社といわれています。当時実用化が進んでいた英国の「黒鉛減速炭酸ガス冷却型原子炉 (GCR)」を導入し、耐震性能を補強するなどして、1966年7月25日に営業運転を開始しています。電気出力は僅か16.6万kWです。1998年3月31日、27年間の運転を終了しました。
 「東海第2原発」は、GEの「沸騰水型軽水炉」による出力110万kWの営業運転を、1978年11月28日に開始しています。3月11日の地震と津波では、福島第一と同じように外部電源が停止し、非常用ディーゼル発電機3台の内2台が動作したことで、原子炉冷却を継続し3月15日に冷温停止を成功させたと伝えられています。2010年9月に、4.9mの防波壁を1.2mかさ上げしていたため、5.7mの津波に飲み込まれるのを免れたようです。
111009tokai_hairo ところで、運転停止した「東海原発」の原子炉は1998年から廃炉作業中です。画像は、廃炉作業の工程表です。原子炉の解体は、2015年から2020年の作業とされていますが、かなり遅れているようです。僅か16.6万kW出力の原発設置に254億円かかったそうですが、廃炉作業は930億円とされています。放射能汚染廃棄物の処分については見通しが立っていません。何とも信じがたい事業計画です。
111009hamaoka1_hairo 浜岡原発1号炉も、2001年から廃炉作業中で、原子炉の撤去作業は2023年から2029年までとされています。2号炉も廃炉が決定しています。3号炉は定期検査中 (津波対策実施中)、4、5号路は停止中 (津波対策実施中)とされていますが、もちろん原子炉内には燃料が挿入されたままです。
111009fugen_hairo 敦賀市に日本原子力研究開発機構が設置した「ふげん」は、2003年から廃炉作業を始めていますが、原子炉の解体に入るのは2018年で、建家等の撤去終了は2028年、2029年から高レベル放射性廃棄物の恒久処理・隔離・管理に入るそうですが、その工程は全く未定です。数千年、数万年というオーダーになるのでしょうか。
 売電事業という商業行為が、その業態の特殊性からこのような理不尽な事業計画を容認してきたのでしょうか。事業者自身では処理しえない環境破壊を発生させる、そんな事業を国家が容認してはなりません。最高度の安全性のもとでなどという詐欺的発言を見逃してはならないと考えます。(3つの工程表画像はWikipediaからです。「日本の原子力発電所概要一覧」を作成しました。ご利用ください。A3版A4版です)

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2011年10月 7日 (金)

石垣山一夜城歴史公園の放棄

111007wasteland 驚愕、唖然、言葉を失った。
 小田原市には、小田原城址とともに、天正18年の小田原攻めの陣城として太閤秀吉が造らせた「石垣山城」の史跡があります。小田原に転居以来、この歴史公園は最高の美景地として足しげく通ったものです。最近は歩行がままならず、やや遠のいていましたが、今日の快晴に誘われて出かけました。
 城址東側の大手口前の民有空地には人気パティシエさんのお菓子ファームが建設中で、工事車両が動き回っていました(11月初めに開店だそうです)。
 騒がしい雰囲気の中、この城址への一歩はこころ静まる豊かな時を期待させます。丘陵地とはいえ縄張りは良く残っていて、貴重な史跡ではありますが、市民のオープンスペースとしては理想的な公園です。いつものように今日も右側の迂回路から「二の丸」芝生広場に向かいました。整備された芝生広場は小田原で最高に美しい空間として記憶していましたが、一歩足を踏み入れて、驚愕、唖然、言葉を失いました。かつての美しい芝生は、見る影も無く変わり果てていました。信じがたい光景でした。小田原政府が、芝生を管理する費用も出せなくなったとは思えませんので、なにかよほど深い事情があったのでしょうか。「お菓子ファーム」の影響ではないでしょうが、市民には説明できない事情なんでしょうね。
111007yoroizuka その「お菓子ファーム」の工事中光景を城址の木立の隙間から眺めました。かつて、見事なコスモス畑があった場所に「店舗」らしきものが建っています。11月の初めにオープンといわれましたが、後20日ほどで「ファーム」が姿を表すような状況には思えませんでしたが、なんせ「一夜城」ですから、太閤さんの工期82日を凌ぐ早技を見せてくれるのでしょう。当方も、開店日にはなんとしても駆けつけたいと考えていますが---。
 10月23日には「一夜城まつり」、11月13日には「コスモス摘み取り体験」などで、この閑静な山上もにぎわうことでしょう。小田原市政府も、美しい景観にもう少し気を遣って欲しいものです。ヒルトンに差し上げた家賃1億1287万5000円あれば、何とかなるでしょうに。小田原片思いの貧乏市民の一人として、誠に悔しい。

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2011年10月 3日 (月)

国家による詫び状

110929kanagawa 神奈川新聞は、地元と言うことでしょうか、「横浜事件」については、これまでもかなり丁寧に報道していました。この記事はそのエピローグとでもいうような報道です。戦況の悪化が見えだした1942(昭和17)年、総合雑誌『改造』が発売禁止され、出版界の60人が神奈川県特高に治安維持法違反容疑で検挙された事件。4人の獄死者がでるような取り調べによる裁判は、敗戦直後に有罪判決を出して公判記録は全て焼却という司法犯罪的な幕引きをやっているのです。再審請求は第4次の横浜地裁判決の「免訴」「刑事補償手続での名誉回復(無罪立証)」という集結となり、68年の歳月を経た『2010年2月4日、横浜地裁は元被告5人に対し、請求通り約4700万円を交付する決定を行った。審理を担当した横浜地裁の大島隆明裁判長は決定の中で、特高警察による拷問を認定し、共産党再建準備とされた会合は「証拠が存在せず、事実と認定できない」とした。その上で確定有罪判決が「特高警察による思い込みや暴力的捜査から始まり、司法関係者による事件の追認によって完結した」と認定し、「警察、検察、裁判所の故意、過失は重大」と結論づけた。再審で実体判断が行われた場合には無罪判決を受けたことは明らかであるとして、実質的に被告を無罪と認定し、事実上事件が冤罪であったことを認めた。本件について、その判決要旨が2010年6月24日付の官報並びに読売新聞、朝日新聞、しんぶん赤旗の3紙に横浜地裁の名前によって公告された。これはいわば「国家による詫び状」であり、その歴史的意義は大きい。(Wikipedia)』とされています。
 この裁判の弁護団長の大川隆司さんは、小田原市に対する住民訴訟を快く引き受けてくださり、2007年12月28日の横浜地裁仕事納めの日に第1民事部への提訴にご一緒したこと、強く記憶に残っています。その後の法廷でのやりとり、司法の場で「正義」を勝ち取ることの労苦、貴重な学習をさせていただきました。(この住民訴訟は事件の原因事業者が倒産したことで終訴)
 画像の記事は、被告のお一人小野康人さんのご遺族が、詫び状に添えられた「補償金」によって、この歴史的裁判の記録図書を出版されたという報道でした。下記の3冊です。出版社:高文研(03-3295-3415) 発売日:2011/10/3
「横浜事件・再審裁判とは何だったのか」(1,575円)
「ドキュメント横浜事件」(4,935円)
「全記録-横浜事件・再審裁判」(7,350円)

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