60年前、日本のバレエ
先月の神奈川新聞書評欄で見つけた珍しい図書です。昭和音大の講師の方が書かれたものです。この大学はオペラ中心と思っていましたが、バレエの先生もおいでとは、嬉しい限りです。「バレエ史」なんて教科もあるのでしょうか。この図書は、著者の修士論文などから戦前戦後の日本バレエ史を描いたもののようですが、私にとっては、自らの戦後史を思い起こさせる「熱い」本でした。
敗戦後、貧窮の中でも新しい社会の誕生と言う「希望」と米ソ冷戦下での「圧政」がひしめいていた1950年代の初め、新制高校の第1期生として高揚した時間を経験しました。政治的な混乱、レッドパージなどの「逆コース」の中でも、文化状況は生き生きと動き出していました。高校生活3年間は、「吉田内閣打倒」、自主独立などの政治活動に幼いながらも没頭していました。その一方で、もうひとつ没頭していたのが「バレエ」でした。当時、バレエの上演が可能なホールは、新橋演舞場、日比谷公会堂、共立講堂、歌舞伎座、日劇くらい(55年ころからサンケイホールなども)でしたが、かなり無理して通い詰めました。 特にソニア・アロワやノラ・ケイなどの海外招聘ダンサーと小牧バレエ団の合同公演は、いまでも鮮明に記憶しています。この図書の第4章などは、60年前の記憶をまざまざと蘇らせるものでした。
小牧バレエ団への思い入れは、かなりのもので、今で言う「追っかけ」だったかもしれません。東京工大の出願書類をもらいにいくという口実で、大岡山(多分目黒区)にあったこのバレエ団を訪問し入門するつもりだったのですが言い出しかねて帰ってきたこともありました。
それ以後もバレエ熱は続きましたが、1992年に小田原市に転居後は、東京や横浜まで出かけるおっくうさに負けて年に1、2回程度になっています。舞台芸術、バレエやオペラの上演はかなりの社会的支持がなければ困難なのでしょうが、小田原のホールでバレエ鑑賞ができるなんてことは夢なのかな。
(ソニア・アロワのサイン入り写真は、当時の小牧バレエ団で、広瀬佐紀子さんや関直人さんなどとともに活躍されていた雑賀淑子さんの回想記 [株式会社ビデオのサイトに記載] からのものです。このサイト、ダンス専門サイトで貴重な画像や動画を見ることができます)
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