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2013年1月

2013年1月31日 (木)

運転免許更新 認知機能検査

130129kensa3 一昨日の1月29日、標題の検査を受けました。昨年の10月に通知を受けて、検査日の予約を取ったのですが、年明けの1月29日この日しか空きがないとかで、3カ月以上も待たされての「検査」。小田原ドライビングスクールに、12時30分に集合とのお達し。ランチタイム無視の無情な指定。訳の分からない惚け老人を束ねる知恵なんでしょうね。

130129kensa1 30分ほど待たされてから検査開始。確かに「受検者」たちは、手間ひまのかかるお方たちばかりで、係員もたいへん。でも、この検査は3年前の更新時とほとんど同じ。ぼけてはいますが、多少は学習機能が生きているようで、極めて稚拙な検査にいらつきながらも、ほぼクリアできました。個人情報の最たるものですが、「総合点 −2.842点」という訳の分からない検査結果を画像で公開します。
130129kensa2 この画像が、その訳の分からない採点方法の解説です。訳分かる必要はありませんと言うことでしょうが、あと2.842点引かれると、惚けと言うことなんですね。3年後はどうなっているのだろう。
 その後は「夜間視力・静止視力・動体視力・視野」の検査、そしてシュミレータでの「運転適正診断」、最後にコースに出ての運転実技、検査結果の発表で終了。15時50分でした。検査費用6,000円。これらの検査は3年前と全く同じ。だんだん慣れてきますね。

130131licsense 翌日30日に、小田原警察署で更新手続。再び視力検査、写真撮影などの後、新免許証の交付。30分ほどで終わりました。更新手数料2,500円。免許証裏面に臓器ドナーの生前意思表示の署名欄ができました。20年以上遅れての変更措置ですね。署名はしましたが、ぼけ老人から提供できる臓器があるのでしょうか。この3年に1回の不快な行事でかなりくたびれたのでしょうか、今朝6時の起床時に、立ち上がれずふたたびベッドに倒れこんでしまいました。つぎの3年目は無いのかな。

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2013年1月30日 (水)

都市の整備

130130paris_2 左の画像は、パリ市の幹線道路の一つの姿です。都心部の起点は画像の一番下、オースマン大通りのメトロ駅「ショゼダンタン」。「オペラ・ガルニエ」の至近です。郊外部の起点は画像の最上部「ペリフェリク(外周環状道路)」と交差する部分「ポルトドパンタン」です。名称は「ラ・ファイエット通り―ジャンジョレス通り」です。ナポレオン三世の第二帝政期、1859年と1862年の2回にわたって整備されていますが、その直線道路の総延長はなんと5kmもあります(パリで一番長い直線道路はコンコルド広場からラ・デファンスまで軸線道路の5.5km)。「オペラ・ガルニエ」の設計コンペは1860年ですが、建設用地の位置はルイ18世の時代1820年代に決定されていたようです。オースマンの壮大な都市整備の中でも、この「国立音楽アカデミー」の周辺整備、道路整備はあまりにも大規模だとして、政争にもなっていたと言われています。1870年の第二帝政崩壊、パリコミューンなどの国家的大変動を経て、第三共和制期に入った1875年にやっと開館にこぎ着けています。

130130opera_section3_2  この画像は、「オペラ・ガルニエ」の断面図です。中央部のドーム屋根の部分が「客席」、その左の高層部分が舞台機構です。最右端部分はエントランスと上階のバンケットホール、それを経てかの華麗なる「大階段」の大空間です。ガルニエが重視したにアライバルセンスが見事に開花しています。ナポレオン三世様式の代表的な作例です。

 都市の整備にとって、舞台芸術の「創造センター」をどのように位置づけるのかは、その都市の理念を示すものになります。その施設整備と都市整備を整合させる最大のファクターは「用地」の品質です。立地、形態、周辺環境、規模などが充足されていなければ、恒久的な都市施設にはなり得ません。
 適正な用地の確保ができないのであれば、当面の応急的な施設、仮設の施設として整備し、本格的な整備は後代に託すべきではないでしょうか。慌ただしく「建設」してしまうことは、大きな禍根を残すことになります。
(画像は「芸術の都 パリ大図鑑」西村書店から)

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2013年1月22日 (火)

小田原市芸術文化創造センター設計者選定

130108lot 1月8日の記事の続きです。設計者選定プロポーザルでは、46者の参加表明がありましたが、参加表明者名は非公開とされています。質疑応答の概要が公開されました。こういうのがありました。Q『 道0003(お堀端通り)と計画敷地南側道路の交差点の角地は、市が購入するので しょうか?』A『赤線部分内が計画敷地です』なるほど、どなたが見ても、この角地はプロポーザルの用地と考えてしまいますね。回答は返答拒否です。赤線で囲った部分意外のこと聞くな、と言うことのようです。もう一つ、Q『裁判所車両通路について、通路の上空に建物をつくることは可能か?』A『現在の通行機能が確保できれば、可能とお考え下さい』設計者もたいへんですね。赤線で囲った部分にも制限があるとは(城下町ホールの時代からですが)。
 1月6日(正月の日曜日) に46者を20者にしぼりました。その20者は下記です。これを3月上旬に5者程度に絞り込んで、3月20日に「公開プレゼンテーション」をなさるのだそうです。

 第一次審査通過者(敬称略、五十音順)
株式会社 青木淳建築計画事務所 http://www.aokijun.com/ja/news/2862/
株式会社 新居千秋都市建築設計 http://www.chiaki-arai.com
株式会社 安藤忠雄建築研究所 http://www.hetgallery.com/ando.html
株式会社 石本建築事務所 横浜事務所 http://www.ishimoto.co.jp/index.html
株式会社 遠藤克彦建築研究所 http://www.j4f.com/eaa/
株式会社 大宇根建築設計事務所 http://www.oune-arch.co.jp
株式会社 隈研吾建築都市設計事務所 http://kkaa.co.jp
有限会社 小泉アトリエ http://www.k-atl.com
有限会社 香山壽夫建築研究所 http://ja.wikipedia.org/wiki/香山壽夫
シーラカンスケイアンドエイチ株式会社 http://www.coelacanth-kandh.co.jp
株式会社 高松伸建築設計事務所 http://www.takamatsu.co.jp/jp/index.html
有限会社 ナスカ http://www.studio-nasca.com/company/profile.html
株式会社 坂茂建築設計 http://www.shigerubanarchitects.com
株式会社 ヘルム http://www16.ocn.ne.jp/~helm/index.html
株式会社 三上建築事務所 http://www.mikami-arc.co.jp
株式会社 みかんぐみ http://mikan.co.jp
三菱地所設計・佐藤尚巳建築研究所 設計共同体 http://www.mj-sekkei.com
  http://www.naomisato.com
株式会社 安井建築設計事務所 http://www.yasui-archi.co.jp
株式会社 柳澤孝彦タック建築研究所 http://www.tak-archi.co.jp
一級建築士事務所有限会社SANAA事務所 http://ja.wikipedia.org/wiki/SANAA  http://www.sanaa.co.jp/index.htm

名称にそれぞれのweb site リンクを貼りました。「石本」「安井」やら「三菱地所設計」などというのもありますが、アトリエ派設計事務所が多数を占めています。ホール設計の実績などでは「香山壽夫」さんなどは実績ありますね(ご自分のWEB SITEはお持ちではないようです)。いまルーブル・ランスで話題のSANAA事務所も顔を出しています(やはりWEB SITEはありませんが、コンタクトはとれるようです)。城下町ホールのエスキースコンペに提案された事務所も4,5社ほどありそうです。落選した26者が気になりますね。

 この異形の、未取得の狭隘用地に、これらのクリーエーターのみなさんがどんな提案をなさり、審査員はどんな基準で第二次審査をなさるのでしょうか。この20者について、しっかりアクセスしてみてください。
 小田原城址に対峙する建築物として、どのような審査をして、5点にしぼるのでしょうか?選定委員会の会議(6回ほど?)記録はこれまで一切公開されていません。

設計者選定委員会委員名簿
仙田 満((株)環境デザイン研究所会長)
加藤 源((株)日本都市総合研究所)
勝又 英明(東京都市大学教授)
桑谷 哲男(座・高円寺 館長)
市来 邦比古(世田谷パブリックシアター前技術部長)
桧森 隆一(嘉悦大学副学長)
諸星 正美(小田原市文化部長)

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2013年1月21日 (月)

フランス共和国の220年前

130121k_sato  昨年の12月16日以後、回復できない疲労感に捕えられています。11月末からの風邪が抜けきらないこともありますが、疲労感、脱力感に支配されて自室に閉じこもることが多くなってしまいました。年が明けてからは昼日中からの「読書」です。こんな気分の中、読飛ばせるものとして選んだのが佐藤賢一氏の「小説フランス革命」。2008年11月に第1巻が出てから、折々に読み続けて来ましたがここ2年ほどご無沙汰でした。その間に3巻も出ていましたので、Amazonから購入。癖のある文体にやや引っかかりながらも3冊続けて読み終えました。この3冊は1791年のミラボーの死後からジロンド派とジャコバン派の党争、ルイ16世の処刑(1793年1月21日)を経て、公安委員会の登場と混乱の始まりまでを描いています。

 この小説では、革命高揚のパリ市におけるロラン夫人のサロンがたびたび登場してきますが、さまざまなサロンが政治の変動に大きく関わっていたことは確かなようで、無権利であった女性たちの政治参加はとても興味深いものです。特に、スタール夫人のサロンは中道派政治家たちにとっては欠かせないものだったようです。彼女はルイ16世の財務相ネッケルの娘であり、スウェーデン大使の妻という特権的な立場で、この革命の進行をつぶさに見聞きしていたのでしょう。さすがに1792年8月10日のチュイルリー宮殿攻撃を目にして、翌月はじめにはパリを脱出していますが、1817年7月14日(!!)にパリで亡くなるまで、奔放な生涯を送っていますが、その間に書き残した“considerations” が彼女の息子によって1820年に出版されています。

130121stael  その翻訳和書が「フランス革命文明論(3巻)」という書名で1993年に出版されています。訳者は井伊玄太郎氏(早稲田大学文学部教授)によるもので、学生の購入が支えであったとは言え、たいへん貴重な出版です。中世のヨーロッパ政治文明から説き起こして、フランス革命期、ボナパルト帝政、王政復古、制限王制などについて臨場感のある論で伝えてくれます。1,000ページを超える政治文明論ですが、井伊教授の訳文はとても読みやすく、丁寧な節区分は学生の理解に配慮したものなのでしょう。「小説」とは全く違う、同時代の当事者の論考は、革命批判の独善的な書ではありますが誠に興味深いものです(Amazonで中古本が2,000円程度で出ています)。

 アルジェリア戦争を経て誕生した第五共和制の現フランス共和国の軍隊が、西アフリカ マリ共和国の北部紛争に介入(セルヴァル作戦)したことから、日本のプラント企業が反政府勢力の攻撃を受け、アルジェリア軍の反撃で痛ましい結果を招いていることが断片的に伝えられています。私たちの国家新政権が、この事件にどのように対峙していくのか案じられます。18世紀以後のフランス政体が、さまざまな国家危機に直面しながら、したたかに変身して生き延びてきた「文明」から、私たちは学ぶことが多そうです。覇権国家の傘の下で、安易に時を過ごしていくことができるのでしょうか。

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 ジュール・ミシュレの「フランス革命史」の翻訳和書は桑原武夫氏らの訳により1979年12月に中央公論社から「世界の名著 48 」として出版されています。(この時代の本の文字はとてもいい小さいですね。いまでは読むのに苦労します)2006年には中公文庫(上下2巻)にも入っています。この書は、図版等も豊富で革命史としては最も標準的なものでしょう。三部会の開会からロベスピエールの死までを書いています。

130121e_burke  エドマンド・バークの「フランス革命の考察」は、この革命を否定する英国の立場で論考したものですが、半沢孝麿氏の翻訳で1997年にみすず書房から出版されています。

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2013年1月15日 (火)

住まいは人権

130115tokyo_4  こういう記事に接すると、本当に悲しくなる。この国の住宅貧困は一体いつまで続くのだろうか。敗戦後の悲惨な住宅事情は、この国の人びとから「住まいの思想」を奪い去ってしまった。あの無住居の住民たちを差し置いて「重化学工業再興」「傾斜生産」とやらで、暮し住まいは国の政策から転げ落ちてしまった。「所得倍増」「住宅金融」とかで、住まいは自己責任、個々の甲斐性に押し付けられた。

 住宅無策の中で、公営住宅は当然のように消え去りつつある。住宅公団やら供給公社やら、なにがしかの役割を押し付けられていた「公共事業体」は、2転3転鮮やかに変貌してしまった。「独立行政法人都市再生機構」は『人が輝く都市をめざして、美しく安全で快適なまちをプロデュースします』とのこと。日本一の都市開発デベロッパーを目指されるようになった。住まいは自己責任、甲斐性がなければホームレスになるしかない。ローンで破綻したら、災害で家を失ったら、残念でしたね、頑張ってください。

 阪神大震災、東日本大震災、原子力大災害、この国で「持ち家制度」とやらの制度欠陥があまりにも無惨に崩壊してしまっている。住居は瓦礫になって消え去り、土地は使えなくなり、『住宅取得に頑張ってね。借金のお手伝いしますよ』と言われても、対応できない人は多い。「借り上げ住宅」などという弥縫策で20年やり過ごせば、何とかごまかせるという被災対策はあまりにも恥ずかしい施策。東京のような過密都市が被災した際に、「借り上げ住宅」なんて手品はできないはず。

 こんな無惨な資本主義国があるのだろうか。災害大国、地震、火山噴火、風水害、原発事故---災害のデパートのような国で、住まいの自己所有は無理な話。住まい保証は生存権の基底的な事項。生活最低条件を保証できなくて、公共は成立しない。被災地を放り出して、五輪だ国防軍だと戯言を言う前に、住まいの保証に目を向けろ。

 昨年末から、この国はいよいよ危険水域に突入したようだ。

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2013年1月 8日 (火)

小田原市芸術文化創造センター

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 昨年末2012年12月26日、小田原市公式サイトに『芸術文化創造センター基本設計業務デザインプロポーザルの募集が平成24年12月25日(火)に締切となり、46者から参加表明書が提出されました』との記事があり、12月30日に『参加表明をされた「46者」の氏名、名称等はいつ公表されますか?ご回答ください』という問い合わせをしました。
 今日1月8日にその回答をいただきました。『お問い合わせのありました、芸術文化創造センターデザインプロポーザルの応募者の氏名、名称等の公表時期についてお答いたします。芸術文化創造センターデザインプロポーザルに参加を表明した46者の内、去る1月6日に行われた第一次審査で選定された20者については、氏名、名称等について近日中に公表する予定です。第一次審査で選外となった26者の氏名、名称等については、公表の予定はありません。小田原市文化政策課 33-1705』
 プロポーザルの参加表明を12月25日に締め切って、1月6日に「審査」をして、46者を20者にしぼり今日のサイトに選ばれた20者が公開されています。落選の26者はなぜ非公開なんでしょう。落選者の「名誉」のため?設計者選定委員会は昨年までに5回開催されているようですが、その会議記録は公開されていません。もちろん1月6日の「絞り込み」審査会の記録も。そして3月上旬には、この20者を「5者程度」に絞り込み、3月20日にはこの5者による「公開プレゼンテーション及びヒアリング」で、最優秀者と優秀者を決定するのだそうです。

130108lot  何をそんなにお急ぎなんでしょうかね。今日の新聞記事では『用地取得率は90%を超え』たとされていますが、敷地の形状が確定していない状態で設計者の選定ができるとは、全くの驚愕です。
130108navi_o  このプロポーザルが「想定」している用地は、小田原城跡の三の丸にあり、近年整備された「馬出門」に対面しています。小田原城跡の整備は、このまちの中心市街地の核であり、この用地は史跡整備のためにしっかり保全しておくべきものです。慌てふためいて、わずか1ヘクタールに満たないような未取得で、いまだ人家が建っている「変形敷地」に無理矢理押し込んだ「芸術センター」を設計させるなどというのは、「建築設計コンペ史」に残る「愚挙」「暴挙」です。

130108lot_image  これまで長い時間をかけて(多分20年以上!)右往左往してきた「ホール問題」、拙速な施策で取り返しのつかないまちづくり失政で締めくくってはなりません。「芸術文化創造」がこの町の文化を破壊することは許されません。賢明で勇気ある決断を求めます。

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2013年1月 5日 (土)

ガヴローシュの死から180年

130105les_miserable 正月休みもそろそろ終わりですね。昨夕はわが家に来客があり、かなり仕上がってしまいました。

 その疲れもあり、心機一転シネマ鑑賞に出かけました。ミュージカル映画で評判となっている「レ・ミゼラブル」です。いつものように空いているだろうなどとのんびり行きましたら、残席わずかで、家人とは離ればなれのシートしかありませんでした(夫婦割引二人で2,000円はありがたい)。

 3時間を超える長大映画でしたが、しっかり熱中してしまいました。ビクトル・ユーゴーの力強いストーリが、ミュージカル、ハリウッドというフィルターを通して、新鮮な感動を与えてくれました。ブロードウェイミュージカルの魅力は結構経験していますが、映画化されたものは初めての拝見。家人はアン・ハサウェイなどのハリウッドスターを知っていましたが、当方は全くの門外漢。最近はとても涙もろくなっていますので、かなりのティッシュペーパーを消費しました。みなさまにも、お薦めしたいシネマです。

 ところで、画像のバリケードは、1832年6月5日のパリの蜂起の際、学生たちが中心で立てこもったセクション(今日のレ・アールの近くのP.レスコー街区)の「砦」です。30年の7月革命で誕生したルイ・フィリップ王制は、完全なブルジョア政権で、7月革命の推進力だった貧困層の諸権利は蔑ろにされたままで、所得格差の拡大がこの貧困市民蜂起を引き起こしたのです。この蜂起は、王制から共和制の復活を求めるものでもあったため、政権によって壊滅させられますが、これらの暴政が48年の2月革命に繋がっていったのでしょう。

 このミュージカル映画でも、ガヴローシュ少年の勇気ある行動とその銃撃死がしっかり描かれていますが、このシーンがユーゴーの貧困と年少者の不幸への痛切な弾劾として表現されていました。

 1789年に始まったフランス革命は、1815年の王政復古、30年の7月革命、48年の2月革命、そして70年のパリコミューンを経て、第3共和制に至る百年にも及ぶ革命で、王制・帝政を脱して「共和制」を定着させたのですね。この画像の青年たちが鎮圧部隊の大砲で吹き飛ばされてから、このミュージカル映画ができるまでに180年の時間が過ぎさっているのです。そう簡単に「市民が主人公」にはなれないこと、再認識させられました。勤労者の生活権、こどもの幸福権が尊重されるのはいつになるのでしょうか。

(画像はこのミュージカル映画の公式サイトから)

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2013年1月 2日 (水)

東京箱根間往復大学駅伝競走

130102ekiden 今日も素晴らしい青空でしたが、昨日と打って変わっての強風。例年通り国道1号にある「あん工房」さんの軒先をおかりしての観戦を楽しみました。

 20年前に転居して最初の正月、楽しみにしていた駅伝観戦、大混雑を覚悟して早々と出かけましたが、沿道は閑散とした状況にいささか驚いたことを思い出します。それ以後毎年の正月観戦、少しずつ観衆も増えてきたようでしたが、今日の大群衆は嬉しいものでした。町中盛り上がっているようで、たくさんの知人とも遭遇しました。

 小田原の大きなイベントに育ってきているようです。第5区箱根の山登りの中継地として、この町の大切なイベントにしていきたいものです。

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2013年1月 1日 (火)

今日から2013年

130101central_height 2013年になりました。何事もなく穏やかで、快晴の元旦でした。恒例の「小田原セントラルハイツ」の新年賀詞交換会に参加しました。36回目だと言うことです。1992年の年末にここへ入居し、だれ一人知る人もなかったのですが、この新年会には皆勤参加してきました。1994年4月には、住宅管理組合の理事長を仰せつかり、組合体制の整備に苦労したことを記憶しています。ここに8年4ヶ月居住して、2001年の春に城山に転居しました。思い入れのあるこのハイツとは、退去後も深くお付き合いしていますが、年々「自主管理体制」が整備充実し、施設改善も進み、現在はとても美しいマンションになっています。

 居住者の高齢化は、進んでいますが、今日の新年懇親会の席で、1977年の新築入居時に35年ローンを組んだ方々も2012年4月に完済されたとのことです。この国の持ち家制度が、勤労者層の大きな人生負担になっていること、改めて身近に感じました。

 2013年、この国も、このまち小田原もどのような道を歩んでいくのでしょうか。人びとの暮しは、若い人も、高齢者もつつがなく保たれるのでしょうか。長いデフレから、一気にインフレ突入という暴挙がまかり通るのでしょうか。不安な船出ですが、ひとつひとつ挫けずに対処し、行動していくしか無いのでしょう。いささかくたびれる一年になりそうです。

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