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2013年5月

2013年5月20日 (月)

芸術文化創造センタープロポーザル案市民説明会

130520art_center 先週金曜日(5/17)の夕刻、小田原市民会館大ホールで「芸術文化創造センタープロポーザル案市民説明会」という長い名前のイベントがありました。この日は環境省の動物愛護の基本指針お見直しの審議を初めて傍聴しましたが、傍聴人の多さにびっくりしました。50人くらいはいらしたように思いました。委員長の審議運営もなかなか的確で、さすが霞ヶ関と感心しました。帰宅後すぐに市民会館に伺いましたが、会合表示板には記載が無く、勘違いしたのかなとがっかりしました。まさか大ホール使用とは驚きです。なにかの冗談なんでしょうか。定員1098人の大ホールに50人にも満たない方達がまばらに着席されていました。

 委員長氏の経過説明などを経てやっと新居氏の「技術提案書」の説明が始まりました。彼の案の生真面目さどおり、まことに誠実実直なご説明でした。画像にはそのプレゼンボードを示しましたが、かなり不鮮明で分かりにくいですね。市の公式サイトに事務局所管課がアップしたデータは、ダウンロードできない設定で、この画像はスクリーンショットからとったものです(読み取りは市のサイトで)。
 小田原市の要求条件を全て満たすべく、かなり苦労なさったのでしょうね。実質8千平米ほどの変形敷地に、10,740平米の「芸文センター」を何とか押し込んだという優れものです。氏の誠実なご説明には胸がいっぱいになりましたが。こんなことでいいのでしょうか。今回のこの公共施設は、小田原市のランドマークになるべき歴史地区に設置されるのです。容積率が100%を超えるような施設を作るなど言語道断です。これから「基本設計」の作業を1年間掛けて続けられるようです。当初予算で委託料65,213,000円が承認されました。
130520art_center2 この画像は、落選したSANAA事務所(妹島和世:西沢立衛ほか)の「技術提案書」です。1200人の大ホールと300人の小ホールを背中合わせにした富士山型のビルを敷地中央におく、極めて単純明快な提案。市が求める諸施設は別棟で仮設のように配置しただけと言う、これまた素っ気ないほど明快な提案(市のサイト)です。小田原市の無理難題をさらりとかわした名案かも知れませんが、消し去られてしまいましたね 。
 この大事業、小田原市の都市整備にとって、致命傷となるような施設計画です。平成元年から続いてきた大計画です。小田原市政府には、後世の市民負担にならない「誠実」で賢明な施策を進めていただきたい。

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2013年5月14日 (火)

チェアマンレース小田原版

130511town_news 先週土曜日のタウンニュース小田原版の一面トップ記事です。AD記事の隙間に8段記事となっていたものを、切り貼りしてスキャンしました。8日出稿の記事ですから、隙間をぬって掲載されたようです。

 ところで、小田原市議会はご多分に漏れず、議長任期2年として、議員任期の半ばに議長選をやられるようです。議会の「慣例」やら「申し合わせ」やら「人望」やら、いろいろな競技規則があるようで、このレースいまだ見通し固まらずのようですね。
 議長になると「議長室」やら「専用公用車」やら「お給料」値上げやら、さまざまに提供されるご馳走が魅力のようですね。3期も4期も議員やればだれでも、このご馳走が欲しくなるのでしょうかね。
 ここにお名前が登場する方、小松久信氏、奥山孝二郎氏、武松忠氏、木村信市氏、安野裕子氏、大村学氏、この他にも有力な方々が居られそうですが、本命やら大穴やら、議長と副議長と言う二つの「ポスト」レースを展開中なんでしょうか。われわれ一般選挙民は、不思議な面持ちで観覧席から眺めるだけ。被選挙民衆は、あと2週間ほど暑い日々を送られているんでしょうね。何か異世界に付き合わされている感じです。
 地方議会と言う自治制度、なんとも奇妙な存在になってきたようです。こんな代議制度が、地方政府に必要なんだろうか疑問に思えてくる。「議長室」や「専用公用車」は即刻廃止、「お給料」は半分に値下げ、定員は椅子の数だけ40人にする。議会費は現在より倹約になり、かなりメンバーが入れ替わりそうに思えるけどいかがなもんでしょうか。

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2013年5月11日 (土)

沖縄戦新聞 1945.5.27.号

130511okinawa 沖縄の琉球新報社が2005年に発行した「沖縄戦新聞」のことは、5月4日の記事でも紹介しましたが、ここでは第10号の第一面をスキャンしてアップしました。

 沖縄戦は、戦闘員の悲惨な闘いとともに、住民のおびただしい無惨な犠牲が記憶されています。この32軍と言う拙速に組織された守備隊と大本営作戦部の根本的戦術の食い違いの悲劇が、なんとも空しく、悲しい結果を生み出してしまっています。
 大規模な戦争の戦闘員と一般市民の戦死者数の対比はこのように変化してきたようです。
 第一次世界大戦では戦闘員95%vs非戦闘員5%でしたが、第二次世界大戦では戦闘員52%vs非戦闘員48%、その中での沖縄戦の戦死者は、日本軍65,908人、米軍12,520人、現地住民178,228人ですので、戦闘員30%vs非戦闘員70%となります。沖縄戦以後の朝鮮戦争では戦闘員16%vs非戦闘員84%、ベトナム戦争では戦闘員5%vs非戦闘員95%となってしまいました。
 非戦闘員が「戦死」するのが現今の戦争と言うことのようです。特に無人機による空爆の拡大などが始まっていますが、0%vs100%に近づいてくるのではないでしょうか。

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「我が国政府と米国政府」国家の醜態

130510tokyo 社民党の福島瑞穂参院議員の「質問主意書」と安倍晋三首相の「答弁書」全文を転記します。縦書きを横書きにしてあります。

 画像は、東京大空襲についての国家の補償を求めた訴訟の最高裁判決の報道です。

 平成25年の我が国政府は、昭和20年の我が国政府を継承されているのではないでしょうか。国家、政府、司法とは一体なにものでしょうか。思考停止の国家に未来はない。

 平成25年4月24日 参議院議員 福島瑞穂

「1945年3月10日の東京大空襲に対する政府の認識に関する質問主意書」
一 東京大空襲について、当時の重光外相が「今日、諸国間で合意されている国際法と人道の原則に対するもっとも深刻かつ重大な違反」との主旨の抗議を米国政府に一九四五年三月二十二日に行ったとの報道が、朝日新聞(二〇〇八年三月十日)に掲載されている。このように、当時の外相が抗議を行ったとのことだが、それはどのような内容の抗議文か、また、どのような方法・形式で抗議が米国政府に届けられたのか、などについて当時の具体的な情報を明らかにされたい。
二 重光外相が行った抗議について、当時の政府はその発信行為及び内容を承認していたのか。
三 当時の米国政府は、どのような回答、対応をしたのか明らかにされたい。
四 安倍内閣は、東京大空襲について、国際法に違反する行為との認識を持っているのか。また、当時の重光外相の抗議についてどのような認識を持っているのか。   右質問する。

 平成25年5月7日 内閣総理大臣 安倍晋三

「参議院議員福島瑞穂君提出の1945年3月10日の東京大空襲に対する政府の認識に関する答弁書」
一及び二について
 外務省において保存されている文書において確認した範囲では、昭和20年3月22日、我が国政府として、米国政府に対し、御指摘の東京大空襲について非難し、抗議することとした。この抗議(以下「本件抗議」と言う)は、スイスを通じて米国に伝えられたものと承知している。
三について
 本件抗議への米国政府の回答及び対応については、政府として承知していない。
四について
 政府としては、当時の状況についてはさまざまな見方があり、御指摘の東京大空襲は、当時の国際法に違反して行われたとは言い切れないが、国際法の根底にある基本思想の一たる人道主義に合致しないものであったと考える。また、本件抗議に関する認識のような歴史的な事象に関する評価については、一般的に、専門家等により議論されるべきものと考えていることから、本件抗議に関する認識についてはお答えを差し控えたい。

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2013年5月 6日 (月)

祭りのあと

130504tokyo  3日の記事で書きましたが、天候に恵まれた午前11時から、学び橋のたもとでストゥールに座らせてもらって「お城の緑を守るNEWS第3号」を配布しました。祭りが始まるかなり前でしたが、大勢の方がお堀端通りに集まられていました。

 このNEWS作成に当たっては、会のメンバー間ではかなり時間をかけて論議されました。市民と同時に市政、特にこのメンバーたちがせいいっぱい応援して誕生した現市長への配慮など、これまでにない気遣いがみられたのです。「史跡と緑の共生」という指針で、緑保全が担保されるとして専門部会に代表を送り込んだにもかかわらず、この指針が反古にされそうな部会論議と所管課の動向、強い危機感がメンバーにNEWSを作らせたのです。
 お城前でのNEWS配布についても、12時までには必ず終えよう、祭りに水を差すようなことはしたくない、そんな配慮までしていたのです。

 ところで、今年の祭り観光協会長のおどけ過ぎが、批判やら笑い話になっていますね。何か、安倍流国民栄誉賞授与と重なってみえます。それよりひどいのが、早雲公に扮したタレントが缶ビール片手に出陣したこと、これはまじめに批判されていますね。かつてアルバイトしていたとかのコンビニ前では、仲間と乾杯したとか。

 まあ、コスプレのお祭り悪ふざけなら、とやかく言う筋合いではないでしょうが、小田原だけのお祭りではなく、八王子を始め北條ゆかりの各地から、バスを仕立てて大勢が参加してくださってたようですね。緑の会の10人ほどが出陣支度をしていた市民会館ロビーでは、「よりい」という背文字をしょった女性軍40人ほどに遭遇。埼玉の寄居からですかと声をかけたら、そうよこの日のために踊りの練習に汗を流したのよ、今度はうちの方にも来てねと返されました。

 この祭りも、小田原の祭りから「北条連合」の祭りになってきたのですね。「小田原」観光協会任せは、一考を要するのかも。例年の「市議行列」もいい加減に卒業したらどうでしょう。観光課の職員さん、応援の職員さん、努力しがいのある祭りにしましょうよ。

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沖縄の米軍基地と人びとの暮らし

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 この画像は、沖縄本島中南部の Google map 航空写真に地名等を書き加えたものなどです。沖縄本島で西岸に大きく開いた湾を持ち、山峡状にくびれた地域に、嘉手納町、北谷町、宜野湾市、沖縄市などがあります。慶良間諸島を1945年3月26日に制圧した米軍が、4月1日に「鉄の暴風」とともにこの西岸に強襲上陸しました。沖縄本島を南北に分断する戦略だったと言われていますが、上陸後この地に大規模な基地建設を進めました。以来68年米軍基地は拡大を重ねて今日に至っております。

 この航空写真でグレーっぽくみえる部分が沖縄県民の居住エリア、グリーンがかってみえる部分が米軍基地と軍人家族の居住地、キャンプです。

130505okinawa2_3 この画像は、沖縄自動車道の両側に広がるキャンプ・フォスターと沖縄住民のエリアの一部を拡大したものです。整然と並んで、みどり豊かなオープンスペースを持った駐留軍エリアと密集した住民エリアの人びとの暮らしにの大きな格差に、こころが痛くなります。

 かつて、私の中学高校時代、現在の明治神宮に接した代々木公園エリアは、ワシントンハイツと言う駐留軍住宅地でした。近隣に住んでいた私は、東京住民の貧しい住まいと、あまりにも贅沢にみえる米軍人家族の生活に、羨望と怒りを覚えたものでした。この居住地のハウスメイドは、日本の若い女性たちが務めていました。現在の沖縄の人びとは、広大なキャンプをどのような気持ちで眺めていられるのでしょう。

 68年前のこの時期、座間味島でも伊江島でも、この本島でも、凄惨な戦闘、住民の集団死が行われたのです。その結果としての敗北と占領の屈辱が、今日まで継続していることは、許しがたいことです。「主権回復の祝賀」など、狂気の沙汰ではないでしょうか。

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2013年5月 4日 (土)

「沖縄戦新聞」1944.7.7.~1945.9.7.

130504okinawa 2005年、沖縄戦の終結から60年の年を重ねたとして、琉球新報社が日刊紙の特集面で発行した「沖縄戦新聞」というものがあります。「戦前、戦時中と日本中の新聞が戦意高揚の記事で紙面を埋め尽くし、住民を戦場へとかりたてました。言論機関として本来の性格を失ってしまった当時の新聞の「負の歴史」を直視しながら軍部に屈して報道できなかった先達の無念さを忘れてはなりません。----本誌記者がいまの情報と視点で編集した紙面です」としてあるように、当時の戦況、政治状況をあらためて報道しなおすと言う、たいへん興味深い企画です。2005年9月に「箱詰め出版」されて、広く知られるようになりました。

 1944年7月7日の第1号から1945年9月7日の第14号までの一面記事、見出しを列記します。

第1号 サイパン陥落「邦人1万人が犠牲」S19/7/7
第2号 対馬丸が沈没「米潜水艦の魚雷受け」8/22
第3号 米軍が無差別空爆「沖縄全域に延べ1400機」10/10
第4号 軍が北部疎開要求「男子は防衛隊動員」12/14
第5号 北部へ10万人疎開「島田知事が移動指示」S20/2/10
第6号 慶良間に米軍上陸「沖縄戦始まる」3/26
第7号 本島に米軍上陸「兵員18万3000人投入」4/1
第8号 米軍が伊江島占領「住民1500人が犠牲」4/21
第9号 日本軍の総攻撃失敗「沖縄戦は事実上敗北」5/5
第10号  32軍、首里司令部を放棄「摩文仁へ撤退」5/27
第11号  沖縄戦 事実上の終結「米軍、占領を宣言」6/23
第12号 「疎開船」尖閣沖で沈没「台湾行き米軍機攻撃」7/3
第13号  日本が無条件降伏「政府、ポッダム宣言受諾」8/15
第14号  日本守備軍が降伏「宮古、奄美の司令官調印」9/7
130504okinawa2
 第14号の4面に掲載されている資料記事の一部です。沖縄戦終結時の人口構成の無惨な姿です。9条を変えようと言う成年男子のみなさんは、次の戦争でも沖縄だけが犠牲になるのだとお思いなんでしょうか。
 戦争の無惨さを学んでいただきたいと思います。なぜ、安倍晋三氏のような復古主義者の言い分を信じられるのですか。
 この「沖縄戦新聞」 Amazon で1,650円で買えますので、お買い求めの上熟読してください。

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2013年5月 3日 (金)

安倍式マネーゲーム

130426akahata 少し古い話題ですが、記憶にとどめていただくためにデータを添付しました。増加額1位のY氏は資産が2倍以上になったのですね。輸入商売だからなんでしょうか。私も結構買わせてもらいました。渋谷区に住民登録を移していただいたと、区長たいそう自慢されていました。住民税も2倍になって渋谷区もほくほくなのかな。2位のS氏の資産1兆230億円。東京ドームいくつ分という言い方にならうと、東京都庁ビルが7個建つ。年利3%で運用すると年に307億円ほどになって、美術館が一つ運用できる。などと、貧乏人らしい計算をしますが、円安は儲かるんですね。どこから儲けたか。貧乏人から金持ちに移動したということなんでしょうね。いささかひがみ根性で、こんな試算が目に留まりました。じっくり眺めてください。

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北條五代祭り

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 今朝は、少し怪しい空模様でしたが、10時を過ぎると明るい日差しが差し込むようになりました。「小田原城址の緑を守る会」では、3月27日に行われた平成24年度の最終植栽専門部会の審議模様に大きな衝撃を受け、一旦休止していた運動を再開することにしました。その第一弾として、NEWS第3号を発行し、今日の五大祭りに参集されたみなさんに配布しました。祭りが始まる前の11時から12時までの1時間ばかりの配布でしたが、一昨日印刷した4,000部は、わずかしか残りませんでした。来場者との対話は少なかったのですが、「頑張ってください」「ありがとう」との声にはとても嬉しく思いました。
130503news2_3  小田原城址は、史跡であるとともに私たち市民のリゾートオープンスペースでもあるのです。「史跡と緑の共生」という指針を守り続けなければなりません。調査も整備もその視点で策定するべきです。樹齢百年の樹木を伐採すれば、補植してから百年の時間を待たねばなりません。植栽専門部会という審議会には公共の利益を守るべき役割を認識して欲しい。事務局の文化財課には、新たな知見を得てさらなる賢明な施策を求めたい。

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憲法を守る

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 今日は「憲法記念日」、先月末この国の政権は、妙な祝賀祭典をやりましたが、なにをやったのか可視化していないようです。秘事だったのでしょうか。今日の祝日は、憲法を圧殺する秘事をやるのかな。

 昨日5月2日、「憲法9条 守る?変える? 全国投票」の運動に呼応して、小田原駅東口前でささやかに1時間ほどシール投票をやりました。「投票総数」137票「守る」が97票(70.8%)「変える」が17票(12.4%)「分からない」が23票(16.8%)でした。

 私は投票板を抱えて座らせてもらいましたので、投票者すべてと顔を合わせました。「守る」が70%と高率ですが、女性投票者が多かったからです。「変える」17票の内16票は20〜30代の男性、30代の女性が1票でした。「守る」97票は、10代の男女高校生、全世代の女性、高齢の男性が中心でした。

130503higuchi  憲法施行以来、今日までの66年間、日本国は武力行使をしていない、一人の戦死者も一人の戦争殺傷者も出していません。武力行使の担い手である若者たちが、この恩恵を廃棄して銃を手に戦場に向かおうというのでしょうか。有無を言わせぬ「徴兵」の不条理を承認しようというのでしょうか。そうではないのでしょう。彼らの日々は非正規雇用に曝され、社会保障に不安を抱き、高齢化の負担増に怯え、未来が描けない。現状をぶっ壊すこと、憲法をぶっ壊して、新たな地平を開きたいと言うことかもしれない。彼らにとって、現在の「平和」は生きづらいものになっているのかもしれない。就業制度や社会保障に展望を見いだせるような施策が全くみえない。ますますきつくなって行くに違いない。そんな苛立が「変える」のシールからみえてくるようです。

 「日本国憲法」が、痛めつけられながらも、国家の暴走を引き止め、一人一人の「個人」を守ってくれた。母親は徴兵で子供を失うことはなかった。子供たちは空爆で逃げ惑うこともなかった。しかし、この命綱の憲法を失い、個人を縛り義務づけを課す「国家主権憲法」が登場することの恐ろしさを、どのようにして理解させれば良いのだろうか。駅頭での1時間、考えつづけていました。

130503tokyo (追記)今朝の東京新聞の神奈川面にカラー写真つきで報道されていました。極めて単純なゲーム的街頭行動ですが、1時間の間の通行者生態の観察、たいへん勉強になりました。この後、地元会計事務所主催の第45回「人権と憲法を考える日」の講演会「いま、『憲法問題』をどう考えるか〜『戦後日本』を『保守』することの意義〜」に伺いました。講師樋口陽一さんは1934年生まれで、井上ひさしさんと同級生とのこと、私より1歳年長ですが同世代の時代認識を強く感じました。胸を熱くさせる良い講演でした。自らの老け込みぶり、ここでも反省しました。

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