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2013年5月 6日 (月)

沖縄の米軍基地と人びとの暮らし

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 この画像は、沖縄本島中南部の Google map 航空写真に地名等を書き加えたものなどです。沖縄本島で西岸に大きく開いた湾を持ち、山峡状にくびれた地域に、嘉手納町、北谷町、宜野湾市、沖縄市などがあります。慶良間諸島を1945年3月26日に制圧した米軍が、4月1日に「鉄の暴風」とともにこの西岸に強襲上陸しました。沖縄本島を南北に分断する戦略だったと言われていますが、上陸後この地に大規模な基地建設を進めました。以来68年米軍基地は拡大を重ねて今日に至っております。

 この航空写真でグレーっぽくみえる部分が沖縄県民の居住エリア、グリーンがかってみえる部分が米軍基地と軍人家族の居住地、キャンプです。

130505okinawa2_3 この画像は、沖縄自動車道の両側に広がるキャンプ・フォスターと沖縄住民のエリアの一部を拡大したものです。整然と並んで、みどり豊かなオープンスペースを持った駐留軍エリアと密集した住民エリアの人びとの暮らしにの大きな格差に、こころが痛くなります。

 かつて、私の中学高校時代、現在の明治神宮に接した代々木公園エリアは、ワシントンハイツと言う駐留軍住宅地でした。近隣に住んでいた私は、東京住民の貧しい住まいと、あまりにも贅沢にみえる米軍人家族の生活に、羨望と怒りを覚えたものでした。この居住地のハウスメイドは、日本の若い女性たちが務めていました。現在の沖縄の人びとは、広大なキャンプをどのような気持ちで眺めていられるのでしょう。

 68年前のこの時期、座間味島でも伊江島でも、この本島でも、凄惨な戦闘、住民の集団死が行われたのです。その結果としての敗北と占領の屈辱が、今日まで継続していることは、許しがたいことです。「主権回復の祝賀」など、狂気の沙汰ではないでしょうか。

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コメント

「北條五代祭り」は、甲冑を身につけ腰には大刀を携えた戦国時代の軍隊が行進するお祭りですよね。今年は、忍者(これもまた武器を携帯)姿の人も大勢いました。

松本さんは、戦国時代の大勢の人を殺めた軍人・軍隊のお祭りを楽しまれたのですか?

戦国時代、侍に無惨に我が子を殺された母親の気持ちに思いが至りませんか?沖縄以外の人の命は軽いのですか?

投稿: マコ | 2013年5月 8日 (水) 11時04分

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