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2013年6月22日 (土)

「文化というものは政治を反映する中枢」

130622louvre 今年の2月に未来社から出された翻訳書です(訳者は塩谷敬氏)。久しぶりに熱中して読んだドキュメントですので、みなさんにもぜひお読みいただきたいと思い、記事にします。表題は、著者ジャック・ラングの結語のようなものです。ジャック・ラングは今風に言えば市民運動から文化大臣、議員になった1939年生まれのヴォージュ県人です。

 1981年ころから2012年のルーヴル・ランスの開館、ルーヴル・アブダビの契約まで、20年ほどの文化政策の闘いを記録したものです。もちろんラング自身の「思い・理念・思想」がさまざまな文化・政治局面でずっしりと語られています。この期間は、まさにフランス共和国が「再生」した時代と言ってもいいのではないでしょうか。豊富な記録は感動的、かつ多彩なものですので、この翻訳書を手にして読み取ってください。
 ここでは、ひとつの話題だけご紹介します。ルーヴル・ランスの設計コンクールの姿です。ランスはパ・ド・カレ県にある衰退が進む炭坑町(住民の6割が非課税対象)です。この町が選ばれた経緯も、興味あるものですが、設計コンクールでの選定手法を紹介します。3人の建築家が最終選考に残りました。フランス人リュディ・リチオッティ、英国系イラク人ザハ・ハディド、そして日本人ユニットSANAA(妹島、西沢)。2005年9月、町の再生に責任を持つ県会議員が評決したのです。
 SANAAを選択する議案については賛成票22(社会党、緑の党)、反対表22(国民運動連合、フランス民主連合、国民戦線、フランス共産党)の同数でしたが、県総裁のペルシュロンが代表者として2票の権利を持っているので、まさに僅差でSANAAが実施設計をになうことになったと書かれています。ペルシュロンたちの評価は、「派手さもない、メディア受けもしない、日本人にありがちな平凡さに見えるが、シンプルで透明感があり理にかなっている、奇抜さで人の気を引こうとしない、景観にすんなりと溶け込む」としています。
 設計者の選択、私たちの町でも、たびたび、つい最近も、この選択が行われました。決して安易になさったのではないでしょうが、設計選択にどなたが責任をお持ちになっているのでしょうか。このルーヴル・ランスは選択責任主体が明確です。2012年クリスマスの開館、それ以後の美術館状況は、当時国際的には無名であったこのユニットを選択した勇気の先見性を証明しています。
 「文化というものは政治を反映する中枢」地方地域にもこの思想を広げ、文化で差別化する都市間競争をするべきではないでしょうか(暴力政治と言う戦争政策ではなく)。このドキュメントを、安倍内閣総理大臣が目にすることもないのでしょうが、わが町の市長には、ぜひ読んで欲しい。

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コメント

>このドキュメントを、安倍内閣総理大臣が目にすることもないのでしょうが、
松本さん、この言い方は大変不遜で失礼な発言ですよ。単に松本さんご自身が知らなかったことが書いてあった本なのでしょう。安倍首相は松本さんより、ずっととっくにご存知の事例かもしれませんよ。何の根拠があって、安倍首相が読んでいないとか、知らないと決めつけるのでしょうか?

>わが町の市長には、ぜひ読んで欲しい。
反日左翼の松本さんが、いたく感動された本なので、反日左翼につながるような内容の本なのではないでしょうか?そのような本が名著とは限りません。読むに値する本でしょうか?

投稿: 本田政嗣 | 2013年6月23日 (日) 01時56分

松本さんは、小沢市政の時に城下町ホールの反対運動を展開しました。しかし、設計料約1億5千万円は、山本理顕氏に支払われました。ドブに捨てたようなものですね。小田原市民は、そのことを知っているのでしょうか?

投稿: マコ | 2013年7月16日 (火) 16時14分

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