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2013年6月11日 (火)

もう一つのアメリカ現代史

130611akahata アメリカ合衆国にも「左翼」はいますよね。でもなにか物珍しい感じはします。オリバー・ストーンやマイケル・ムーアなどの映画監督など、リベラル派が登場しています。

 ピーター・カズニック氏とストーン監督が制作したTVドキュメンタリー(The Untold History of the United States)
 これまでに、7回分が放映されていますが、明日の12日に第8回が、13日に第9回、14日に第10回がそれぞれ深夜0時に放映されて完結します。1〜10回のタイトルは次のとおりです。
#1 第二次世界大戦の惨禍(World War Two)
#2 ルーズベルト、トルーマン、ウォレス(Roosevelt,Truman & Wallace)
#3 原爆投下(The Bomb)
#4 冷戦の構図(The Cold War 1945−1950)
#5 アイゼンハワーと核兵器(Eisenhower,the Bomb & the Third World)
#6 J.F.ケネディ〜全面核戦争の瀬戸際〜(JFK: To the Brink)
#7 ベトナム戦争 運命の暗転(Johnson,Nixon & Vietnam: Reversal of Fortune)
#8 レーガンとゴルバチョフ(Reagan,Gorbachev & the Third World)
#9 “唯一の超大国”アメリカ(Bush & Clinton: American Triumphalism)
# 10テロの時代 ブッシュからオバマへ(Bush& Obama : Age of Terror)
 とても貴重な映像が、その時代の政治状況を描き出しています。毎回50分足らずの番組ですが、貴重な現代史を振り返ることができます。ぜひご覧ください。1〜7回分保存もあります。

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コメント

世界の左翼は「反政府」どころか、時に与党として政府を構成したりしていますよ。左翼・右翼というのも単純に色分けできるものではなく、一般的に右翼の方に分類されるドイツのナチスやイタリアのファシスト党も左翼的というか社会主義的な傾向も見られる。日本においても例外ではなく、北一輝は右翼とされるが左翼ともいえる存在であった。1930年代の陸軍における派閥対立においても、北一輝の影響が見られる皇道派のみならず統制派においても社会主義的な面があった。

日本の左翼とて「反国家」であったわけではない。戦前の社会大衆党や戦後の社会党右派(右派社会党→後の民社党)は別に反国家だったわけではない。むしろ、戦前から国体打破を目指す左翼運動は主流ではなく、体制内において労働者や小作人の権利拡大を目標としたものが左翼の主流であった。事実、戦後の社会党においても当初は右派が多数で左派は少数派であったのだ。だが、日本の牙を抜いておきたい占領軍にとって、大日本帝国体制は断じて復活させてはならないものであった。そのための新憲法(わざわざ改正しにくくした)であり、第九条なのであった。ただそれでも後々、日本人が目覚めて憲法を改正し、再軍備することでアメリカの脅威となる可能性はなお残る。日本人自身の覚醒を阻止するためには精神面においても、日本人を洗脳しておく必要があったのである。戦後、アメリカがもたらした民主主義こそ最高のもので、「正義のアメリカが悪の大日本帝国に勝利した」というストーリーを創作し、戦前=暗黒時代で戦後=エデンの園という魔法を実に巧妙にかけていった。その尖兵となったのが、当初は日本共産党であり、レッドパージ以降は社会党左派がその担い手となった。この企みは見事に成就したが、遠からずアメリカ自身を苦しめることとなった。あまり有名ではないが、戦前の反国体左翼は日本共産党だけではなかった。もっと正確にいうと、戦前マルクス主義を信奉し、国体打破を唱えたマルキシストは路線対立(日本資本主義論争)によって、共産党と共産党に入らなかった勢力(労農派と呼ばれる)の2派に分かれる。労農派が戦後に形成した勢力こそが社会党左派であった。対して戦前の左翼運動の主流であり、戦後において西洋的社会民主主義を志向したのが社会党右派であった。そしてGHQの愚かな策謀が、社会党左派を社会党の主流へと成長させてしまった。

もう1つの観点から考察すると、左翼が反日であることと自民党という一政党が独裁政権でもなく普通選挙が行われているにもかかわらず、細川政権に至るまで40年も政権を占有できたこととも無縁ではない。冷戦時代の日米安保体制の下、日本はその国力に比してあまりにも少ない国防費で国の安全を確保することが可能であった。政治の役割は利害調整であり、集めた税金をどういった分野に配分するかが問題なわけです。だから本来は、あっちにもこっちにもいい顔をする、つまり金をまくことはできないはずなのです。なぜなら国の予算は有限だから。しかし日本の場合は国防に金がかからなかったため、どちらに対してもいい顔をすることができた。財界の要望にも応えることができ、同時に一般庶民が望むような社会保障制度の充実も実現することが可能であった。そのため、本来右派が左派を撲滅して健全なる西洋的社会民主主義政党となった社会党(史実とは異なる)が米民主党・英労働党のようなスタンスで政権を担うことによって実現すべき政策さえ自民党の手で実現されていったため、アメリカにおける共和党と民主党のような経済施策における相違点によって2大政党制が実現する余地がなく、昭和30年の保守合同以降は自民党という一政党に帰結してしまった。こうして自民党の手で世界で最も成功した社会主義国としてわが国は発展しを遂げることになった。社会党右派は左右社会党合同以降も左派に圧倒され、後に右派が分党(民社党)するに至った。民主党というのは、自民党の最右派以上の超右派(春日ー塚本ライン)と社会党に近い穏健リベラリスト(佐々木ー永末ライン)が「反共」のスローガンの下で、共存していたある種不思議な政党であった。民社党は、自民党に政策のお株を奪われ、社会党に支持基盤たる組合を掌握されて、弱小勢力から脱却できないまま終焉を迎えざるを得なかった。

このように米の占領政策の過誤(精神面)と長期に渡った冷戦下の日米安保体制(物質面)が、左翼を反日左翼とするに至った2大要因であるといえよう。低コストで国防がまかなえたことは日本の急速な発展を実現させたが、だらしない金のバラマキを許容させることになり、今日の破滅的財政状況に繋がったのであるから、2大政党制を不可能にした一因であることを別にしても長い目で見た場合不幸以外の何物でもなかったと結論付けられるであろう。

投稿: ゴロウ | 2013年6月14日 (金) 20時59分

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