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2013年7月25日 (木)

沖縄の「規格屋」ハウス

51j101yx3l_ss500__2 先週の連休明け16日(火)から、神奈川県北部の伊勢原市という国道246号が通る町の病院に入っていました。手術はかなりの実績を持たれている整形外科医によって執刀していただき「無事」術後を経過、明日26日(金)退院できることとなりました。最後の夕食はなんと「鯵フライ」でした。ラップを掛けて数十分経過したのでしょう。フライの煮付けのようでした。でも、とても良い病院ですよ。今後も6週間ほど通わなければなりません。
 入院に際して、3冊の本を持ち込みましたが、画像の1冊からは新たな知見をしっかり獲得しました。著者は与那国島生まれで琉球大学教授の川平成雄氏です。この10日ほどの孤独な「暮らし」が、沖縄の問題、日本国の問題、「日本」人民の問題を根底から考えさせられたことに対して、著者の川
平成雄氏に中心から感謝を捧げます。みなさんにも、ぜひぜひご一読いただきたいと願います。

 その中で、わずかですが救いのある(私の興味を強く引いた)部分をご紹介します。戦火で10万戸の住宅が緊急に必要となっていたのです。米軍軍政下に入った沖縄では、1945年8月15日に「沖縄諮詢会」という住民自治機関が設けられ、その工務部が対応した緊急仮設住宅のことを記します。米軍補給隊などのノウハウを下に、2×4工法による「規格屋(キカクヤー)」という基準住宅を作り上げたのです。その設計基準面積は「6.4m×5.5mの居室」「2.4m×2.1mの台所」、という内法面積を持つ住宅です。日本風に言えば15坪ほどの住宅です。その年の11月に900万立方フィートの米国基準の平割り材が入荷して、緊急仮設住宅の建設が始まっています。1948年までに約7万5000戸が供給されたそうです。
 アメリカ合衆国は戦勝国ではありましたが、1945年の財政支出総額1,004億ドル、軍事費900億ドル(89.6%)、1946年は総額650億ドル、軍事費485億ドル(74.6%)という、破綻寸前の状況ではあったのです。沖縄復興支援には、かなり異論があったようですが、軍政下とは言えこの程度の成果は残しているのです。東日本復興での、仮設住宅の水準と供給の状況は「工業先進国」の姿とはとても思えません。
 沖縄の問題は、きわめて大きな「日本国」問題です。参院選の沖縄県1人区で、社会大衆党が議席を得ましたが、日本国から幾度も切り捨てられた沖縄への連帯は大きな課題であることを、ベッドの上で痛感いたしました。やや高価な本ですが、私たちが緊急に読むべきものと考え、強く推薦します。「沖縄 空白の一年」

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コメント

松本さん

沖縄に関しても、故意にデマを広めようとしているのか、調べ方が悪いのか分かりませんが、沖縄のウソを語ることこそは、沖縄を貶める行為ではないでしょうか?松本さんの人生は、沖縄を貶め続けた人生かも知れません。

>日本国から幾度も切り捨てられた沖縄への連帯は大きな課題である

日本は、沖縄を切り捨てていません。むしろ、政府はこれまで多くの資金を提供してきました。

>「沖縄 空白の一年」

この本は、
「事実を積み重ねて(調べた結果から)→著者の結論、主張」をしている本ではありません。その逆で

「著者の結論・主張(が先にあって)→著者の主張に合うような資料を集めて、著者の主張に合うように資料を解釈している」本です。


☆「沖縄 空白の一年」の誤りついて

1)著者は、昭和天皇は47年にマッカーサーに「米国が沖縄、その他の琉球諸島に対する軍事占領を継続することが日米両国の利益になる」旨のメッセージを送ったことを取り上げ、沖縄は昭和天皇によって2度切り捨てられたと書いている。

→軍備のない日本の状況下で、中国、ソ連の共産主義勢力から沖縄を守り、長期租借の形式をとることで潜在的主権を確保するために、「天皇は米国による沖縄占領は日米双方に利し、共産主義勢力の影響を懸念する日本国民の賛同も得られる」とお考えになっていたようです。GHQからの主権回復時に沖縄が入らなかった直後から、日本政府は沖縄復帰のために米国と交渉を開始していました。日本政府も天皇陛下も沖縄を切り捨てていたのではありません。http://www.archives.pref.okinawa.jp/collection/2008/03/post-21.html

2)日本軍によりマラリア蚊の発生源への疎開を強制された八重山住民。八重山における戦死者178人に対しマラリアによる死者数は3647人(以下略)

→著者の事実誤認と「残虐非道な日本軍」という印象操作をしている箇所です。戦前は八重山地区のみならず沖縄県全域、いや、日本全国でマラリアは見られました。

喧伝されるされるように、日本軍は、八重山住民を「マラリア非発生地域」から「マラリア発生地域」に強制連行したわけではなく、「戦時中米軍の攻撃から避難するため離島の山岳地帯への疎開」を誘導したのです。

戦前からマラリアに悩まされていた沖縄が、マラリアに決別を告げるのは、1960年代で、沖縄を占領した米軍の殺虫剤の大量散布などのより、マラリアが撲滅しました。

投稿: マコ | 2013年7月26日 (金) 12時16分

2012年11月18日 「豊かな海づくり大会」で沖縄をご訪問の天皇皇后両陛下を奉迎する沖縄県民7000人が大提灯パレードが行いました。

この沖縄県民の普通の姿じゃないでしょうか。http://youtu.be/G_r_5WFt8jo

投稿: マコ(動画/沖縄県民の姿) | 2013年7月26日 (金) 12時25分

昭和天皇が1975(昭和50)年の初訪米を前に「米国より先に沖縄県に行くことはできないか」との意向を側近に示していたことが13日、分かった。沖縄県公文書館が今年9月に公開した当時の屋良朝苗(やら・ちょうびょう)知事(故人)の日記に、宇佐美毅宮内庁長官(当時)の話として記されていた。

識者は「沖縄に犠牲を強いたという負い目が訪問に強い意欲を持った背景にある」と分析。当時の昭和天皇の沖縄に対する思いを伝える貴重な記録として、注目されそうだ。

 日記によると、屋良知事は皇太子(現天皇陛下)の沖縄国際海洋博覧会(海洋博、昭和50年7月開幕)名誉総裁就任の正式発表を受け、あいさつのため同年4月16日に宮内庁を訪問。その際、宇佐美長官が知事に「天皇陛下から『私はどうするのだ アメリカに行く前に(沖縄に)行けないか』との御下問があって困った」と打ち明けたという。


「昭和天皇 沖縄へ強い思い「米国より先に行くことはできないか」」:イザ! http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/koushitsu/606568/

投稿: マコ | 2013年7月26日 (金) 13時35分

 マコさん、あなた本当に小田原の女子高校生ですか。女子高校生にしては、ずいぶんひねた文章をお書きになる。中年のよい歳をしたおじさんの文章のような気がします。
 女子高校生の名前をかたって、偽名で、松本さん攻撃をなさっているのは、あなたがまさに擁護しようとしている、「立派な日本人」のかざかみにも置けない卑劣な行為だと思います。日本人として恥ずかしくないですか。

投稿: 匿名希望 | 2013年7月27日 (土) 16時27分

「沖縄の米軍基地は、日本にある米軍基地の75%を占める。」と、社民党・共産党が言っていますが、数字のマジックです。

これは、米軍専用基地だけを取り出して言っているのです。自衛隊との供用基地は含まれていません。自衛隊との供用基地を含めると、22.7%です。

投稿: じろうたろう | 2013年7月28日 (日) 01時20分

ウィキペディア 「戦争マラリア」より抜粋

八重山における戦争被害は琉球政府文教局の『琉球資料集第一集』(1956・下記参考資料より孫引き)によると「空襲による死者174名、山地へ強制退避せしめたる結果、マラリアにより死亡したる者3647名、(以下物品被害を略)」というように、戦闘行為の犠牲よりマラリアの犠牲者数がはるかに上回った。結果的に八重山への上陸攻撃は行われなかった。

波照間島に疎開命令が出たのは、八重山における正式な疎開命令より3カ月ほど前、慶良間諸島にアメリカ軍が上陸した直後の1945年3月末(正確な日付は不明)であった。命令書はなく、旅団本部が口頭で村長に伝えたという。また、家畜の屠殺に訪れた兵士から聞いた村民もいた。理由は、アメリカ軍がこの島に上陸してくる可能性が高まったためとのことであった。疎開先として指定されたのは西表島南部の南風見田(はえみだ)であったが、そこはマラリアの発生地域であり、1920年にそのために廃村に追い込まれた地であった。住民の多くは反対したが、軍の命令であり、やむなくこれに従った。その際、この命令を伝えた山下虎雄陸軍軍曹なる人物は、反対する住民に対して顔を真っ赤にさせて怒り、自分の言うことに反対する者はこの日本刀で斬ると脅し、「疎開しなければ井戸に毒をいれ家も焼き払う」「1人でも島に残る者があれば全員首をはねる」と言ったという(『沖縄県史』第10巻、勝連スエ(当時30歳)の証言)。

この山下という名前は偽名であり、その正体は陸軍中野学校・離島残置要員特務兵の陸軍軍曹酒井清(護郷隊では酒井喜代輔と名乗った)である[3]。酒井は1945年の初めに、スパイ養成機関である陸軍中野学校から離島工作員に指定され、表向きは青年学校の指導員として送り込まれてきた人物である[4]。

なお、酒井(「山下軍曹」)は、戦後波照間島を訪れているが、1981年8月7日の来島時には、当時の浦仲浩公民館長はじめ、5つの部落代表、老人会、婦人会、青年会、町議など19人の連名で「あなたは、今次対戦中から今日に至るまで名前をいつわり。波照間住民をだまし、あらゆる謀略と犯罪を続けてきながら、何らその償いをせぬどころか、この平和な島に平然として、あの戦前の軍国主義の亡霊を呼びもどすように三度来島したことについて全住民は満身の怒りをこめて抗議する」(「対戦」の誤字は原文ママ)と直接抗議されている[5]。

波照間島住民の疎開は3月末に始まり、住民は避難船で西表の南東端にある大原に到着し、そこから南風見田まで約8kmを徒歩で移動した。先遣隊が建設した掘っ建て小屋で生活が始まったが、ほどなくマラリア患者が発生した。ちなみに彼らを引き連れた酒井軍曹は当初は共にここで宿泊したが、その後由布島(ゆぶじま)に移動している。酒井(山下)軍曹の横暴はひどく、村民の病人も多かったことから、7月30日、ついに彼に隠れて当時の波照間国民学校の識名信升校長が旅団長に直訴。ようやく疎開命令の解除を取り付けた。なお、識名校長はこの横暴を極めた酒井(山下)軍曹と疎開の惨状について「自分と同じ人間がもう一人いたら山下軍曹を海に突き落としていたのに」と語っていたという[7]。

島に戻り、すべてが元通りであればよかったが、すべての家畜は処分してしまっており、農地は4カ月放置したまま、住民は栄養不良と疲労が重なっており、しかも西表からマラリアを運んできているという状態であった。その影響は長く残った。波照間住民のマラリア罹患率は99.7%、死亡率は30.09%との記録がある。つまりほぼ全員が罹患し、その三分の一弱が死亡したのである。

投稿: 匿名希望 | 2013年7月28日 (日) 13時28分

今度は「じろうたろう」さんへ

「自衛隊との供用基地は含まれていません。自衛隊との供用基地を含めると、22.7%です。」

沖縄全県の面積は、日本全体の0.7%だそうです。0.7%が22.7%を負担するのは、あんまりだと思いませんか。

投稿: 匿名希望 | 2013年7月28日 (日) 14時52分

私のブログは、メールアドレスの記載を必須としておりますが、虚偽登録を厚顔無恥に平然と実行される方のコメントは、今後すべて削除します。

投稿: 松本茂 | 2013年7月29日 (月) 09時00分

ハンドルネーム「マコ」のメールアドレスの実態です。
The original message was received at Sun, 21 Jul 2013 15:59:45 +0900
from p2042-ipbf1306hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp [122.26.161.42]
----- The following addresses had permanent fatal errors -----

(reason: 550-5.1.1 The email account that you tried to reach does not exist. Please try)
----- Transcript of session follows -----
... while talking to gmail-smtp-in.l.google.com.:
DATA
... User unknown
<<< 503 5.5.1 RCPT first. aq4si14535627pbd.296 - gsmtp
Reporting-MTA: dns; mxg309.nifty.com
Arrival-Date: Sun, 21 Jul 2013 15:59:45 +0900
Final-Recipient: RFC822; makoi-ssobe69@gmail.com
Action: failed
Status: 5.1.1
Remote-MTA: DNS; gmail-smtp-in.l.google.com
Diagnostic-Code: SMTP; 550-5.1.1 The email account that you tried to reach does not exist. Please try
Last-Attempt-Date: Sun, 21 Jul 2013 15:59:59 +0900

投稿: 松本茂 | 2013年7月29日 (月) 11時43分

小河亘さんという方が、

「松本様 私はマコさんは高校生だと思います(御本人の弁によれば高3)」とコメントされていますが、

松本さんの当コラム「暮らしのフォラム」のどこを探しても、「御本人の弁によれば高3」とのマコさんのコメントはありません。高3であるとコメントされているのは、「かず」さんです。

ぼくらの市民自治『@あしがら』からの声では、「マコ」ならぬ「まこ」さんが発言されています。

小河さんもこの2つのブログで良く発言をされています。

なんだか、変ですね。マコ=まこ=かず=じろうたろう=小河亘のような気がします。

松本さん、専門家のサポートを得れば、同じ場所からマコ、まこ、かず、じろうたろう、小河亘のコメントが発信されていることが証明できるのでは。


投稿: 匿名希望 | 2013年7月31日 (水) 01時16分

かずさんいわく、

「ボクは、匿名希望=松本茂さんだと思いました。マコさんは、原発関係の記事で「高2です」と書いていました。」

何月何日の原発関係の記事で「高2です」で書いているのでしょうか。

匿名希望=松本茂さんでは、断じてありません。匿名希望は私=匿名希望本人です。

「追伸 共同の無線LANや共同のPCを使っている場合は、IPアドレスが同じになります。」

化けの皮が***ましたね。

投稿: 匿名希望 | 2013年7月31日 (水) 11時23分

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