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2013年9月

2013年9月23日 (月)

石原・猪瀬主導??大規模景観破壊

1308jia_maki 日本建築家協会の機関紙 JIA MAGAZINE 8月号 記載の、槇文彦氏特別寄稿です。神宮外苑の景観破壊と過大な建築規模に異議を唱えられています。

 「新国立競技場案」は昨年11月7日、このコンペの審査委員会が出した最終結果を受けて、11月15日に開催された「国立競技場将来構想有識者会議」で、Zaha Hadid Architectsの作品が最優秀賞とされました。
 コンペ審査委員会は委員長安藤忠雄、専門家審査員鈴木博之岸井隆幸内藤廣安岡正人小倉純二都倉俊一リチャード・ロジャースノーマン・フォスター、主催者委員河野一郎(独立行政法人日本スポーツ振興センターがこの事業を実施します。サッカー籤トトカルチョも所管)
130923tokyo 有識者会議メンバーは画像のとおりです。安藤忠雄と都倉俊一のお二人は専門家委員としてでしょう、この有識者会議メンバーに入っています。他は官僚OBやスポーツ団体役員などです。
 国立の施設ですから、費用はいかように膨らんでも気にしないということもあるのでしょうが、凄い跳ね上がった「巨大施設」であることは確かですね。前回の東京オリンピック、その目玉のようなものとして丹下健三氏の二つの体育館がありました。先進デザインを誇っていた丹下氏の懸垂架構にトライした最初の巨大作品だったでしょうか。50年も以前のことですが、鋼線ケーブルによる架構設計で工事着手したのですが、理屈通りに行かなかったようで、通常の鉄骨加工の技術で懸垂線をなぞって施工したようです.当初予算からかなり乖離した支出になりました。
 今度の Hadidさんの計画は、特に新規な技術的トライはないようですが、長大なアーケードを引き回す意図が、全く分かりません。周辺施設との連携を考えてなどとお聞きしていますが、そのために周辺既存施設を根こそぎ取り去ってしまうのはいかがなもんでしょうか。霞ヶ関団地の住民の声、マスメディアからは聞こえてきませんが、どうなっているのでしょう。

 槇文彦氏の特別寄稿、やや長文ですがぜひ全文読んでいただきたいと思います。「一老建築家が、このようなエッセイを書かなければならなかったその背後にある我々の建築文化の風土について、少し考えてみることができればいいことだと思っています」と書かれていますが、論点は極めて明確です。

 この小田原でも「城下町ホール」事件がありました。実施設計まで終了した事業計画を住民が「首長選挙」という政治手法で事業転換させてしまいました。山本理顕氏という有能な建築家の提案でしたが、選定委員会と所管行政側の稚拙さが、醜い結果を生み出してしまい、未だにその残影を引きずって同じ敷地で「新事業案」が進行しているようです。
 槇文彦氏はこのコンペに参加しなかった理由として、『あまり敷地も広くないところで』過大な設計要件を課されたこと、著名建築家だけに特典を与えていることの二つを上げていられます。
 コンペの審査委員会の論議は、一切伝わってきませんが、委員長安藤忠雄氏は「将来構想有識者会議」にも席を置かれますが、『アプローチを含めた周辺環境との関係については、現況に即したかたちでの修正が必要であるが---』という課題をどのように考えられているのでしょうか。
 槇氏は神宮外苑が「風致地区第1号」に定められた意味を丁寧に記述されていますが、Hadidさんにはその意味が正しく伝わっていなかった、そしてその計画案が『---日本の先進性を発信し、優れた建築・環境技術をアピールできる---』という国益への貢献を評価されたということでしょう。

130924zaha_hadid  2019年「ラグビーワールドカップ」、2020年「オリンピック」の主会場となるこの巨大競技場を風致地区第1号の地に設置すること、極めて乱暴な「まちづくり」ですが、これからの事業進展については東京都民はもちろんこの国の住民のすべてに、その姿を偽りなく説明していくべきです。

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2013年9月22日 (日)

小田原のまちづくり 三つの話題

130923walk1  先週、ひさしぶりに小田原市行政情報センターを訪ねて、8月の常任委員会の公開資料などを若干コピーしてきました。「清閑邸周辺散策路整備事業」の資料がありました。審査の議事録はまだ当分先でしょうから、この資料だけが公開情報です。城址南側入り口、お茶壷橋藤棚脇(かなり痛んでいますが幅員1.5mほどの歩道があります)を進むと、突然報徳会館駐車場入り口で、この歩道が中断されます。肩先を駆け抜ける自動車に注意して、梅林駐車場出入り口まで歩きます。

130922walk2 同会館の所有地の一部を通って行くと、横綱常陸山が献納した「報徳二宮神社」と記した巨大な石碑や広告塔などが立ちふさがります。その先の歩道(?)幅員は10cm(舗装改修するまでは30cmほどはあった)くらいに狭まります。
 この事業、当然ですが地権者の報徳会館事業者の同意と協力がなければ、事業が成り立たないので「補償調査業務」の部分と図示されています。現在の報徳会館車両出入り口位置は、あまり適切ではなく交通渋滞を起こすことも多いようです。市営梅林駐車場内から出入りするように工夫は出来ないのでしょうか。宗教法人の所管は文科省、史跡の所管は文化庁、何とかならないかな。
 何れにしてもこの整備事業、是非是非速やかに実施して欲しい。毎朝のウォーキングでヒヤヒヤしながら、この10cm歩道を通っています。

130922nursing

 かねてから市民注視の事業であった「3大懸案事業」の公開資料もいただいてきましたので、何れ記事にさせていただきますが、「新小田原衛生総合医療会館の整備」というのがありました。
 小田原市立病院の真ん前で現在工事が進んでおります。城内にある看護専門学校の施設を、小田原市所有の病院前用地を借用して移転整備するとお聞きしていましたが、一般社団法人小田原医師会が建築主で、小田原市もその35.78%を所有するため、建設費を負担するということのようです。当然維持管理修繕費もその比率で負担するのでしょう。
 そもそも看護専門学校を、医師会が設置するというのはいかがなものかと思いますが、小田原市が公益性のない一般社団法人と施設を共有するというのは、よほどの差し迫った事情でもあったのでしょうか。なんとも理解しがたい事業ですが、市議会では何事もなく議決されたのですね。

130921town_news もう一つ、長年放置されてきた神奈川県の元保健所跡地、10月18日に公売すると県から迫られていましたが、一旦売却物件リストから外していただいたようです。地元からの強い要望、署名運動などから市議会が住民要望を採択したことで、県との協議に入るとのことですが、用地取得が可能なのでしょうか。一種住専の土地でどのような公共利用が望ましいのか。今後の展開が注目されます。

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2013年9月21日 (土)

天皇の統べる神の国

130921tokyo 吉田さんという方の投書、まったくおっしゃるとおりです。自民党憲法改正草案 「第一章 天皇 第四条 元号は、法律の定めるところにより、皇位の継承があったときに制定する。」時代錯誤か狂気の沙汰としか思えない。かなり前(17年前)ですが、私のサイトの記事を転載してみます。

 1989年1月に天皇が死んで、「昭和64年」は「平成元年」に化けました。「平成天皇」が「崩御」したら、またまた「○○元年」を繰り返すのでしょうか。いやいや、なんせ長寿社会ですから2000年も、無事に平成12年ということになりましょう。「大正10年」生まれの老人はその時何歳か、なんて悩まず、14-10+63+12=79などという単純算数は日本人たるもの瞬時にできなければいけないようです。わが賢い官僚たちは、昭和天皇の死の10年前に、「元号法」なる世にも短い法律を成立させています。①元号は政令で定める。②元号は皇位の継承があった場合に限り改める。これで全文です。この仕掛けで、元号表示の「伝統」が法制化され、世の中なんとはなしに、平成8年と表記するように強いられているわけです。時間をネーミングするという楽しみを内閣に与えた日本の国会は、なかなかの粋人の集まりです。
 ところで、古来どこの国も記年法には苦労したようです。ユリウス・カエサルの「ガリア戦記」をみると、『メッサーラとビソーが執政官の時…』などと表現されていますが、この手法は共和政から帝政に変わっても継続されたようです。日本も含めた中国文化圏では、皇帝や天皇が「元号を定め」てきたのはご承知の通りです。いわゆる西暦、イエス・キリストの誕生年を紀元とする名案は6世紀のローマ修道士ディオニュシウス・エウシグウスの発明とかで、西欧世界で普遍性を持ったのは、8世紀から10世紀にかけてのようです。どうも、マホメットによるイスラム教の広がりとイスラム紀元の出現が背景のようにも思えます。スパンの大きなキリスト紀元は、実用的で年代記の表記もスマートなものにできます。世界共通記年法の地位を得たのは、西欧列強の力の結果かも知れませんが、表記の便利さは大きな要因でしょう。いまだにキリスト紀元に逆らっているのは、イスラム国の一部と台湾(孫文革命紀元)、日本くらいのようです。
 キリスト紀元の最大の泣きどころは、キリスト以前の記年をBC記号でマイナス表記しなければならないところです。旧約聖書による「天地創造紀元」なるものはキリスト誕生の5508年3ケ月25日前のこととされていますから、有史以来の事象はすべて単純記年でき、古代史家もたいへん便利になることでしょう。かの「ローマ帝国衰亡史」のギボンも、天地創造紀元が生き残ってくれたら歴史家は楽できたのに恨めしく思うとぼやいています。天地創造紀元では、今年は7504年となります。2496年後には、10,000年になりますが、それまで人類史が継続していると、ちょっと面倒なことになりそうです。このところ騒がれている「ミレニアム・バグ」2000年問題どころではない、5桁年表示問題などということがでてくるか。でも、2500年も先には今の電脳は存在しないでしょうから、今から悩むことはなさそうですね。
 とはいえ、日本国が「元号」にこだわって、不便極まりない「平成」を死守するのは何故でしょうか。私もキリスト者ではありませんが、普通の暮らしをしていく上では西暦は便利なのに、役所に出す書類は元号表記しなければ受理してくれないという不愉快なバリアーにぶつかります。「平成」になったのだから、「昭和」のことは忘れました。解決済みです。そんな大昔のことを蒸し返されては困ります。ということなのでしょうか。このところ、そうは旨くいかないようで、「偉い」人たちも冷や汗のかきどうしです。早く厄介な「平成」を逃げ出したいのではないでしょうか。

今年は天地創造紀元7521年、平成25年、西暦2013年です。私のデスク前には年号換算表が貼ってあります。

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2013年9月18日 (水)

特定複合観光施設区域整備推進法

130918tokyo 「国際観光産業議員連盟」には、共産党、社民党を除く160人ほどの国会議員が加盟しているそうです。安倍、麻生、石原、猪瀬など、かねてよりカジノ推進を叫んでいましたが、オリンピックを錦の御旗に、法整備に乗り出すとの報道です。

 お台場が第一候補、この際「東京オリンピック」の売り物にしようということのようですので、立地などもすでに東京都猪瀬計画に入っているんでしょうね。これこそ、住民投票に掛けるべきですが、都議会はあっさり住民意思を否決するのかな。
 ところで、我が「東洋のリビエラ」には、すでに「国際観光産業」が存在します。まさか、まさか、ニッポンのモナコになるわけではないですよね。450億円の施設を8億円余で取得、9年間の賃貸で借手の「国際観光産業」に9億円で売却したような、してないような3年後に所有権移転するまでに、8億近くの賃料値引き。素晴らしいリゾートホテルに整備するとのことでしたから、間違ってもこのヒルトップを「特定複合観光施設区域」の指定にはしませんよね。
 この町には65歳になった「競輪」という、大先輩が最高の「文教地区」に存在していますよ。もう賭博はたくさんです。

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2013年9月15日 (日)

平塚らいてうの「貸家プラン」エスキース

130915raiteu_plan 1919(大正8)年8月、平塚らいてうは名古屋での「婦人講習会」で講師を務め、その関連で繊維工場など11ヶ所の女工労働の環境を視察しています。帰京後、突然のように「貸家事業計画」を企画し、8月20日資金調達、借金支援の申し出をしたようです。その申し出企画は、しっかりしたものです。自宅敷地は150坪余あり、南側が大きくひらけて眺望も良い空地があり、ここに2軒の貸家を建てる。建築費は坪当たり70円、2軒の建築費2,800円、井戸1ヶ所、門2ヶ所、垣根、庭などで500円、総費用3,300円を借用したい。家賃は年に720円(月額60円)、地代、保険料、家屋税が年に180円(月額15円)、残金540円を返済金に充てる。初年度は利息が231円、返済金が309円だが、元金の減少で利息が減っていくので、大正16年で完済できるとする9年間の返済明細書がついています。らいてうの計画では9年後からの家賃収入月額50円ほどが、5歳と3歳の子供の教育費に使えればありがたいとの心づもりであったようです。このエスキース、大工さんと相談しながら仕上げたのかもしれませんが、当時の標準設計をよく示していて、貴重なドラフトです。

130915raiteu_letter
 申し出先は、彼女の信頼する支援者梅田きよ(二宮町居住,梅田潔氏夫人)でしたが、諸事情があったのか借金はかなわなかったようですが、他の手法で事業実現させています。左の画像はその手紙ですが、解読は町田寿郎氏(二松学舎大学)のものを折井美耶子氏が再解読されて、レポートされています。研究者とはたいしたものですね。これが読めるのですね。
 2軒の貸家は出来ましたが、「新婦人協会」の事務所に使われたり、市川房枝氏などが住んだこともあったようです。
130915rauteu_report  この記事は、すべて「平塚らいてうの会紀要第6号」に記載の折井美耶子氏「平塚らいてうの新婦人協会構想と市川房枝」(P24~43)によって紹介するものです。この号には、らいてうのお孫さん奥村直さんの特別寄稿,米田佐代子氏の「戦後の女性運動における平塚らいてうと市川房枝-資料解説を中心に」も掲載されています。

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2013年9月 9日 (月)

小田原城址公園でのウォーキング

130909gate1 少し涼しくなったのでしょう。よく眠れます。今朝もやや遅めの出発になりました。7時半ころ出かけたのですが、いつも閉鎖されている銅門が開いていました。急遽ルートを変更して,お茶壺広場から住吉橋に向かいました。欄干の老朽化で危険につき中央部を歩くように端部にそってガードがつけられ、路面材も新たに複装させられていました。

130909gate2 「住吉橋は老朽化しています」という張り紙がつけられた右手の欄干親柱は、かなりひどく腐食しています。いまにも崩潰しそうにも見えます。露天に曝された針葉樹材(ヒノキ)は、間違いなくかなり早くに老朽化します。今年は伊勢神宮の遷宮の年ですが、20年に一度建て替えるという保存継続の手法を守ってきているそうです。20年ですべて更新というのは思い切った手法ですね。この住吉橋はまだ20年経っていないと思いますが、こんなになってしまうのですね。水切りが悪かったのでしょうか。いずれにしても、この状況は至急改修する必要がありますね。住吉橋の保全は15年更新にしなきゃならんのでしょう。15年に一度の建て替えにも国の助成はあるのでしょうか。何か秘策があるのかな。

130909gate3 銅門は住吉橋より少し新しい(平成9年4月)のですが、門扉はラオスヒノキ、梁材は松が使われていますので、まだまだ堂々とその勇姿を誇っています。1枚の写真から「復元的整備」をなさったようですが、良くできています。私が小田原市に転入して間もなくの完成でしたから、とても強い思い入れがあります。ただ、残念なことにこの門は午前9時まで、安全上「閉鎖」するということになっています。今朝、歴史見聞館のオーバーナイト警備員さんに確認しましたら、7時半ころには開門しているということでした。リハビリウォーキングは当面、7時20分出発にしますが、城址公園は早朝散策の方が多いのですから、「日の出から日没まで開門」と言う決まりにはなりませんでしょうか。

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2013年9月 8日 (日)

「災害」の国に生きる

130908walk_1 今朝はかなりの雨模様でしたが、わが地域の自主防災部は、秋の防災訓練を決行しました。120人ほどが参加されました。その後、リハビリウォークでお城へ。遅い時間でしたので久しぶりに銅門をくぐらせていただきました。二の丸広場の松の古木、根の露出の痛々しさが目に留まりました。根もとの柵囲いなど不要なのでしょうか。まったくの門外漢ですが、このままでいいのかなと強く感じました。

130908walk_2 三の丸広場(暫定未利用地)には、かつて警察署前を優しく包んでいた1本の松と2本のサクラが残されています。期せずして誕生したこのミドリの空地、貴重な市民広場として、この5年ほど生き続けてきました。「小田原市芸術文化創造センター」の前庭計画ではどう位置づけられているのだろう。サクラも松も勢い良くこの素敵なオープンスペースで樹陰をつくっていました。

130908walk_3 その1ヘクタール足らずの未利用地に隣接して、この小型ビルはその役割を終えたごとくにひっそりと静まり返っています。その手前も空地の駐車場利用のままです。「小田原市芸術文化創造センター」は9,000㎡余の狭小な敷地に、息のつまるような空間計画で、さまざまなスペースをひしめき合わせています。創造者要望に最大限こたえた結果でしょう。用地整備が進まないまま建造物計画を先行させることはとても危険なことです。冷静になって考えて欲しい。

130908walk_4 三の丸小学校は小さな堀に囲まれて、せせらぎを楽しむアイデアでスタートしましたが、現在ではさまざまな植物が石垣に繁茂して、意図しなかった姿を呈しています。この写真のように、松の若木までが育っています。どのような植生様態を形作って行くのでしょうか。力のこもった、小田原市を代表する小学校建築ですので、さらに美しい姿になって欲しいものです。

1300908tokyo_2 今朝の新聞報道です。かつて(あるいは現在も?)支配下の労働者の賃金から、天引き貯金を強制することはかなり一般的なことでした。通常は、その貯金の管理は貯金者も共同できていたのですが、徴用労働者にはそのような共同は許されなかったのでしょう。「数万册」と無造作に表現されますが、その貯金者が失った貯金、たぶん200円、300円という残高でしょうが、辛い思いがこの「数万册」に込められているのでしょうね。私の父親が、戦後すぐ「愛国生命保険の満期解約金で靴1足買えない」と嘆いていたのが不思議に耳に残っています。私の保険不信はここから来ているようです。

130908akahata_2 これも今朝の報道。関東大震災での権力によるテロル、民衆による襲撃など、さまざまに記録されていますが、この「亀戸事件」は典型的な警察権力によるテロルです。このような有無をいわせぬ暴力的警察権執行そして殺害、遺棄。この事件だけではないのですが、現代日本国、平和日本ではあり得ないと信じていいのでしょうか。ヒステリックなヘイトデモ、差別主義的の風潮の拡大などを見るにつけ、大被災の異常の中では「再び」というのがあり得そうに思えてきます。

 過去の清算、歴史認識など、執拗に否定し続けていますが、オリンピックを招致できるほどの優良国と評価されたのを機会に、「われらは,平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」という憲法の理念を熟思したいものです。

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再度「仕事場」イラスト

130908kappa いささかしつこいようですが、この素晴らしいイラストの本を紹介します。昨日は文庫本を記事にしましたが、今日、ハードカバーの初出本が届きましたので、再度の紹介です。「ロン&ヤス」の仕事場について、わずかの記事でしたが、初出本のきれいな図版から、この二人の「仕事場」をスケッチするためのご苦労の違いを読み取ってください。「河童が覗いた50人の仕事場」

 昨日は全く記事にしなかった「ヤス」の執務室の取材写真やTV画像からの書き起しイラストを本文とともに紹介させていただきます。
130908yasu_room かなりご苦労された様子が分かります。USA大統領と日本国総理大臣の公開性は、これだけの差があるのですから、「天皇の執務室」の取材なんてのは問いただすことさえできないのでしょうね。まあ「仕事場」を見せたくない方は結構多いでしょうが、特別公務員である政治家、特に元首、首長は拒否することはできないと思いますが。
130908oval_room これがレーガン時代のアメリカ合衆国ホワイトハウスの大統領執務室です。オーバルルームと称してたびたびTVにュースにも露出しますので、合衆国人民はすでに熟知しているのでしょう。この執務室は、主が変わるたびにサーフェースだけですが改装されます。大統領自身のテースト、あるいはファーストレディーのご趣味で、ホワイトハウスの「インテリア」は一新されます。小泉時代以降の新首相官邸はいかがなんでしょうかね。執務室は一度も報道陣にさえ公開されていないのではないかと思います。国家秘密があるのかな。公邸の方は模様替えなさる方もいられるようですが、滞在1年足らずなんてことでは、改装など無理ですね。そもそも、ここに引っ越ししない総理大臣がいますので、どうなっているんでしょうね。安倍さんもずっと神山町のマンション暮らしとかですから、公邸はみなさんに嫌われているんですね。

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2013年9月 7日 (土)

オラドゥールの虐殺

130905tokyo2_2 Oradour-sur-Glaneはフランス・リムーザン地方の人口2,000人ほどの小さな村です。大戦末期、ノルマンディー上陸の4日後、1944年6月10日、北部前線に向かう独軍160人の親衛隊の手で、周到に計画された村民に対する「大虐殺」が行われたのです。フランス全土で高まりつつあったレジスタンスを震え上がらせ、住民を無抵抗にさせる見せしめとして行われたと言われています。
 独仏と言う隣国同士で、有史以来どれほどの戦争を経験してきたことでしょうか。リモージュ市に近接したこの村が、虐殺の対象として選ばれたことには、さまざまな要因があり、司法の場でも裁かれていますが、加害者の元首が被害者に謝罪し、被害国の元首がその謝罪をたたえる、こんな光景が見られます。この報道の動画(46秒)があります。

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なんとも不思議な古書市場

130907kappa 「少年H」に引き続き、妹尾さんのことです。画像の文庫本、まことに興味つきない歴史的博物記録です。個性あるクリエーターをはじめ政治家の仕事場まで、実に克明なイラスト(例によって正確な俯瞰図など)は美しい。

 レーガン大統領の「執務室」では、ビクトリア女王から寄贈された、まさにビクトリアンスタイルのデスクの詳細なイラストまで(デスク上には“IT CAN BE DONE”の銘板がある)描かれています。ロン&ヤス時代でしたが、ヤスの執務室、総理大臣執務室は未だかつて一般公開など考えてもいないと断られたそうです。
 前田外科病院の手術室、見事な俯瞰図に圧倒されます。妹尾さんは手術で大騒ぎする患者だそうですが、観察は鋭く詳細ですね。先々月の外科手術の前に知っておきたかった。
 建築家の斉藤義さんの建築現場というのもあります。斉藤さんには、2007年の城下町ホール事件の際、K君とともに事務所をお尋ねしてご教示をいただきました。「もういい加減に、変な劇場を建てるのを止めてください」と言い続けている妹尾河童さんらしい劇場装置のイラストもありますよ。小田原市の「芸術文化創造センター」ご関係のみなさんも、このお二人には、ぜひ一度お教えを乞うた方が良いかもしれません。
 先年亡くなった井上ひさしさんの書斎や雲の名人島倉二千六さん(ご存じないかもしれませんが彼の絵にはみなさん全員お世話になっているはず)のアトリエ、山下惣一さんの田圃など、興味ある観察が登場しつづけます。

 ところで、この文庫本は1円で購入したものです。送料250円負担で251円でした。私が購入した本の中で最高のコストパフォーマンス?ネット市場と言うのはなんとも不思議な世界ですね。みなさんもトライしてみてください。

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秋近し

130907after_operation 昨日は2週間ぶりの東京、わが伴侶をともなって、動物病院に行きました。8時17分発のロマンスカーはMSEと言うダンディーな車両でしたが、いささか過剰冷房で長袖シャツでも震えていました。画像のわが伴侶、今日は全身麻酔のスケーリングをされて5時半ころ帰宅しましたが、その落ち込んだ様子は痛々しいものでした,右手の包帯は点滴後の養生です。彼も11歳を過ぎましたから、シニア犬。かなり気が合います。長生き競争、どちらが先か-----。

130907construction 6時前にわが伴侶の短い散策をすませ、あらためてリハビリ散歩に出ました。市道0087(藤棚通り)を下ったのですが、凄い熱気。夜間工事が終わったばかりのようで、仮舗装の残熱です。せっかくの秋の気配が吹き飛んでしまいました。この後本舗装の工事に入るのでしょうが、水道局と小田原ガスの掘削工事は散発的、部分的に幾度も繰り返されています。諸事情がおありなんでしょうが、もう少し合理的にできないもんでしょうかね。埋め戻し、転圧も夜間作業ですが適正になされているのか疑問です。2年ほど前からこの近隣の道路振動が激しくなり、地震動と見分けがつかない状態、近隣住民からの要請に応えて明後月曜日に関連3課による「事情説明会」を開いていただくことになりました。路面下の空隙、腐食廃管による空隙、路面の不陸など様々な原因が考えられるのでしょうが、どのような調査結果が知らされるでしょうか。
130907exercise_3 城址公園の二の丸広場では、ちょうど「集団ラジオ体操」が始まっていました。今朝は薄曇りでしたので、涼しい中での気持ちの良いエクササイズ。かなりの高齢者も大勢居られました。幾人もの方にご挨拶しましたが、こちらはもう少しシリアスなリハビリテーションの最中。楽しそうな体操交流は眺めるだけでした。NHKのラジオ体操第一、第二、生命長いですね。国民学校時代の一糸乱れずの全校体操とは、かなり違う光景ではありましたが、戦前の記憶が蘇りました。

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2013年9月 4日 (水)

今朝は4214歩あるきました

130904castle1 いつものように藤棚前からお茶壺橋を渡って城址に入ります。5時40分ころ、さわやかな朝でした。蓮池の葉は密生して見事です。しかも今朝は、3輪ほどが見事に開花していました。頑張ってくれている姿にほろりとしました。散歩者のみなさんも嬉しそうでした。蓮花の風情は本当に嬉しいものです。何とかこの蓮池、往年の勢いを取り戻して欲しいとつくづく思いました。

130904castle2_2 いままで工事用仮かこいの隙間から覗き見していましたが、発掘調査の様子は全く分かりません。今朝は覚悟して、学橋から北進入路まで足を伸ばして、かなり上部から眺めてみました。この説明板、一生懸命読もうとしたのですが、字の大きさや位置のため、判読できませんでした。かなり丁寧な説明文のようでしたが、もう少し見やすいものしたらいかがでしょう。この仮囲い、当分続くのでしょう。

130904castle3 覗きこんで見ても、良く分かりませんが、北條時代の庭園遺跡はご用邸時代にかなり破壊されているそうですね。丁寧な発掘が続いていると思いますが、20年前の「整備構想」江戸末期の曲輪取りを復元すると言う路線とどう整合されるのでしょうか。毎年「北条五代祭り」が行われますが、江戸末期の復元城址から出陣なさるのでしょうか。ご工夫なさっているのでしょうが、「新たな構想」に向かうのでしょうか。

130904castle4 城址の観望を良くするために、邪魔な古木は伐採すると言う「植栽管理計画」は、生き続けているんですね。古木の管理は、是非是非丁寧に大切になさって欲しい。本丸まで上ってしまったので、天守閣を久しぶりに撮影しました。樹木が邪魔することなくきれいに全景がとれましたよ。これも建て替えましょうという運動が続いています。木造建築技能の保全のためにも、また耐震技術の習得のためにも、拙速でなくじっくり進行させていただきたいですね。歩行1,214歩でした。

9月第1週の歩行記録 1日(日)1288歩、2日(月)3571歩、3日(火)5899歩、4日(水)5848歩、5日(木)4243歩、6日(金)3146歩、7日(土)7413歩(18時現在)

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2013年9月 3日 (火)

世にも不思議な合意書

130621agreement_odawara

 「小田原地下街再開の実現に係る基本的事項に関する合意書」というものが、6月21日に締結され8月20日の常任委員会に報告されました。全く知りませんでした。市議のみなさんはもちろんご存知でしたが、私のような一般市民は、委員会の傍聴に行くか、行政情報センターで委員会最新情報のファイルから探し出すかしかありません。WEB SITE には開示されていません。

 一見して、何だこれは、こんなことも合意されずに実施設計契約までしたのはなぜだ?理解に苦しみます。みなさんはどうお考えでしょうか。おだわらしの行政力はここまで衰退したのか、とうの昔から衰退していたのか----。

 すでに、2億円ほどの小田原市資金をつぎ込んでいながら、今さらのように、果たすべき役割として、小田原市は「工事費等一切の費用を負担」し、この整備に「全力で取り組む」、JR東日本は「再開の実現に協力する」、湘南SBは「開業準備に取り組む」、『小田原市君しっかりしろよ』と叱正されたのでしょうか。『失敗したら、面倒みるかどうかはそのとき考えるから心配しないで全力で取り組め』と言うことなんでしょうか。

 建設経済常任委員会は9月6日、採決は9月13日です。賛成し続けた市議会はフリーズでしょう。市民のみなさんの手でしかこの問題は締めくくれません。25億やそこらはまあ良いか、と言うことではないと言う方が多いのですが----。破綻後の施設は、JRさんが、何とか引き取ってくれれば良いなとお考えですか?(「合意書」は、情報センターの委員会報告の資料で確認できます)

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2013年9月 2日 (月)

妹尾河童氏の「少年H」

130901h_map 一昨日土曜日の午後、小田原トーホーシネマさんで映画「少年H」を拝見しました。映画鑑賞など、年に1、2回くらいでしょうか。音響の大きさに毎回参ってしまい、今度こそ耳栓を持って入館しようと思いながら、今回も忘れてしまいました。売店にも売っていませんでした。後の方の席を指定したのですが、客席は一様なサウンド環境でした。

 前置きが長くなりましたが、原作者の妹尾さんには、かの「城下町ホール」阻止運動の際に,たいへん世話になりました。素敵な「メッセージ」を何度もお寄せいただきました。氏との連絡相談すべて「FAX」でした。お送りした「FAX」には、素早くご返信いただきました。とても几帳面で、すべて美しいお手紙です。「河童が覗いたヨーロッパ」「河童が覗いたニッポン」という著書は、イラストも文章もすべて手書きです。活字より読み易く優しい本に仕上がっています。

 画像は「少年H」、つまり15歳の妹尾さんが住まれていた間との姿を、描かれたものです。「H」の家と「オトコ姉ちゃんが首を吊ったガソリンスタンド」は、こんなに近かったんだなどと、臨場感が蘇ります。

 この映画、妹尾さんらしい自然主義的反戦映画です。降旗監督の世代感で描き出された15歳少年の「戦争体験記」はとても貴重なもの、多くの方に観ていただきたい貴重なものと思います。トーホーシネマさんでは、一日に2回の上映です。お早めのお出かけをお勧めします。

妹尾さんの著作

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2013年9月 1日 (日)

史跡と市民安全の共生

130901tokyo 90年前の大震災、今日の各紙はそれぞれに特集報道しています。この被災は、大正12年と言う新時代の終焉の時期に発生したこともあり、さまざまな社会的な災害も歴史に残されています。この記事は関内駅傍の横浜公園に避難された方の経験が語られています。

 東京では、被服廠あとの広場に集中した3万を超える方の悲劇的焼死が語り継がれています。震災の死者はほとんどが焼死であったと言われていますが、火災時に大きな空地や公園を避難先とするのは真っ先にすることは、現在の社会でも同様と思われます。

 私たちの小田原市中心部では「小田原城址公園」などに避難先される方も多くなることは容易に想定されます。現在、この「公園」には樹木は豊富です。樹齢100年を超える古木も多数あります。

 しかし、ここは「史跡指定」され、20年前に策定された「整備基本構想」に基づいて長期にわたる整備事業が実施されています。その過程で多くの古木が「伐採」され続けています。馬出曲輪の整備では、市民の大きな抗議の声の中で樹齢130年の松が「伐採」されました。10月には御用米曲輪整備のため土塁上のケヤキの古木8本が「伐採」され、その他のケヤキも大規模な枝下ろし、高さの縮小がなされるようです。

 この土塁上のケヤキ群は、長年の放漫管理のおかげか自然林の様相を示しながら、市街地と城址を隔てる、大切な遮蔽林として残ってきました、昨年から大規模枝下ろしを続けた結果、かなり寂しい遮蔽林にはなってきましたが、その役割は残り続けています。伐採後は補植で補うとのことですが、大木になるまでには100年はかかるのではないでしょうか。横浜公園の樹木の防火性能で命拾いをされたと言う経験を、この小田原でも活かしたいものです。「史跡とミドリの共生」「史跡と市民安全の共生」、重要な課題だと思います。「史跡」と言う縛りのために生命を支える「ミドリ」を消して行く施策は再考されるべきです。

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