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2013年12月 9日 (月)

史跡整備と都市整備の共生

131209heritage_map このところ史跡小田原城跡の埋蔵物調査が注目されています。中世戦国期の一部が発見されたのです。「史跡小田原城跡 本丸・二の丸整備基本構想」に基づいて整備事業が行われてきたこれまでの20年、ここにきて「基本構想」の見直しが課題となったようです。

 10月26日から始まった「よみがえる小田原城」という企画展は、このような状況の中で大きな意味を持ったのではないでしょうか。展示の充実もさることながら「図録」もたいへん充実して、「よみがえる小田原城」の方向を指し示しているように思えます。図録にも収録されていますが、ここに掲げた画像のマップは、1994年に小田原市教育委員会が発行した「歩く・見る おだわらの城下町・宿場町」という町名・地名図の一部分です。本丸、二の丸、三の丸、それに八幡山古郭の一部が示されています。

 基本構想が、小田原城跡の調査整備を本丸、二の丸の範囲にとどめたことについては、『----現存状況も多様であるところから、状況に応じた柔軟な保護、保存及び活用のための対策が必要となる。このためここでは本丸・二の丸の史跡指定地についての整備基本構想を樹立することとし----』と理由付しています。

 城跡のうち「三の丸」を除外していますが、現存状況は当時の本丸・二の丸とそう大きく違っていたようには思えません。本丸・二の丸にも公共施設が多数存し、民有地も多くありました。三の丸の状況はそれ以上であったのかもしれませんが、『中世遺構そのものである大外郭については、別途整備のための基本構想を立案することとする。』とつきはなした中に包含させています。

131209birdseye  現在でも、この三の丸には公共施設が多数存在し、民有地も散在しています。小田原市は1990年にこの三の丸を市民ホール用地に使おうという「検討案」が示していましたので、それを引き継いで馬出し門の真っ正面に「城下町ホール」という拙速な案が実施設計まで進んでしまい、工事入札寸前に「市長交代」で白紙に戻りましたが、数ヶ月後には再びこの三の丸に舞い戻るという醜態がいまだ継続しています。

 「芸術文化創造センター」は、この町にとって欠かせない大きな事業です。全力で市民も支援すべき事業です。しかし、この三の丸は小田原城跡を市民の歴史資産として活かし育てていくにあたって、きわめて大切なバッファー用地なのです。ここに、この時代に大型の公共施設を新設するというのは、小田原都市整備にとって取り返しのつかない負債となります。

 正規登場ルートという課題を含めて、小田原城跡を公開周知していくための常設展示施設、あるいは収蔵、研究、発表の施設などをクラスター状に臨機に時間をかけて展開する博物地区にするべきではないでしょうか。

 拙速な「ホール建設」でこの地を固定してしまうことは、小田原という「歴史都市」の衰亡に繋がりかねません。早急に、大胆に施策の転換を求めたい。(城址のbirds-eyeは「図録」06頁から)

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