文化・芸術

2014年7月22日 (火)

小田原市芸術文化創造センターを市民の手で

140722tokyo 2016年度開館で計画されている東京都墨田区の「北斎美術館」、妹島さんたちの設計によって総事業費34億円で事業がすすめられているようです。

 わが「小田原市芸術文化創造センター」は。長年のふらつきの結果、立派な名称だけはいただきましたが、市道の廃止等々、多難な様相ですが、議会承認なんか問題ではないんでしょうか、淡々と「実施設計」の委託契約を済まされたと説明されました。

 いかがでしょうか。市道廃止の不便を凌ぎ、用地整備未了のまま、狭苦しい空間・景観を凌いだとしても、実施設計完了後の工事着手は建設業界の逼迫に寄る工事費高騰で、65億とか75億とかでは、とても契約にはいたりそうにありません。

 「北斎美術館」は事業費34億円のうち、5億円を区民の寄付で賄うとしました。

 わが小田原市の本件事業予算は明らかに不足を来すと考えられます。10億、15億の補正予算が承認されるでしょうか。そんなことを期待する前に、ぜひ、墨田区を見習ってください。

 設計者新居さんも提案されていました。「小田原市芸術文化創造センターを市民寄付で応援しよう」事業を始めて欲しい。小田原市と市民文化団体で、喫緊に、真剣に取り組んで欲しい。その覚悟ができないなら、この事業は、用地整備ができるまで延期すべきです。

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2013年6月22日 (土)

「文化というものは政治を反映する中枢」

130622louvre 今年の2月に未来社から出された翻訳書です(訳者は塩谷敬氏)。久しぶりに熱中して読んだドキュメントですので、みなさんにもぜひお読みいただきたいと思い、記事にします。表題は、著者ジャック・ラングの結語のようなものです。ジャック・ラングは今風に言えば市民運動から文化大臣、議員になった1939年生まれのヴォージュ県人です。

 1981年ころから2012年のルーヴル・ランスの開館、ルーヴル・アブダビの契約まで、20年ほどの文化政策の闘いを記録したものです。もちろんラング自身の「思い・理念・思想」がさまざまな文化・政治局面でずっしりと語られています。この期間は、まさにフランス共和国が「再生」した時代と言ってもいいのではないでしょうか。豊富な記録は感動的、かつ多彩なものですので、この翻訳書を手にして読み取ってください。
 ここでは、ひとつの話題だけご紹介します。ルーヴル・ランスの設計コンクールの姿です。ランスはパ・ド・カレ県にある衰退が進む炭坑町(住民の6割が非課税対象)です。この町が選ばれた経緯も、興味あるものですが、設計コンクールでの選定手法を紹介します。3人の建築家が最終選考に残りました。フランス人リュディ・リチオッティ、英国系イラク人ザハ・ハディド、そして日本人ユニットSANAA(妹島、西沢)。2005年9月、町の再生に責任を持つ県会議員が評決したのです。
 SANAAを選択する議案については賛成票22(社会党、緑の党)、反対表22(国民運動連合、フランス民主連合、国民戦線、フランス共産党)の同数でしたが、県総裁のペルシュロンが代表者として2票の権利を持っているので、まさに僅差でSANAAが実施設計をになうことになったと書かれています。ペルシュロンたちの評価は、「派手さもない、メディア受けもしない、日本人にありがちな平凡さに見えるが、シンプルで透明感があり理にかなっている、奇抜さで人の気を引こうとしない、景観にすんなりと溶け込む」としています。
 設計者の選択、私たちの町でも、たびたび、つい最近も、この選択が行われました。決して安易になさったのではないでしょうが、設計選択にどなたが責任をお持ちになっているのでしょうか。このルーヴル・ランスは選択責任主体が明確です。2012年クリスマスの開館、それ以後の美術館状況は、当時国際的には無名であったこのユニットを選択した勇気の先見性を証明しています。
 「文化というものは政治を反映する中枢」地方地域にもこの思想を広げ、文化で差別化する都市間競争をするべきではないでしょうか(暴力政治と言う戦争政策ではなく)。このドキュメントを、安倍内閣総理大臣が目にすることもないのでしょうが、わが町の市長には、ぜひ読んで欲しい。

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2013年3月20日 (水)

東京都写真美術館ホール

130319fukushima_2 この美術館1995年の開館ですが、今日の訪問は多分5回目くらいです。関心を持っていてもここ小田原からではなかなか足が向きません。今日は五反田でのお彼岸法事の帰路にずいぶん久しぶりでしたが、思いきって立ち寄りました。

 四ノ宮浩という監督によるドキュメンタリー映画です。「日本一美しい村」の映像は誠に美しい田園風景を示し、原発被災後の無惨な、正視できない風景と暮らしを対比して見せてくれます。

 200席ほどの小さなホールですが、1時間半ほどの上映時間とても気持ち良く鑑賞できました。わが地にもこんな適正規模のホールがあれば、さまざまな市民活動、「芸術文化創造」活動が高まるのだがと強く感じました。

 小田原市20万都市。とても良いサイズのまちです。顔のみえる「芸術文化創造」を可能にする公共事業を求めたいものと痛感しました。

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2013年3月19日 (火)

芸術文化創造

 芸術文化創造センターの基本計画のプレゼンテーションが5人の建築家から、明日の20日にあります。6年前の醜態を避けるためか、この5人は結構手堅いメンバーが多いようですが、SANAAさんも加わっています。審査員のみなさん、衆人環視の中でどのような応答をなさるのでしょうか。聞いてみたいものですが、11時から16時までの長丁場は、多分耐えきれないと思いますので、断念しました。

 基本計画の作成に1年ほどおかけになるようですが、その間にぜひ小田原市政府の文化政策を平行してしっかり制定して欲しい。ホールという建造物は、設計も施工も可能でしょうが、その施設がなんになるのか。50億60億という出費は、この町の方々にとって、お一人3万円程度のご負担です。過剰な負担ではないでしょう。
 この施設が「芸術文化創造」の役目を果たすためには、市民が「芸術文化創造」出費を合意する必要があります。来年度の当初予算に建設費の歳出を提案されるなら、その金額の半分程度30億円「芸術文化創造事業費」(5年間の継続費?)を組んで欲しいものです。年間6億円の出費です。
 このホールの三の丸での建設は、わが小田原市の都市整備の行方を指し示すことになります。設計者はその責務を負うことを決して忘れないでください。

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2012年11月 5日 (月)

小田原の至宝 杵屋響泉さん 白寿での演奏会

121103town_news ご存知の方も多いと思いますが、ご案内です。響泉さんのご一家三代で、長唄という伝統芸能を全くの自力で指導し続けていられます。多分公的な補助など受けていられないように思いますが、栄町のご自宅では、継承者の六響さんとともに、熱心なお弟子さんたちに稽古を付けられるとともに、演奏活動にも精力的とお聞きしています。発表会などでも、その矍鑠たる立ち姿、弟子たちへの心配りなど、年齢を感じさせないご様子は驚くほどです。

 11月11日の「白寿演奏会」には、多くの市民のみなさんにお出かけいただきたいと思いご案内します。

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2011年11月 7日 (月)

60年前、日本のバレエ

111107komaki_ballet 先月の神奈川新聞書評欄で見つけた珍しい図書です。昭和音大の講師の方が書かれたものです。この大学はオペラ中心と思っていましたが、バレエの先生もおいでとは、嬉しい限りです。「バレエ史」なんて教科もあるのでしょうか。この図書は、著者の修士論文などから戦前戦後の日本バレエ史を描いたもののようですが、私にとっては、自らの戦後史を思い起こさせる「熱い」本でした。
 敗戦後、貧窮の中でも新しい社会の誕生と言う「希望」と米ソ冷戦下での「圧政」がひしめいていた1950年代の初め、新制高校の第1期生として高揚した時間を経験しました。政治的な混乱、レッドパージなどの「逆コース」の中でも、文化状況は生き生きと動き出していました。高校生活3年間は、「吉田内閣打倒」、自主独立などの政治活動に幼いながらも没頭していました。その一方で、もうひとつ没頭していたのが「バレエ」でした。当時、バレエの上演が可能なホールは、新橋演舞場、日比谷公会堂、共立講堂、歌舞伎座、日劇くらい(55年ころからサンケイホールなども)でしたが、かなり無理して通い詰めました。111107sonia_arova 特にソニア・アロワやノラ・ケイなどの海外招聘ダンサーと小牧バレエ団の合同公演は、いまでも鮮明に記憶しています。この図書の第4章などは、60年前の記憶をまざまざと蘇らせるものでした。
 小牧バレエ団への思い入れは、かなりのもので、今で言う「追っかけ」だったかもしれません。東京工大の出願書類をもらいにいくという口実で、大岡山(多分目黒区)にあったこのバレエ団を訪問し入門するつもりだったのですが言い出しかねて帰ってきたこともありました。
 それ以後もバレエ熱は続きましたが、1992年に小田原市に転居後は、東京や横浜まで出かけるおっくうさに負けて年に1、2回程度になっています。舞台芸術、バレエやオペラの上演はかなりの社会的支持がなければ困難なのでしょうが、小田原のホールでバレエ鑑賞ができるなんてことは夢なのかな。
(ソニア・アロワのサイン入り写真は、当時の小牧バレエ団で、広瀬佐紀子さんや関直人さんなどとともに活躍されていた雑賀淑子さんの回想記 [株式会社ビデオのサイトに記載] からのものです。このサイト、ダンス専門サイトで貴重な画像や動画を見ることができます)

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2011年5月 9日 (月)

Elisabeth Louise Vigée Le Brun

110509le_b 連休中の息抜きに、短時間でしたが三菱一号館美術館に出かけました。標題の画家を含めた18世紀末19世紀前半時代の女流画家の企画展です。この国では珍しい企画ですし、標題の画家についてはかなりの拘りを持っていた画家でしたので、無理して出かけてみました。最終日に近かったせいか、けっこう賑わっていました。
 Vigée Le Brunについては、かなり旧い(13年前)記事を見てください。なかなかの女流画家ですが、この当時の女性たちは、私たちの時代人が考えているより、ずっと強かったようです。その強い女性、自画像が出色の画家です。自らが最高の画題だったのでしょう。さまざまな作品があります。記事にも書きましたように、この画像作品は、Kimbell Art Museum( Fort Worth, Texas)所蔵のものですが、何とも愛くるしいポートレートですね。彼女が26歳のときのものです。
 シリアスな状況の日々を送っている、一人の日本人として、フランス革命の時代を「堂々と」泳ぎきったこの女性にはいたく尊敬の念を抱きます。これが、ほんとうのヨーロッパ魂なのかも知れません。日々の自然変動、政治混乱、世情の力の低下などのただ中で、この別世界で過ごした1時間少々は、貴重なものでした。もし、ご興味があったらKevin J.Kellyさんのサイトも覘いてあげてください。別世界があります。

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2011年4月25日 (月)

GANBA NIPPON

110425ganba06 『「我慢するんだ。なんでもないぢゃないか。米と野菜さへあれば、人間は結構生きていけるものだ。日本は、これからよくなるんだ。どんどんよくなるんだ。いま、僕たちがじっと我慢して居りさへすれば、日本は必ず成功するのだ。僕は信じて ゐるのだ。新聞に出ている大臣たちの言葉を、そのまま全部、そっくり信じているのだ。思ふ存分にやってもらはうぢゃないか。いまが大事なときなんだそうだ。我慢するんだ。」梅干を頬張りながら、真面目にそんなわかり切った事を言ひ聞かせてゐると、なぜだか、ひどく痛快なのである。』(「新潮」1946年1月号初出、太宰治「新郎」。付記に「昭和十六年十二月八日之を記せり。この朝、英米と戰端ひらくの報を聞けり。」とあります。筑摩書房太宰治全集6から転記しました。画像は、のぼり旗の(株)日本ブイ・シー・エスのウェブサイトから)

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2011年2月 8日 (火)

久しぶりのベジャール

110207bejart01 先週の土曜日(2月5日)、東京五反田「ゆうぽうとホール」での東京バレエ団の公演に出かけました。ここ小田原に転居してから既に18年を越えましたが、舞台公演に出かける機会は激減しました。自然環境はすばらしい小田原ですが、コンサートやバレエ、オペラに接する困難さだけには残念な思いをさせられます。土曜日の公演は、モーリス・ベジャール振り付けのバレエ。
110207bejart02 東京バレエ団はベジャールと強いつながりを持ち続けて、彼の死後も、ジル・ロマンがそのつながりをしっかり継承しています。演目は東京バレエ団初演の「ダンス・イン・ザ・ミラー」「チェロのための5つのプレリュード(バッハ)」とお宝の「ボレロ(ラヴェル)」でした。
110207bejart03 初演の2作品は、ベージャールの死(2007.11.22.)からすでに3年以上経ていますが、未だにその死が受け入れられないファンたちにとっては、胸を熱くさせるものでした。ジル・ロマンという得難い承継人を残したベジャールの偉大さを、ここにも強く感じます。
 ベジャールがそのレパートリーを日本の東京バレエ団にしっかり根づかせてくれたこと、ほんとうに嬉しい限りで、彼の日本の文化に対する理解もありがたい。この日の公演、慌ただしく新幹線で往復したのですが、往復の疲れも、日頃鬱積している閉塞感も吹き飛ばしてくれました。
 1965年(多分)の20世紀バレエ団の日本公演(多分千駄ヶ谷の都立体育館)、ベジャール振付けの「第九交響曲(ベートーベン)」で初めて彼のコールドバレエの迫力に接した時の感動。こんなバレエがこの世にあったのだとでもいうような衝撃。半世紀近く経ったいま、あらためてベジャールのすごさに思い至っています。(ベジャールのDVD、多少持っています)

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2010年10月 2日 (土)

関東学院大学 小田原市民公開講座

101002extension 自治基本条例のことは記事にしているだけで体調不良になってきます。気分転換に新しい記事。
 今日の午後、初めて「関東学院大学法学部小田原校地」を訪問しました。小田原城総構お鐘の台裏の張出から眺めたことはありましたが、なかなか立派なキャンパスでした。大学の公開講座は近年活発になっており、それぞれの大学の個性を出して面白い講座を開講しています。小田原キャンパスでもしっかりした講座が開かれています。私たち小田原市民にとって、この地に総合大学の学部が存在し地域との交流が深まることは双方にとって、とても大切です。お出かけになることお勧めします。
101002extension2 今日の講座は、画像の通りで、丸山重威法学部教授による「韓国と北朝鮮ー危機は打開できるか」でした。突然思い立っての受講でしたので、電話連絡でお願いして割り込ませていただきました。たいへん丁重な対応で、ありがたく思いました。じっくり2時間の授業でしたが、丸山教授の東アジアにおける日本の立ち位置への不安と希望の思いが強く伝わってきました。
 受講者は、みなさん小田原市民と思われますが、6、70人はいらしたでしょうか。顔見知りの方は2、3でしたが、市議のHさんも受講されていました。
 次回は、11月6日から12月4日まで「不安定社会の法と論理ー安全に生きていくためのツールとルール」と題する5回講座です。(問合せ:0465-34-2211公開講座係)

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